先日内容がウェブ公表された政府の「一億総活躍社会に関する意見交換会(2015年11月18日)」において家族人口学者の加藤彰彦氏が行った「『希望出生率1.8』をいかにして実現するか」の報告内容には大きな違和感を覚えるので、それについて議論したい。
加藤氏は少子化対策で今まで見落とされていた重要な論点の1つは「少子化が進む中で出生率を下支えしてきたのは伝統的家族である」と主張し、結論でも伝統的拡大家族(夫の親との三世代同居)と伝統的家族観の保持が希望出生率1.8の実現の「レバレッジ・ポイント」の最重要項目としている。
加藤氏の論拠は彼が「少子化・人口減少の意味」と題して『比較家族研究』で発表した論文で、全国調査のデータを用い出生ハザード率(出生率を個人レベルで想定したもの)に対し、他の決定要因を制御して、親との「遠居」に比べ、「夫の親との同居」が有意に高い出生率を持ち、その傾向は第1子目、2子目、3子目と後になるほどより顕著になるという結果を報告している。
ちなみに「妻の親との同居」「夫の親との近居」の場合は第1子目は弱い影響だが出生率がやや高まる傾向がみられるが、第2子目以降の出生率は「遠居」の場合と変わらない。また「妻の親との近居」は「遠居」の場合と全く変わらない、と報告している。なお「同居」「近居」「遠居」の区別は結婚時で特徴付けている。
出生率が親との同居と関連するメカニズムは?
実は筆者もかつて家計経済研究所のパネル調査を用いて親との同居の出生率への影響を見たが、そのときには「夫の親」と「妻の親」を区別しなかったせいか、有意な影響は見られなかった。なお同じ家計経済研究所データを分析した樋口美雄・阿部正浩(1999)論文(「経済変動と女性の結婚・出産・就業のタイミング」、樋口美雄・岩田正美(編)『パネルデータからみた現代女性』)は親との同居は有配偶女性の継続就業を促進すると結論している。
今回の加藤氏の論文では、主たる見かけ上の関連を生み出す要因(以下交絡要因という)は、下記の2点を除き、制御しているように思える。たとえば東京都は出生率も親との同居率も低いなど都市の規模が2つの率に負に影響することはよく知られているが、加藤氏の分析ではそれは制御している。
筆者の考える第1の交絡要因はいわゆる「できちゃった婚」の影響である。わが国の第1子出産は妊娠時が結婚時に先んじることが多く、筆者の家計経済研究所データからの推定でも4分の1以上であった。できちゃった婚の場合、出産を見越して結婚時に親と同居をすることが考えられる。つまり高い出生率が期待される夫婦が同居するという逆向きの因果的影響である。
実際加藤氏の論文でも第1子の出生率が率の上で最も高かったのは(数が少ないため統計的にはより弱い結果なのだが)「夫の親との同居」の場合ではなく、むしろ「妻の親との同居」の場合であった。従って「妻の親との同居」「夫の親との同居」にかかわらず「親との同居」の第1子出生率の高さは婚前妊娠の同居への影響であり、同居の出生率への影響ではない可能性が非常に高い。
しかし、上記の議論は第2子目、3子目の結果は説明しない。できちゃった婚の影響は第1子目の結果のみに当てはまるからである。ここで2番目の交絡要因が関係するのだが、それは結婚時の希望子供数の違いである。これを加藤氏の分析は制御していない。
他方加藤氏は「伝統的家族観を保持する夫婦は出生意欲が非常に高い」としている。この「意欲」がもし結婚時での希望子供数の違いを反映し、多くの子供を希望する夫婦ほど「夫の親との同居」を選ぶ傾向があるのなら、「夫の親との同居」が他の場合より、第2子目、3子目の出生率が高いのは、同居の影響ではなく、もともとの希望の違いの影響となる。もしそうならば、夫の親との三世代同居を推進しても出生率を高めることはない。
しかし筆者自身は結婚時での「希望子供数」と「夫の親との同居」の関連が、出生率の違いをすべては説明しないだろうと見ている。つまり同居の出生率への影響について因果的影響があると推測しているのである。加藤氏の提言への違和感はむしろその因果関係の解釈にある。
「夫の親との同居」が「遠居」に比べ因果的に第2子目、3子目の出生率を高めるとき、そのメカニズムには以下の2つの全く異なるものが考えられる。
(1)遠居の場合、仕事と家庭の役割の両立がより難しいなどの理由から、さらなる出産を断念する(出産希望はあるが実現しない)可能性が夫の親との同居の場合より大きい。
(2)夫の親との同居の場合、妻の希望以上に、出産を促される家庭の規範環境があるために、遠居に比べ比較的高い出生率が生じる。
加藤氏は(1)の解釈を暗黙の前提にし、そのため「希望出生率1.8」の実現には夫の親との同居が重要と結論していると思われる。しかしこの解釈は妥当であろうか? 社会学では同居について伝統的な「夫の親との同居」と非伝統的な「妻の親との同居」を比較した重要な分析結果がある。
英文だが米国社会学の一流紙である米国社会学評論(American Sociological Review)に1983年にフィリップ・モーガンと廣島清志が発表した「日本における拡大家族の持続:時代錯誤か新たな戦略か(山口訳)」という論文は、拡大家族の当時の「現代日本」における機能を論じ、拡大家族と高い出生率との関係も示したが、特に数の上では少ない非伝統的な「妻の親との同居」のほうが伝統的な「夫の親との同居」より機能的に優れている点をいくつか示している。
それは、妻の家事へのサポートが実母の場合義母より上回ること、妻の親との同居の方が妻の満足度が高いこと、夫の親との同居はより大きな夫婦の年齢差とも関連し、夫婦間の意思決定の不平等と結びつきやすいが、妻の親との同居にその傾向は見られないこと、などである。古い家父長制度的家族のあり方とまではいえないにしても、夫の親との同居の基では妻の意思は尊重されにくい。
少子化対策は個人がより自由に生き生きと生きられる社会の実現を通じて
加藤氏の分析結果で見逃せないのは第2子、3子への出生率について「妻の親との同居」の場合は出生率が高くならないことである。これは上記の(1)の解釈と矛盾する。妻の親との同居の場合妻へのサポートは夫の親との同居に比べてより充実すると期待され、「妻の親との同居」のみ出産断念の傾向に結びつくとは全く考えられないからである。
一方上記の(2)の解釈はこの事実と矛盾が無く、モーガン・廣島の洞察とも整合する。希望によらず妻が出産せざるを得なくなる規範環境は夫の親との同居でのみ、より生じやすいと考えられるからである。
少子化対策は重要である。しかしそれ以上に重要なのは性別にかかわらず、個人がより自由に生き生きと生きられることで活躍できる社会の実現である。筆者の加藤論文結果の解釈が正しいなら、加藤氏の政策提言は肝心のところでわが国の社会が今後進むべき道について、根本的にミスリーディングなものであると断ぜざるを得ない。
希望子供数の実現は、「伝統的拡大家族」の社会圧力ではなく、夫婦による子育ての喜びが、子育てに伴って失う物のコストを上回る社会を実現することで達成すべきであり、それは個人が生き生きと生きられる社会の実現と矛盾しない。
(2015年12月21日「経済産業研究所(RIETI)ウェブサイト」より転載)