「最強将棋ソフトの勝ち方」と「スティーブ・ジョブズの遺言」

「コンピュータには大局観がなく損得計算しかできないが、プロ棋士には読みの数ではコンピュータに負けるかもしれないが"大局観"がある」という一般人の思い込みは「間違い」だってことでした。

久保明教さんという方が書かれた文章が、あまりにも見事でシビレました。

将棋の電王戦(コンピュータとプロ棋士との対戦イベント)について、一戦ごとの戦いの詳細に踏み入りながら、将棋マニア以外にも「そこで起きていること」が理解できるだけでなく、「人間と人工知能との付き合いが生み出す未来」についての考察も読ませる展開で。

ほんと良い文章だと思ったので、ぜひリンク先をお読みください。

いくつも読ませる部分があったんですが、非常になるほどと思ったのは、

「コンピュータには大局観がなく損得計算しかできないが、プロ棋士には読みの数ではコンピュータに負けるかもしれないが"大局観"がある」

という一般人の思い込みは

「間違い」

だってことでした。

そうではなくて、

「コンピュータにはコンピュータなりの大局観」がある

しかもそれは、

「人間のプロ棋士が持っている"線"の大局観」とは別の「"点"の大局観」とも言えるものだ

・・・という指摘には、非常に目が開かされました。

一回一回、「その場の最善」を読み直して世界観を組み直すコンピュータに対して、人間は「こうなってこうなってこうなってこう」という「線の繋がり」で読みがちである。

その違いが対戦のどういう局面で現れてどういう結果を生み出したのかは、冒頭のリンク先の文章を読んでいただくとして、私がこの久保氏の文章でなるほどと思ったのは、そうやって「線の大局観」が生々しい「点」とぶつかって崩壊することによって、

「自らを支えてきた前提が崩れたとき、私たちは激しく痛んだ剥き出しの身体を抱えて途方に暮れる。だが、その激しい痛みの中でこそ「すべきこと」や「わかっていること」に守られた領域の外へと踏み出していく「楽しさ」が生まれるのではないだろうか。機械と人間の相互作用を通じて機械はバグにまみれ人間はある種の病を抱え込む。しかしその過程を通じてこそ、計算する知性と人間的な知性が同時にその姿を変えながら共存していく未来への道筋が現れるだろう。」

いいですねえ。名文ですねえ。ここの部分以下も実に読ませるのでぜひリンク先へどうぞ。

で、こういう話を聞いていてふと私は、あのスティーブ・ジョブズが「遺言」みたいな形でスタンフォード大学の卒業式で語っていた「点と線の関係」の話を連想しました。

将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。

今、ありとあらゆる「人間社会の過去の遺産」的なものは、すべて「計算する知性」的なもの=グローバリズム的な透明度の高いシステムとのぶつかり合いの中で、今までの惰性的な前提を崩され、

"私たちは激しく痛んだ剥き出しの身体を抱えて途方に暮れ"

つつあります。

しかしその両者のぶつかり合いの中に真摯に向かい合い続ければ、そこに過去の前提を全て洗い流した上での「あたらしい知性」「あたらしい社会の運営方法」「あたらしい経済の運営方法」も、あくまでも現地現物との向かい合いの中で生み出されていくでしょう。

まさに、

しかしその過程を通じてこそ、計算する知性と人間的な知性が同時にその姿を変えながら共存していく未来への道筋が現れるだろう。

です。

我々が「生身なもの」にぶつかり合いたくないばかりに必死に逃げ込んでいた「線の大局観」は常に潰されていく。

「アラブの春」に続く中東情勢の混乱も、スノーデン氏の暴露も、ウクライナ情勢の紛糾も、

「欧米由来の社会運営方法」という「今までの惰性的なもの」に包含していた「無理」

が、

「ITがどこまでも透明化していくメカニズム」によって露呈してきた現象

だと言えるでしょう。

しかし、そういう情勢が混乱に向かえば向かうほど、過去100年以上常に「東西文明の矛盾を最先端で丸呑みにしながら生きてきた我々日本人」の可能性を大きくクローズアップしてくれるようになるでしょう。

今までの「線」的な思い込みは常に崩壊していく時代ですが、混乱の先に与えられる「点」から常に「線」を描こうとし続けていれば、後から見れば見事な「大局観を持った"線"」と評価されるような道に持っていけるでしょう。

過去20年間、あらゆる「身軽」な国たちに、終わった国扱いされ続けてきた、この国の「どちらにも進め無さ」の混乱の中で培ってきた「違和感」を、諦めずに形にしていくことが、これからの我々のチャレンジなわけですね。

私はそれを、「項羽と劉邦作戦」と呼んでいます。

明晰なリーダーシップと単純明快な行動力で覇権を握りかけた項羽が、そのプロセスで踏みにじってしまったものたちの怨念を、一切合切吸収して結局次の時代の覇権を取った"劉邦"のように。

ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュで行きましょう。

「人工的でデジタルなシステム」と、「その外側にある世界」とのぶつかり合いの最前線に、あくまでも現地現物で独自の答えを出し続けるトップランナーとして。

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

ツイッター→@keizokuramoto

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