現在、医学研究の司令塔と期待される日本版NIH(日本医療研究開発機構)の具体化に向けた議論が行われている。そこでの大きな課題のひとつが、基礎研究の成果の実用化、例えば、創薬だ。
現在、世界的に創薬の中心は、経済的にも大きなリターンをもたらす「革新的医薬品」の開発だ。「革新的医薬品」とは、従来のように化合物の組み合わせを変えることで開発した「改良型医薬品」ではなく、ワクチン、抗体、ペプチド、核酸など、バイオサイエンスの先端技術を活用して開発する医薬品のことを指す。
米国は、大学やベンチャー企業の開発による「革新的医薬品」が多くを占める。それに対して、日本は、大手製薬企業の開発による伝統的な「改良型医薬品」が大部分だ。
創薬の市場は、各国の関連産業が他国市場も視野に入れてグローバルな競争を行っており、他の産業セクターと同様に、グローバルな競争の中では、先行して革新的な製品を開発した企業が多くの収益を得る。このため「革新的創薬」をいかに推進していくかが、今後の我が国の大きな課題なのだ。
「革新的創薬」を進めるためには、開発資金の確保、多様な知見の集約、その他研究環境の整備等が必要となる。特にグローバルな競争下では、開発プロセスをスピーディーに進めることを可能にする資金をより多く投入できるかが競争の勝ち負けに大きく影響を与えると言われている。
しかし、基礎研究と臨床研究を結びつけるいわゆる「橋渡し研究」に投入する資金や人を増やせば、それだけで日本の創薬における課題は解決するのだろうか?
僕は、そう思わない。日本の創薬の課題は、創薬プロセスの一部に研究資金をつぎ込めば解決するものでは決してなく、実は根本的には構造的な問題であると考えている。
なぜなら、「革新的創薬」が無くとも成り立つ市場が我が国にはあるからだ。
諸外国では、開発後一定期間が経過したジェネリック薬は価格が急落するため、新薬が製薬企業の大きな収入源になっている。それに対して、我が国の製薬産業は新薬の7割の価格で販売されるジェネリック薬(後発医薬品)や長期収載品(特許切れのブランド薬)が大きな収入源になっている。国際比較調査では、日本のジェネリック薬の価格は、米国や英国の2倍もするというデータもある。
こうした独自の構造となっているのは、競争原理の働かないジェネリック薬や長期収載品の薬価の決定の仕組み、そして、海外のジェネリック薬を日本で販売しようとする際の障壁(例:日本人を被験者とした治験が必要)という2つの規制により、日本の製薬産業は、無理して革新的創薬にチャレンジせずとも、ジェネリック薬や長期収載品の販売により生き残ることが可能になっている。
こうした独自の市場は、20年前の国内金融市場にとても良く似ている。多数の銀行が乱立し、護送船団方式で世界から隔離されながら生き残ってきたが、結局、そのツケは国民が支払った。
競争力をつけるためには競争をするしか無い。日本版NIHの議論から見えてくる我が国の医学研究における課題は、実は構造的な問題なのだ。
そのためには早急なシステム設計の改変が必要だ。そして、それは、国境を越えた多様な人材と公正な評価に基づく競争をもたらすものであることが条件だ。
日本版NIHの設立を「メディカル・ビッグバン」の契機にはできないだろうか。