8月6日の広島原爆投下の日を機に、私の住むアメリカのネット上では広島・長崎への原爆投下の是非を問う議論が活発化しています。
複数のニュースやコラムを読んでみると、アメリカ内でもこの話題は賛否両論分かれるようで、メディアの主張は大きく3タイプに分かれることがわかりました。
⑴原爆是非の正解はない(が、繰り返してはいけない)
⑵間違っていた
⑶正しかった
⑴のパターンは例えばForbesの記事"Why We Should Remember Hiroshima And Nagasaki"(なぜ我々は広島・長崎を覚えておくべきなのか)
これは比較的ニュートラルな立場から、この70年間の両国の歩み寄りに言及している印象です。日米手を取り合って、2度と戦火の過ちを繰り返さないように、きちんと過去と向き合って前進しようという論調。
NY Timesもこれに近い立場で、"Anniversary of Hiroshima and Nagasaki Revives Debate Over the Atomic Bomb"(広島・長崎の記念日は原爆の議論を再燃させる)という記事を発表しました。
NY Timesはこの記事とは別に被爆者のインタビューを掲載したり、原爆がなくても日本は降伏する準備をしていたとする見解を紹介する一方、「原爆がなければ、私の祖父は日本侵攻で死んでいただろう」という原爆に肯定的なアメリカ人の意見も掲載し、あくまで中立姿勢のようです。
⑵のパターンは例えばこちらの記事"It's clear the US should not have bombed Hiroshima and Nagasaki"(アメリカが広島・長崎を爆撃すべきでなかったことは明白だ)
これは副題に"ALMOST UNSPEAKABLE"とあるように、あまりアメリカでは一般的な論調とは言えません。
内容としては、人災の大きい広島・長崎に落としたのは外国に恐怖を植え付けるためで、戦争を終結させるためならば東京湾に落とせば良かったという主張。(東京湾が良かったかは別として)これだけ全面的に過ちを認める記事は少数派のようですが、同時にこうした主張がアメリカの一般メディアで堂々と掲載されること自体に、大きな意味があるとも思います。
⑶のパターンは、世界的にも有名なあのWSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)が掲載したこちらの記事が代表例"Thank God for the Atom Bomb"(神様、原爆をありがとう)
日本人としては受け入れ難い内容ですが、「原爆が戦争を終結させ、平和をもたらした」という主張です。
この記事に関して特筆すべきは、約900件ものコメントが寄せられており、その大半が残念ながら筆者の意見に肯定的だということです。ネット住民の意見=一般論と捉えるのは危ういにせよ、やはり「原爆は必要だった」と考えるアメリカ人が多いというのは、強ち間違っていないようです。
一般市民を犠牲にする原爆投下は絶対にあってはならなかったと、私は日本人として確信を持っています。しかしながら、果たして私たちは一方的にアメリカの行為を糾弾して良いのでしょうか。
先日、私が勤務しているマンハッタンのオフィスに、一人のアメリカ人女性がやってきました。「70年前の原爆をお詫びしに来ました。米軍のしたことは間違っていた。」1ミリも戦争に加担していない彼女は、毎年こうして日本人に対して謝罪をしに訪れるそうです。
真珠湾へ先制攻撃を仕掛けた日本軍の是非について、我々は深く考えられているでしょうか。パールハーバーの要因ともなった日中戦争や日本軍による虐殺について、向き合っているでしょうか。史実を学ばずして原爆だけを責めるのは、なんだか少し反則のような罪悪感も覚えます。
アメリカも、日本も、たくさんの過ちを犯し、罪のない多くの命を奪い合いました。70年前の悲劇を乗り越え、先人の血の滲む努力で手に入れた平穏な日々は、今もきちんと平和に向かって進んでいるのでしょうか。
冒頭に紹介したForbesの記事には、こんな一節があります。
Silence about one of the most defining moments in our relationship will only hold us back.
(日米関係における最も決定的な瞬間について沈黙を続けるなら、我々は先へは進めないだろう。)
2015年、遠い故郷日本では、武力行使の是非を問う大きな判断が下されました。唯一の被曝国として、私たちは歴史から何を学び、何を後世に残していくべきなのでしょうか。偏った情報や一方的な意見にとらわれず、あらゆる角度から過去と現在を見つめ、一人一人が自分なりに意見を持ち行動することが大切ではないかと思います。
戦後70年、アメリカに住む日本人として、たくさんの疑問と反省と不安と感謝を抱え、
複雑な気持ちで終戦の日を迎えることになりそうです。