"インターネットのグランドファーザー"が語る「次の10年はさらにワイルドになる」

「我々はインターネットによって世界を変えた。だが、その変化の過程で、世界を破壊してまう可能性もある」

米国防総省の実験ネットワークだったインターネットを、世界規模の通信インフラへと普及させた中心人物、デビッド・ファーバー氏(84)は、"インターネットのグランドファーザー(祖父)"と呼ばれる。慶応大学が今春新設した「サイバー文明研究センター」の共同センター長を務めるファーバー氏に、インターネットの広がりと課題について聞いた。

慶応大学の研究室で「これからの10年、インターネットはさらにワイルドになる」と語るデビッド・ファーバー氏=18日、東京・三田

――ファーバーさんは"インターネットのグランドファーザー"と言われていますね。ファーバーさんの元からは、インターネットの基礎を築いた多彩な人材が輩出しています。インターネットの膨大な技術仕様文書「RFC」の管理や、IPアドレス・ドメイン名の管理組織「IANA」を主導するなど多彩な貢献をし、"インターネットの神"とも呼ばれた故ジョン・ポステル・南カリフォルニア大学教授も、その一人ですね。

ジョン・ポステルはUCLAの博士課程にいて、ネットワーク接続の「プロトコル検証」というテーマで博士論文を書こうとしていた。ところが当時は、そんな分野に関心のある教員がUCLAでは見つからなかったため、カリフォルニア大学アーバイン校(UCI)にいて、分散コンピューティングが専門の私のところに依頼があり、論文指導教官になったんだ。

コンピューターのネットワーク接続で、プロトコルをどう検証するかなんて、当時は誰も知らない、全く新しい研究だった。そして、その論文は素晴らしいものだった。

その他にも、インターネットの基盤技術「ドメインネームシステムDNS)」を、ジョン・ポステルとともに開発したポール・モカペトリスも博士課程の学生の1人だった。DNSというのは、ネット上の名前から、その電話番号にたどり着くことができる辞書のような機能だ。

ほかに、電子メールのプロトコルなどに取り組んだデイブ・クロッカーもいる。

――国防予算の実験プロジェクトだったコンピューターネットワーク「ARPANET(アーパネット)」はインターネットの源流として知られていますが、これを国際規模のネットワークに広げたのが1980年代初めに開設された学術ネットワーク「CSNET(コンピューター・サイエンス・ネットワーク)」でした。この立ち上げと運営を担ったのがファーバーさんですね。

当時、多くの大学にはコンピューターサイエンス系の学部ができていたが、予算は限られていた。そして、「ARPANET」に接続するには、「IMP(インターフェイス・メッセージ・プロセッサー)」と呼ばれる巨大なルーターが必要で、それを含めて多額の費用がかかった。だから、接続されていたのは大学は数えるほど。ほとんどの大学は接続することができなかった。

そこでウィスコンシン大学のラリー・ランドウィーバー教授らが、「ARPANET」の技術を使いながら安価に接続できる「CSNET」の計画を立て、1979年に提案書をまとめて全米科学財団(NSF)に資金提供を依頼する。だが、これは一度は却下された。そこで、ランドウィーバーと私、あと数人が加わって提案書を練り直し、1980年に助成金(500万ドル)を得ることができたんだ。デイブ・クロッカーもこのプロジェクトに携わっていた。

1981年にスタートしたCSNETで、私はランドウィーバーらとともに、運営チームを担った。CSNETには、私が当時いたデラウェア大学、ランドウィーバーのウィスコンシン大学、さらにランド研究所などが参加した。「ARPANET」にも接続されていたデラウェア大学は、メインのスイッチングポイントの役目を担った。つまりは郵便局のようなものだ。

当初は大学のコンピューターサイエンス系の学部だけが接続していたが、民間の研究機関もつながせて欲しいと言ってきた。ネットワーク環境が広がり、ネットワークに接続していない研究所には、大学院を出た人材が行きたがらない、という事情があった。

そこで接続料を、大学は年間5000ドル程度、予算のある民間研究機関は2万5000ドル程度、という運用をしていた。

また、大学でもコンピューターサイエンス系の学部だけでなく、ビジネス系の学部など、他学部からも接続要請が出るようになった。

――国内だけではなく、海外との接続も行われるようになりましたね。

韓国、中国など、海外の国々もそれぞれのネットワークを構築し、CSNETに接続したいと要請が来た。"日本のインターネットの父"村井純さんたちのネットワーク「JUNET」からも接続要請があり、接続用のソフトウェアのテープを持って当時、日本も訪れた。日本は1986年にCSNETに接続され、インターネットとつながった。その意味では私は"日本のインターネットの祖父"に当たるのかもしれない。

「サイバー文明研究センター」開設イベントに登壇するデビッド・ファーバー氏(左から2人目)=18日、慶応・三田キャンパス

このように拡張を続けたため、CSNETは1985年から、コンピューターサイエンス分野に限定しない、「NSFNET(全米科学財団ネットワーク)」へと衣替えをしていく。私はその諮問委員会の委員長を務めた。

この頃にはあらゆる大学がNSFNETにつながり、ARPANETの通信プロトコル「TCPIP」は至るところに広がっていく。一方で、ARPANET自体は徐々に古びたものになり、役目を終えていった(1990年に終了)。

学術目的に限っていたNSFNETも、1991年には商用目的の利用を認めるようになる。その頃には、パソコンも普及し、大学でも企業でもない個人が、電話線にモデムをつなげてネットワークを使うようになる。ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)も登場した。

私たちは「つなぎたいという人は誰でもつなげるべきだ」と考えた。CSNETとNSFNETの10年で、国防予算の実験ネットワークだったインターネットは、世界規模で、誰もが個人でも使えるネットワークへと広がっていった。より成熟した、全米の、そして世界的な資源になったわけだ。

――90年代前半には、通信プロトコル「TCP/IP」を開発した"インターネットの父"の1人、ロバート・カーン氏とともに、通信の高速化プロジェクト「ギガビット・テストベッド」を進めています。インターネットのブロードバンド化の取り組みですね。

ネットワークは拡大を続け、高速化が必要なことは目に見えていた。そこで、キロビット(1,000ビット/秒)という単位ではなく、ギガビット(10億ビット/秒)の高速ネットワーク構築の提案を出した。

この時に必要だったのが、大学と産業界との連携だ。大学にはテクノロジーはあるが、現実の回線を敷くことができるのは、通信会社だ。両者の協力があって、初めてこのプロジェクトは可能になった。

――ファーバーさんは、「情報スーパーハイウェイ」を掲げたクリントン政権で、1997年にできたIT政策に関する大統領情報技術諮問委員会(PITAC)のメンバー、さらに2000年には米連邦通信委員会(FCC)のチーフテクノロジストにも就任。米国の通信政策の仕事もされていますね。2000年といえば、1月にAOL(現・Oath)が1470億ドルでタイム・ワーナーの買収を発表するという、インターネットとメディアの激変を象徴するような出来事もありました。

PITACでは、社会インフラとなったインターネット上にどんなサービスを構築するのか、ブロードバンドをどうするか、といったテクロジー、政策をめぐる、取り組まねばならない山ほどの課題があった。いずれも、テクノロジーの知見と政策の知見が密接に絡み合うテーマで、私はテクノロジーの側から政策に関わるという立場だった。

これはFCCでも同じだった。私が就任したチーフテクノロジストとは、技術的な見地からFCCの委員たちにアドバイスする役目だ。特にインターネットにまつわる課題が非常に多かった。電話業界は、インターネットのアプリケーションの一つになりつつあった。ブロードバンドはますます重要になっていた。企業もこれが鉱脈であることを理解し始め、規制の議論も出始めていた。

AOLとタイム・ワーナーの合併は、まさにFCCで私も調査に関わった案件だ。買収のような案件はビジネス取引であり、通常は連邦取引委員会(FTC)が扱う。ただ、AOLは通信に関連するライセンスを受けており、FCCの所管でもあった。

主に議論したのは合併についての条件だ。AOLは独自プロトコルによる会員向けのメッセージサービス(AOLインスタントメッセンジャー)を提供していたが、我々は合併の条件として、それを他の事業者にも開放するように要求した。結局、開放されることはなかったが。FCCで取り組んだのは、そんなことだ。

――ファーバーさんの目から見て、現在のインターネットの問題点とはどんなことでしょうか。

インターネットの開発そのものが実験だった。プロトコルの開発など、これまで膨大な課題に取り組んできた。その中で、セキュリティは、あまり重要視されてこなかった。インターネットの開発に関わっていたのは、ごく限られた数百人程度の人々で、多くは学生だった。みんな顔見知りだったから、セキュリティ問題というものが存在しなかった。

インターネットがアカデミズムの世界から拡大し、億単位の人々が使うようになることで、問題が顕在化していった。セキュリティが、極めて重要な問題になってきた。

現在のインターネットのプロトコルはセキュア(安全)とは言えないし、セキュアなものにするのも極めて難しい。あちこちにセキュリティの「穴」があり、日々、誰かが新しい「穴」を見つけている。DNS一つとってもセキュアとは言えない。たとえ一つの「穴」をふさいでも、ほかにもいくつもの「穴」が残る。

なぜなら、インターネットを開発していく過程で、現在のような規模に発展することを予想できた人間は誰もいなかったからだ。

ネットワークだけではなく、パソコンにもセキュリティの「穴」はある。ウィンドウズ、マックOS、といった基本ソフトにもそれぞれにセキュリティ問題はある。ソフトウェアのアップデートは大概がセキュリティ上の修正だ。

つまり、根本的な問題がそこにある、ということだ。それへの対応策を見通すことすら難しい。

インターネットの利用目的がフェイスブックだけなら、どうということはない。だが、重要施設、たとえば電力系統の場合は、そうはいかない。水道のシステムや金融システムもそうだ。インターネットはそういった重要インフラに使われるようになっている。これが、最大の懸念だ。

サイバー攻撃で、電力系統が停止してしまったらどうなるか。米国の大統領選もサイバー攻撃の標的になったし、英国では昨年、サイバー攻撃で医療システムが停止するという事件もあった。

この問題は、パッチ(修正プログラム)をあてるだけではどうにもならない。インターネットの新たなデザインが必要だ。いったん根本に立ち返って、こういった重要なインフラに関して、はるかにセキュアなシステムのデザインを、検討するべきだろう。

――インターネットの"主役"も今や、パソコンからスマートフォンに変わってきました。

1950年代半ば、私は大学を出た後、ベル研究所に就職した。当時最先端だった研究所の世界最大のコンピューターより、今、私が手に持っているスマートフォンの方がより高性能だ。しかも、誰もがそれを手にしている。

これは、恐ろしくもあり、素晴らしいことでもある。世界は変わり、社会も変化し、新たな環境へと足を踏み入れつつある。

かつて農耕が登場することですべてを変えたし、産業革命もすべてを変えた。さらに電信の登場で、世界は劇的に変わった。これらすべてのテクノロジーが、生活のスタイルを変えた。

インターネットの登場によって、国境という区分けが難しくなった。誰もがつながったが、一方でそこにフェイクニュースも流れ、社会の混乱を招いている。メキシコのように、サイバー犯罪に対処しようにも、法整備が追いついていない地域もある。

――フェイスブックやグーグルによる、インターネット上のデータ支配も起きています。

これも大きな問題だ。しかも、彼らは膨大なデータを収集し、深層学習でパターンマッチング(照合)を行いながら、私のことを勝手に判断する。例えば、SFの『マイノリティ・リポート』のように、このパターンの行動は将来、犯罪を犯しそうだ、と犯罪の実行前に逮捕される、ということも起きるかも知れない。

中国で行われている、「社会信用スコア」のシステムは、極めてそれに近いものだ。このようなデータ解析により、人々が差別を受けることは、防止していかなくてはならない。ただやっかいなのは、深層学習のモデルはあまりに複雑で、どの結果が正しく、どの結果が間違っているのか、判断ができないことだ。

――インターネットをめぐるこれらの問題に、私たちはどう対処すればいいんでしょうか。

我々はインターネットによって世界を変えた。だが、その変化の過程で、世界を破壊してまう可能性もある。それは防がねばならない。

デビッド・ファーバー氏(左)とともに「サイバー文明研究センター」共同センター長を務める村井純氏=18日、慶応・三田キャンパス

インターネットの黎明期から現在までを、私は「ワイルドな35年」と呼んでいる。この間に、実に多くの変化が起きた。だが、これからの10年は、その変化の密度はますます高まり、「よりワイルド」な変化があるだろう。我々が予測もできないことが起き始めるかもしれない。

例えば、過去の自分のデータから、自分ならこう行動するだろうという"自分のコピー"ができるかもしれない。"自分のコピー"が、自分に代わって他人と適切なコミュニケーションをしてくれる、ということだ。実現すれば、世界は変わるだろう。

それが世界をよくするか、悪くするかはわからない。ただ、間違った方向に行かないためには、起きうるすべてのシナリオを検討することだ。起きうるシナリオを吟味し、その結果を見通す。それぞれのシナリオの帰結からきちんと学ぶことができれば、何がうまくいき、何がうまくいかないのかがわかるだろう。

我々はこれまでも、幾度となくこのやり方で将来を見通してきた。それが、この「サイバー文明研究センター」の目指すところでもある。

多様なカルチャーを取り込むことで、未来を見通す。そのためには、アジアと欧米文化との架け橋としての日本の役割は重要だ。私が日本に来た理由もそこにある。

それに、"日本のインターネットの祖父"でもあるし(笑い)。

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(2018年7月21日「新聞紙学的」より転載)

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