アフリカ滞在、最後の夜。
初めてのアフリカ、そして一人での滞在であったにもかかわらず、「ルワンダ虐殺の跡地訪問」、「元子ども兵の社会復帰施設視察」、「HIV/AIDs遺児の施設訪問」...、様々な活動を終えることが出来た僕は、疲労感と共にある種達成感のようなものを感じ、ルワンダの首都キガリ市内のレストランで最後の夕食を楽しんでいた。
クセの強い羊肉の串焼きと、一人分にしては大き過ぎるオムレツ。しかし、今日を最後にしばらくこのレストランに来ることもできなくなると思うと、その一口一口が愛おしく感じた。
会計を終え、オーナーへの最後の挨拶を済まし、店を出る。停電のせいだろうか、いつもより星がずっと近くに見える。この美しく大きな空とも、しばらくお別れだ。
(ルワンダの美しい空と街並み)
宿泊先へ向かおうと足を動かしたその時、一人の裸足の少年が僕の視界に入った。
恥ずかしそうな、しかし悲しそうな表情を浮かべた彼は、じっと僕の事を見つめていた。直観的に、彼がストリートチルドレン(=路上で生きる子ども)であることを悟った。
「時間もあるし、少し話を聞いてみよう。」
そう思った僕は、近くにいた英語の話せそうな男性を捕まえて、通訳をお願いした。
破れた箇所が目立つボロボロのTシャツと、よれよれのズボン。
彼の名前はテオジョン。10歳。タンザニアとの国境に程近い村から、5日間かけて歩いてきたらしい。
父親が複数の女性と結婚し、実の母親が錯乱。逃げるようにして家出をし、仕事を求めて首都キガリへ。今日到着したばかりらしい。
話を聞くと朝から何も食べていないとのことだったので、隣の屋台で水とドーナツ2つを買って渡した。
よく、「途上国ではストリートチルドレンに物をあげてはいけない。」と言う話を聞くが、僕はあまり気にしていない。目の前の子供が腹を空かせているので、少しの善意と少しのお金で、少しだけ助けてあげる。それに一緒に食べれば、「友人」として仲良くなれる。
周囲の人に話を聞いてみると、キガリ市内にはストリートチルドレンの保護施設があるらしい。
「路上で眠るのは危ない。出来る事なら、お家に帰った方が良い。」
そう伝えると、彼は首を横に振った。親の元には戻りたくないらしい。
「いずれにしても、このまま路上で暮らすのは良くない。お家に帰れないなら、まずは保護施設に行きな。困ったら周りの大人を頼るんだよ。」
周囲の大人と相談してそう言った僕は、保護施設までの交通費900ルワンダフラン(約150円)を彼に渡した。
今にも泣き出しそうなテオジョン。
「大丈夫だって。大丈夫大丈夫。泣くなよ。」
テオジョンを抱き締めながら、僕はそう伝えた。
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宿泊先に戻り、ベッドに寝転がる。
大学一年の春、初めて物乞いをするストリートチルドレンをフィリピンで目の当たりにし、"世界の不条理"に対する悔しさで涙を呑んだ時から、僕はどれだけ変わっただろう。「国際協力」という世界に目を向け始めた時から、僕はどれだけ成長しただろう。
(大学二年の夏、バングラデシュで目の当たりにした光景。ポリオを患うも、物乞いに利用される少年。この光景は、今でも脳裏に焼き付いている。)
きっと僕がテオジョンにしたことだけでは、彼を「救った」とは言えないだろう。それに、これからの彼の未来を考えれば、僕と彼の出会いはほんの一瞬でしかないだろうし、僕が彼にしたことは本当にちっぽけなものだ。
この世界には、数え切れないくらい沢山の「困っている人」や「不条理な現実」が存在する。フィリピンでの経験から2年間、様々な機会を通して世界と向き合ってきたことで、今その事を強く実感している。
アメリカに戻れば、日本に戻れば、友人たちと他愛無い会話を楽しみ、好きなものを腹一杯食べ、大学という恵まれた環境で勉強できる生活がまた始まる。
時間が経てば経つほど、恵まれた環境に身を置けば置くほど、これまで途上国で出会った人々の「顔」は、僕の中でその影を薄めていくかもしれない。
そうだとしても、僕がこれを書いている今この瞬間も、あなたがこれを読んでいる今この瞬間も、僕らと何ら変わることなく、彼ら彼女らは生き続けている。
このとてつもなく広く大きな世界の中で、これから僕はどこに立って生きていくのだろう。
これからの未来を担う一人の若者として、「仲間」たちと共に、考え続けたい。
テオジョンと。
(2016年2月6日 「一人の若者として。~アフリカ滞在最後の夜。僕はまた、「彼」と出会った。~」から転載)