(注:開戦当時の記述です/拙著「小泉政治の正体」/PHP2004年11月刊より)
また、今回の自衛隊派遣の根拠法、「イラク特措法」は、頭の中だけで考えた「机上の空論」法と言わなければならない。「非戦闘地域に限り、かつ武力行使はしない」から合憲と、机の上で役人が文章を書けば簡単に法律はできるが、それでは、あまりにもイラクの現実を無視している。
少し考えてみればわかる。小泉首相は、「自衛隊は人道復興支援に行くのだから問題はない」と言う。しかし、戦争状態にあるイラクで、仮に、自衛隊がテロやゲリラに襲われれば、身を守るために本格的な戦闘状態に入ることは必定だ。そうなれば、それは、憲法で禁止された武力行使ではないのか。また、米英国統治下における、治安維持を担う米英軍とともに行う軍事行動ではないのか。そうであれば、政府が、これまで憲法上許されないとしていた「集団的自衛権の行使」に当たる。
「いや、自衛隊は武力行使はしない。あくまでも正当防衛の範囲内での武器使用が許されるにすぎない」との反論もあろう。しかし、「正当防衛」とは、およそ平和な日本に住む、我々の日常生活で認められた権利だ。そのような極めて限定的な応戦の権限しか与えないでおいて、まさかの自衛隊員の死傷といった事態に、それでは一体誰が責任をとるというのであろうか。
いや現実には、戦争状態にあるイラクで、正当防衛の範囲内でしか戦闘行為が行われないと考える方が大変不自然であろう。結局、結果的には、憲法九条に抵触する事態を招来してしまうということになるのだ。
イラク特措法は、そういう危険にあえて目をつぶり、集団的自衛権の議論を素通りした上で、「対米忠誠心の証」を示すだけの法律と言わざるを得ない。それにしてはあまりにも深刻な問題だ。
根拠法だけでなく、イラクへの自衛隊派遣を審議すべき国会でも、その国会承認が、委員会での与党の強行採決、本会議では野党欠席という異常事態の下で行われた。
このような国の政策の根幹、ことに安全保障政策に係わることについては、できれば野党第一党の賛成を得て、それがかなわないのであれば、正常な国会審議の下、粛々と採決されるべきなのである。少なくとも、それが、これまでの国会審議の「相場」だった。
ましてや、本件は、戦後初めて、海外の危険な地域に自衛隊を派遣するという、歴史的な政策の大転換を意味する。それが、このような異常な手続きでいとも簡単に行われる。派遣される自衛隊員も浮かばれないし、日本国全体にとっても大変不幸なことだ。
そもそも、その正当性が疑われるイラク戦争、そして、憲法違反の事態さえ想定されるイラク特措法、その杜撰な法律の、その制定手続きにおいてすら瑕疵のある今回の派遣。何をかいわんや、である。
残念だったのは、河野洋平議長の差配だった。議長は、個人的には今回のイラクへの自衛隊派遣は慎重にすべきという立場だったし、若い議員には過去の戦争の歴史をもっと学んで欲しいという考えも度々表明されていた。もちろん、個人の立場と議長という立場は峻別すべき場合もあろう。しかし、野党欠席のままの本会議の、開会のベルを押さないという選択肢は、今回十分にあり得たのである。にもかかわらず、議長の、本件に対する何らかの見解すら表明されず、国会審議は終了してしまった。
(2015年11月 9日「江田けんじ公式ブログ」より転載)