自民党の杉田水脈議員(衆議院比例中国ブロック)の発言・思想が、ネットを中心に大変話題になっています。
話題になったきっかけは、月刊誌「新潮45」2018年8月号への寄稿文「『LGBT』支援の度が過ぎる」上で、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」という主張を繰り広げたこと。
杉田議員の極端な発言は、今に始まったことではありません。ですが、これまでにない燃え方をしているのは、「生産性」という、あまりにインパクトの強い言葉が商業誌で拡散されたためかもしれません。なお、彼女の言う「生産性がない」とは、おもに「出産の可能性がない=国益に寄与しない」という意味合いなのだと思われます。
はっきり言いますが、私は、今回批判の対象になっている杉田議員の主張......すなわち、「LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか」「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」「成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました」などなどの意見を、心から許しがたく思います。
思うに、この記事を読んでくださっている方も同じ、あるいは近い気持ちなのではないでしょうか。
ですので、今回私は、これを読んでくださっている方に向けて、「彼女ひとりを批判する」のではなく、「日本にはびこる"杉田水脈氏的"な価値観との戦い方」を提唱したいと思います。
書いていて改めて思いましたが、簡単な方法ではありません。私も、まったくもってこれを完璧にはできていないです。つまり、あまり好きな言い方ではないですが、これは「自戒を込めて」というやつです。
ネット上では、杉田氏の意見を批判するコメントがあふれています。私を含めて、その人たちは、彼女の意見を間違っていると感じているはずです。だから、きっちり彼女の意見を否定しながら生きていこうではないですか。
たとえば、こういうこと。
・目の前で人がセクシュアルマイノリティや障がい者を揶揄していたら、可能な限りそれを食い止める。あるいは最低限、笑いにノらない。
・ちょっとした女性蔑視——「セクハラにあう側にも問題はある」「女の子ならもっと愛嬌がないと」なんて発言に同調しない。
・職場での、ポジションや年齢に依拠したささいな差別(お茶汲みをするのは特定の部署の女性だけ、新入社員の男性のことは多少理不尽な理由でも使いっ走りにしていいなど)を見逃さず、うるさく思われても問題提起する。
・子どものいない夫婦に対して「子ども作った方がいいよ」などと軽口でも言ったりしない。
・話し相手の性的指向がわからない時点で、「彼氏/彼女いるの?」という訊ね方をしない。
・そもそも人に安易に恋愛・家庭事情を聞いたりしない。
・「ゲイってこうなんでしょ」「LGBTってことはこうしてほしいんでしょ」と決めつけたりしない。
・近くにいる子どもたちや若い人に向けて、「自分の性のありかたや指向で悩むのはまったくおかしいことじゃない」というメッセージを常に強く発する。
・働けていない人、元気に日々を過ごせていない人に対して「あなたは人間として一人前ではない」という見方を向けない。
などなど。他にもたくさんあります。
彼女の発言が切り捨てているのは、LGBTQの人たちだけではありません。杉田議員の考え方の文脈では、「生産性が低い」と見なされる、すべての人たちです。さまざまな事情から子どもを出産することのできない女性、心身の病気や障がいによって就労ができない人、思うように動けない高齢者......。
私は、31歳で、未婚・子無しです。そのため、杉田氏の言う「『生産性』がない」国民の分類に入ることになります。世間的に言えば、「産み盛り・育て盛り」の年齢でありながら、日本の少子化対策になんら貢献していない。ついでに言えば、収入が低く納税額は微々たるもの故に、東京都の発展にも、たぶんほとんど寄与していない。いわゆる「生産性」が著しく低い、東京都民のライターです。
このように、「出産」や「納税」といった切り口だけから見れば、「生産性の低い」人間はいくらでもいます。その人たちを、ある種の人たちが「支援不要」と断定するのであれば、不要と言う人間以上の数で「いや、断固支援する」という態度をとらなければ。といっても、ここで言う「支援」とは、実質「平等に扱う」ということでしかないんですけどね。
「自分の身の周りで繰り広げられる、薄めた"杉田水脈氏的"な価値観や案件」を、極力見逃さず対応していく。
それを、今回の件に憤っている人たち全員が徹底したら、それだけでも大きな流れになります。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、でも本当はこれがいちばん大切な、キツい戦いだと思います。
だって、今回のケースは杉田議員が「わかりやすい批判対象」になっていますが、そういうケースは多くはありません。
むしろ、「これからも仲良くしていきたい人がふと漏らした暴力的な言葉」や「仕事上、面倒なことにしたくない場面で繰り広げられているうんと小さな差別」をどうするか。これにモヤモヤすることの方が、私たちの日常においては圧倒的に多い。それは、ひとつひとつはうんと小さなことに見えます。でも当たり前だけれど、その集合体こそが「社会」なんですよね。
「んん??」「ウゲッ」っと思うほんのちょっとした事案が発生したときに、「ま、今回はいいか......私だって忙しいし」と思わないで、ふんばれるかどうか。「これを私はスルーできるが、スルーできずに傷つく人もいるんだ」と思って勇気を出せるかどうかで、未来が変わるのだと思います。私はまだまだ流されがちです。気を引き締め直します。
(もちろん、その気力がないのに無理して戦って傷つき、力つきるようなことはしない方がいいと思います。それだったらSNSを遮断して、好きな映画を見ながら菓子を食ってる方がよっぽど「生産的」です。あなたの人生にとって)
杉田議員の発言はかなり極端で目立ちますが、同じような言葉は、今も日本中のどこかで、無名のだれかによって発され続けている。
そして、杉田議員のツイートで傷ついている人がSNSで多数声をあげているように、心ない言葉に傷ついている人は私たちのすぐ近くに大勢いて、誰にもケアされずにうずくまっている。今回の件で思い出さなければいけないのは、そのことだと思います。
もちろん、私が言ったようなことだけでは変わらない部分もあります。「この人には政治を任せられない」と思う人物がいたら、「選挙」で当選させないことがもっとも効率的な戦い方でしょう。しかし、そのためには、より多くの人が政治に目を向け、投票というアクションで自分の考えを示す必要があります。
ただ、20代・30代・40代の投票率が低い現状では、国政・地方ともになかなか新陳代謝は進まないでしょう。そこは私たち30代前後の「有権者最若手層」が、より危機感をもってとらえていなければならない現実です。
この現状を変えるための、小さな努力を積み重ねていくこと。それを私は、「生産性を上げるための行為」として自らに課したいと思います。
(執筆:小池みき、編集:生田綾)
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このブログは、noteに掲載された記事「『生産性のない人たちの支援は後回しだ』とかいうスーパーむかつく思想との戦い方」を改稿したものです。