アメリカのラスベガスで10月1日に起きた銃乱射事件は、少なくとも59人が死亡、500人以上が負傷するという最悪の事態になった。アメリカはもちろん、日本のメディアも連日、大きく報道した。
そんな中、気になるニュースがあった。それは容疑者の男が所持していた銃の中に、カラシニコフ自動小銃「AK-47」があったという話だ。
男が現場に持ち込んだ銃は20丁以上あったが、カラシニコフ銃については名指しする記事が多かった印象を受ける。
カラシニコフ銃は世界各地の紛争地やテロ事件などで使われ、「史上最悪の大量殺戮兵器」と言われる。いわくつきの武器を持っていたと報じることで、容疑者の残虐性や暴力性を際立たせることができる--。そんな意図がメディア側にあったのかもしれない。
だが、この銃の発明者は、自分の銃がテロリストや武装勢力に使われることを生涯、思い悩んでいた。
私は朝日新聞モスクワ支局員だった2012年、カラシニコフ銃について取材したことがる。当時、この銃を製造していたメーカー「イジマシュ」が倒産し、ロシアではちょっとした騒ぎになっていたからだ。
不振の原因はカラシニコフ銃の競争力の低下にあった。欧米のハイテク化された製品に押され、受注量が減少。「身内」であるはずのロシア軍からも、在庫のだぶつきと性能の時代遅れを理由に注文がストップした。国営企業の傘下に入るなどの再建策が取られたが、新型の商品化はめどが立たず、先行きは不透明だった。
私はイジマシュの工場があるロシア西部の都市イジェフスクを訪ね、関係者を取材した。
「カラシニコフ」というのは、この銃を発明した男の名前だ。フルネームはミハイル・カラシニコフ氏という。彼が銃の開発を始めた背景には、祖国ソ連(ロシアの前身)をナチス・ドイツから守りたいという思いがあった。
ときは70年以上前。ソ連がドイツと戦い始めて間もなくの1941年10月、ソ連軍の戦車長だったカラシニコフ氏は戦闘で負傷した。その際、ドイツ軍に比べてソ連軍の自動火器が劣っていることを痛感し、新しい銃の開発を決意した。
戦いは1945年、ソ連側の勝利で終わった。戦争には間に合わなかったが、カラシニコフ氏は1947年に銃を完成させた。それがラスベガスの事件でも使われた「AK-47」だった。AKは、「アフタマート(「自動小銃」を意味するロシア語)」と「カラシニコフ」の頭文字を、47は「1947年」を表している。
戦争が終わってもカラシニコフ銃は重宝された。第二次世界大戦の終わりは、冷戦という名の新たな戦争の始まりでもあったからだ。世界は、ソ連を中心とする共産主義・社会主義陣営と、アメリカが率いる資本主義・自由主義陣営とに分かれて対立した。
カラシニコフ銃は性能の高さに加え、構造の単純さと厳しい気候条件でも壊れない頑丈さを兼ね備えていた。そのため、ソ連軍だけでなく旧共産圏に広く普及。シリーズ化もされ、様々な改良品も造られた。
旧ソ連とロシアを通じて直接製造されたカラシニコフ銃は約7000万丁。他国によるライセンス生産分も含めると、約1億丁が造られたという。これだけでもおびただしい数だが、膨大な数の非正規品も出回り、紛争やテロ事件などで使われるようになった。戦後、多くの人の命を奪い続けたのは核兵器ではなく、一つの自動小銃だった。
イジマシュが工場近くに建てた自社の博物館には、カラシニコフ氏が開発した歴代の銃や、国から贈られた賞状やメダルなどが飾られている。取材していると、子どもたちがぞろぞろとやって来た。地元の学校が社会科見学先にしているとのことだった。ロシア人にとって、彼はまぎれもない英雄なのだ。
一連の取材で悔やまれるのは、カラシニコフ氏本人に会えなかったことだ。高齢な上に体調を崩しており、インタビューに耐えうる状態ではなかった。「いつか話を聞いてみたい」。そう思っていたが、その願いはついにかなわなかった。2013年12月23日、カラシニコフ氏は亡くなった。94歳だった。
彼は生前、自分の銃がテロリストや武装勢力に使われていることについてロシア人記者から問われ、こう答えている。「私は祖国を守るために銃を造ったのであって、武装勢力の紛争のために造ったのではない。もし武器が不正義の戦争に使われているのだとしたら、それは開発者ではなく、政治家たちの責任だ」
だが、カラシニコフ氏は苦悩していた。亡くなる8カ月前、彼はロシア正教会トップのキリル総主教に次のような手紙を送っていた。「私には、堪え難い心の痛みが一つあります。それは未解決の問題です。もし私の銃が人々の命を奪ったとしたら、たとえその人たちが敵であったとしても、信仰上の罪があるのでしょうか」
カラシニコフ氏が亡くなった後も、世界のどこかでカラシニコフ銃で殺される人が後を絶たない。ラスベガスの事件のように。そしてこのような悲劇が起きるたび、私は胸を痛める。犠牲者と、カラシニコフ氏のことを思って。