スーパーグローバルスクールと言う前に、英語教育はこれで良いのか。

少子化によって学校も減らざるを得ない状況の中、淘汰する学校と残す学校を仕分けるためでしょうか、文科省が色々な施策を行っているようです。

スーパーグローバルスクールと言う前に、英語教育はこれで良いのか。

少子化によって学校も減らざるを得ない状況の中、淘汰する学校と残す学校を仕分けるためでしょうか、文科省が色々な施策を行っているようです。

その中の一つで、「スーパーグローバルスクール」、「スーパーグローバルスクール」の認定というのも始まりました。

真のグローバルとは、世界でリスペクトされる技能を持っていることでしょうから、別に英語がしゃべれることがグローバルとは言えないでしょう。

英語をしゃべるアメリカ人には、一度も国外に出ないで一生を送る人もいるわけですから。

とはいえ、自分の考えていることや、技術者ならば自分の技術を世界で認めてもらうには、余程とび抜けた実績でもない限りは、共通言語である英語ができないと自分が損をしてしまう。

英語がデファクトなので、逆らっても仕方ない、ということです。

実際のところ、英語教育はどうなっているのかと調べてみると、これだけ文科省が「グローバル」の旗を振っている割には、必ずしも英語教育が強化されているわけでもないようです。

中学生が学ぶ英単語数を調べてみますと、

・昔は1100-1300語

・2002年にゆとり教育で900語に減少

・2012年に1200語に復帰

と、ゆとり教育でゆるゆるになってしまった分を、ようやく挽回して昔に戻っただけのようです。

その一方、首都圏の中高一貫校では、東大に行けるような学生でも、学部から海外の大学に行く事例も増えてきているようです。

例えば、中学入試ではダントツの最難関で卒業生の7割が東大に進学する、筑波大学付属駒場高校(筑駒)の進学先を見ると、オックスフォードに進学している人もいるのですね。

人数としては最も多く東大に進学する生徒が多い開成も最近は海外志向なのでしょうか、進路を見ると東大とハーバードなどの海外の大学しか書いてありません。京大さえ書いていない、というのは驚きました。

グローバル志向の学校として有名でスーパーグローバルハイスクールにも選ばれている渋谷幕張の卒業生の進路を見ると、かなりの数の卒業生が海外の大学に進学しているようです。

海外の大学に進学する生徒は元々英語に不自由しない帰国子女が多いのでしょうが、必ずしも帰国子女だけではない、とも聞いています。

そうした子供たちは、どのような英語教育を受けているのか。

私立の中高一貫校では、英語に限らないかもしれませんが、文部省の規定とはおおよそかけ離れた教育をしているのが実情のようです。

例えば、最も難易度が高いとも言われるNew Treasureという教科書では3000語と、認定教科書の3倍もの単語を中学で学ぶようです。

そうでなくとも、中高一貫校では中2までに中学の範囲を終えて、中3からは高校の内容に入るので、公立とは進み方が違います。学ぶスピードだけでなく、内容も全然違うことに、驚きました。

実際の教育の現場でどのように教えられているか、私にはわかりませんが、教科書の規定だけでもこれだけの差があるのですから、きっと学ぶ密度には圧倒的な違いがあるのでしょう。

私立ではこれだけの勉強をさせているのでしたら、それをこなすことができた子は、高校卒業時に留学できるくらいの語学力がつくのかもしれません。

教育で常に難しいのは、誰を対象にするかということ。現実的には、人によって学ぶスピードが違うことは、仕方の無いことで、誰に対しても同じ教育をすることは現実の世界では難しい。

学ぶのが遅い子に合わせたら、できる子にはどうしても、物足りない内容になってしまう。

英語に限るわけではありませんが、能力がある子にはより高いレベルの教育を受けるチャンスができたら良いのに、と考えてしまいました。そうした施策の一つが、公立の中高一貫校なのでしょうかね。

杉並区立和田中学校で藤原和博さんが校長になられて、新しい取り組みを色々されていたことを考えると、校長先生の判断でできる子をより引き上げる教育というのも実施できるのでしょうか。

以上は、たまたま海外大学への進学の例を取り上げましたが、日本の大学に進学する人も英語だけは、学校教育や受験の範囲にとらわれずに勉強しておいた方が良い。

きっと仕事では英語を使うから。

私の場合は受験勉強の英語ではそれなりのレベルだったと思います。東大の入試でも数学よりも英語の点を稼いで入学したタイプだったと思います。

しかし、そんな英語のレベルでは海外企業との共同研究などの仕事の実戦では全く役に立たず、MBAに留学した時は自分だけ何を言っているかわからないためにバカにされる、という屈辱的な経験もしました。

言いたいことがあるのに表現できないことがいかに悔しいか。

サッカー日本代表でイングランドのサウサンプトンに所属する吉田麻也選手が語る、吉田が日本の英語教育を問題視「話せなければチャンスがないも同然」というのは良くわかります。

吉田選手の場合はサッカー、私の場合は技術という本業の実力があっても、コミュニケーションの手段に過ぎない英語ができなければ、チャンスが減ってしまうのが現実です。

私の場合は英語の重要性を気づいたのは就職した後。社会に出てから必死に英語を勉強しました。大学を卒業してから最も勉強したのはおそらく英語でしょう。語学は若い時ほど修得が早いので、中高生の時にもっとやっておけば良かった、と今でも思います。

(2015-05-10 「竹内研究室の日記」より転載)

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