会ったことも話したこともない誰かをネット上で誹謗中傷する人って、どう考えてもその人を傷つけること以外に別の目的があるわけで、それは大抵、自分より人生上手くいっている誰かを批判することで偽りの優越感に浸り、上手くいってない自分の人生を正当化して自己防衛することにあるのだと思っている
— 原貫太 / 世界を無視しない大人になるために (@kantahara) 2018年11月25日
学生時代からインターネット上で情報発信を続けてきた原貫太(@kantahara)です。
僕は大学1年生のときに参加したボランティア活動をきっかけに、ネットでの情報発信に力を入れ始めました。傍から見ると"意識高め"の発信を5年続けて悟ったのですが、自分のスタンスを明確にすればするほど、いわゆる"アンチ"と呼ばれる人たちが寄ってきます。
中には、こちらの人格を否定するような中傷コメントが寄せられることも、これまで何度かありました。
しかし、冷静になって考えてみると、ネット上で中傷コメントをする人の目的は、こちらを傷つけることではなく、結局「自己正当化」にあるのではないかと思うのです。
ムキになって反論しても疲れるのは自分
ネットで毎日のように情報発信をしていると、時には顔も名前も分からない人から、根拠のない批判や誹謗中傷を受けることがあります。
建設的な意見を述べてくれる人であれば誠実な対応をするべきですが、時にはこちらの人格を否定するような中傷コメントをされることもあります。ある程度ネットで発信を続けている人であれば、思い当たる人もいるのではないでしょうか。
でも、これまで幾度となく"アンチ対応"をしてきた経験から、「ムキになって反論したところで、結果的に疲れて損をするのは自分」ということに気がつきました。
売られた「喧嘩」を買ってしまえば、その瞬間、どちらが正しくてどちらが間違っているかを競う「権力闘争」の土台に自分も上がることになります。仮に相手を言い負かすことができても、結果的には自分も体力を使うことになり、損をしてしまうと思うのです。
また、言い負かされた人も、いつかの「復讐」の機会を探るようになるかもしれません。
中傷コメントをしてくるのは他人の課題ですが、それをどう受け取るかは、あくまでも自分の課題です。自分のことだけを考えた対応を取るのであれば、「ムキになって反論する」という方法は自分を疲れさせる行為のため、決して得策とは言えません。
中傷コメントの目的は、自分とは無関係の場所にある
このことに気づいてから、僕は根拠のない批判や誹謗中傷をされたとき、冷静になって相手の目的がどこにあるのかを考えるようにしています。
会ったことも話したこともない誰かをネットで強く批判したり、誹謗中傷したりする人の行為には、どう考えても「相手を傷つける」こと以外に何か別の目的があるはずです。
なぜなら、その人が傷ついたかどうかなんて把握できるはずがありませんし、仮に傷つけることができたとしても、それでその人が何か実利的な得をするわけでもありません。
これは僕の考えですが、ネットで中傷コメントばかりする人たちの"本当の目的"とは、「自分より人生が上手くいっている誰かを批判することで偽りの優越感に浸り、上手くいってない自分の人生を正当化して自己防衛すること」にあるのではないかと思います。
「ネット上で誹謗中傷ばかりしている人たちは、仕事に楽しさを感じない独り身男性が多い。業務で成果を出して注目を浴びることも難しく、かと言って帰宅しても慰めてくれる人はいない。ネット上で他者を批判し、偽りの優越感に浸ることで何とか自尊心を満たす」と、ある大学教授から聞いて悲しくなった
— 原貫太 / 世界を無視しない大人になるために (@kantahara) 2018年10月30日
このように自分の捉え方を考えてみると、中傷コメントの目的は自分とは全く別の場所にあることがわかり、自分にはどうしようもない課題であることが分かります。だから、ムキになる必要もありません。
ネットで何か嫌なことを言われた時や、面倒くさい人に絡まれた時は、自分が余計に神経をすり減らさないことだけを心がけるようにしています。
もしも、あなたのインターネットライフである日突然、根拠のない批判や誹謗中傷を受けたときには、冷静になって「なぜこの人はこんなコメントをしてきたのか」と、相手の目的を考えてみてください。
その目的が想像できるようになれば、ネットで情報発信をすることも怖くなくなるはずです。
(2018年11月29日 「原貫太オフィシャルブログ」より転載、一部編集)
ツイッターでは最新記事や限定情報を発信しています。ぜひフォローをお願い致します。
こちらの記事もあわせてお読みください