ナチスの罪を直視し、戦後ドイツの周辺国との和解に貢献したワイツゼッカー元ドイツ大統領の公式追悼行事が2月11日、首都ベルリンの大聖堂で営まれた。ことし1月31日、94歳で亡くなった「ドイツの良心」。現地発の共同電は「歴史認識をめぐり日本と中国、韓国の関係が困難に直面しているのに対し、ドイツがナチス時代のイメージを払拭できたのは同氏の功績が大きい」と伝えていたが、その通りだと思う。
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」。こんなフレーズで知られる、あの名演説「荒れ野の40年」(永井清彦訳/岩波ブックレット)を読み返してみた。第2次大戦でのドイツ敗戦40周年にあたった1985年5月8日、連邦議会でおこなった演説である。
折から戦後70年。以下のようなくだりが改めて胸に迫ってくる。
■ワイツゼッカー演説
<大抵のドイツ人は国の大義のために戦い、耐え忍んでいるものと信じておりました。ところが、一切が無駄であり無意味であったのみならず、犯罪的な指導者たちの非人道的な目的のためであった、ということが明らかになったのであります>
<振り返れば暗い奈落の過去であり、前には不確実な未来があるだけでした。
しかし日一日と過ぎていくにつれ、5月8日が解放の日であることがはっきりしてまいりました。......ナチズムの暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります>
<一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります>
<今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれていませんでした。この人たちは自ら手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、粗布(あらぬの)の質素な服をまとって悔い改めるのを期待することは、感情を持った人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております>
<問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです>
■韓国、中国の「日独比較」論
過去の侵略や戦争に対する反省、戦後補償のありようをめぐって日本はドイツとしばしば対比されてきた。とくに韓国、中国からは「徹底的に反省し償うドイツと、過去を正当化する日本」といった図式で日本非難が繰り返されてきた。
2013年5月、訪米して米上下両院合同会議で演説した韓国の朴槿恵大統領は英語で次のようにぶった。名指しこそしなかったものの、日本を当てこするような内容だった。
It has been said that those who are blind to the past cannot see the future.
This is obviously a problem for the here and now.
「過去に目を閉ざす者は...」。まったくの偶然だろうが、朴槿恵大統領がこの演説をおこなった日はドイツ降伏68週年にあたった5月8日、まさにその日だった。朴大統領は、ワイツゼッカー演説を意識していたのは間違いないと思われる。
*詳しくは、韓国大統領府のホームページ参照(後半に英文が載っている)
■東郷和彦教授の論考
ワイツゼッカー演説に類するものは日本にはなかったのか。この点、元外交官(条約局長、駐オランダ大使など)の東郷和彦・京都産業大学教授がその著書『歴史認識を問い直す―靖国、慰安婦、領土問題』(角川oneテーマ21)のなかで、次のような指摘をしているのが、私にとっては目からうろこだった。
▽日本人が自ら総合的に戦争責任と歴史認識について結論を出したのは、戦後50年にあたっての「村山談話」(1995年8月15日)しかない。
▽日本とドイツでは、戦争とのけじめのつけ方が大きく違った。日本はサンフランシスコ条約など一連の戦後処理条約、いわゆる「平和条約」を結ぶことで解決してきたのに対し、ドイツのそれは被害者個人への補償として、相手国との間では、補償を支払うための協約を結ぶことで行われた。
▽そんな異なった背景があるのだとしても、村山談話とワイツゼッカー演説を比べると、そのあまりの違いに驚く。
*村山談話は、外務省のホームページ参照
東郷教授は2つの演説(談話)の違いを下のような表に整理してみせている。
東郷和彦著『歴史認識を問い直す―靖国、慰安婦、領土問題』(角川oneテーマ21)より
表は、2つの演説について①誰が、②何をして、③それについてどう対処し、④やったことの責任者は誰で、⑤具体的な行動は何か――を簡潔にまとめている。説明の概略はこうだ。
▽村山談話は包括的・直観的・無前提な形で国家の行為をとらえ、それについて謝罪している。このようなやり方は、近代国家では例を見ない。
▽ワイツゼッカー演説は徹底して個別的・分析的・条件付きである。たとえば個別具体的な犠牲者をリストアップ。ナチス以外のドイツ人について「罪はないが責任はある」とし、「全員が過去を引き受けなければならない」などとしている。
東郷教授はさらに、ワイツゼッカー演説の思想的背景としてヤスパース、村山談話の精神的背景としては鈴木大拙との関連性について論考を加えている。その詳細は著書に譲るが、ここで明らかなのは、日本の場合、一つには戦争責任の所在を曖昧にやり過ごしてきた結果が、いま大きなツケとして回ってきているということである。
■安倍首相の「戦後70年談話」
いま、気になるのは安倍首相の歴史への向き合い方である。具体的には安倍首相が8月に予定している戦後70年にあたっての「安倍談話」の中身である。安倍首相はこの間、これに関連して次のようなことを言ってきた。
◇2013年4月の参院予算委員会
「安倍内閣として、言わば村山談話をそのまま継承しているというわけではない。これは戦後50年に村山談話が出され、そして60年に小泉談話が出されたわけであって、これから70年を迎えた段階において安倍政権としての談話をそのときに、いわば未来志向のアジアに向けた談話を出したいと今既に考えている」(4月22日)
「侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけだし、それは国と国の関係において、どちら側から見るかということにおいて違う」(4月23日)
◇2014年3月14日、参院予算委員会
「歴史認識については、戦後50周年の機会には村山談話、60周年の機会には小泉談話が出されている。安倍内閣としてはこれらの談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」
◇2015年1月25日、NHKの討論番組
「村山、小泉談話、安倍政権としてこうした歴代の談話を全体として受け継ぐ考えは、すでに何回も申し上げた通り。安倍政権としてどう考えているという観点から談話を出したい。
このような世界をつくっていくかという未来に対する意思を書き込みたい。いままでのスタイルそのまま、下敷きとして書くことになれば、いままで使った言葉を使わなかった、新しい言葉が入ったという、こまごまとした議論になっていく。そうならないように70年の談話は新たに出したい」(要旨=朝日新聞より)
◇同年1月29日、衆院予算委員会
「村山談話、小泉談話については閣議決定されているものであり、我々は全体として受け継いでいる。先の大戦の反省の上に戦後70年どういう国をつくってきたのか、今後未来に向かってどういう国をつくっていくか発信していきたい。
(戦争の教訓は)まさに多くの国民の命を失い、アジアの方々にも多大なご迷惑をおかけした」(朝日新聞より)
こうして振り返ると、安倍首相の発言は微妙にぶれている。戦後70年の安倍談話に関しては、このところ、村山談話、小泉談話を「全体として受け継ぐ」という言い方で一貫させているが、「全体として」とは引き継がない部分もあるということなのかどうか。いずれにしても、村山、小泉談話にある「植民地支配と侵略」「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」といったキーワードが周辺国との関係でどうなるかが大きな焦点になるのは間違いない。
■落差
戦後70年談話に向けて安倍首相が「未来志向」「未来についての意思」「未来に向かって...」といった具合に、「未来」を強調しているのも気がかりである。
東郷和彦教授は、さきの著書で次のようなことも書いている。
▽歴史認識問題との関連で、「未来志向」ということを日本側から言い出すことは、禁句だと考える。被害者の立場にたてば、「未来志向」と加害者が言えば、それは「過去を忘れましょう」と言っているのと同じように聞こえる。
▽歴史に認識に関していえば、「未来志向の未来」とは、中国や韓国が日本に向けて送るべき言葉なのである。
同感である。ワイツゼッカー氏と安倍首相の落差を改めて感じてしまう。