「人間の尊厳」。頭の中に自然とこの言葉が浮かんだ。
ウガンダ北部のパギリニヤ難民居住区。今年で4年目を数える紛争によって故郷を追われた南スーダン難民約3万人が、ここでの生活を送っている。急激に深刻化していく難民危機に対して各機関の支援は追いついておらず、多くの人たちが厳しい生活を強いられている。
72歳のスーザンさん(仮名)は、首都ジュバでの戦闘をきっかけに紛争が再燃した昨年7月頃にウガンダへと逃れてきた。不正出血が続いており、これまでに3回病院にかかったが大きな進展は無し。面倒を見ている息子は「これ以上は病院に行くお金が無い」と語っていた。
photo by Kanta Hara
難民居住区内に建設された、蒸し暑い簡易住居の中。家の外では、まだ幼い彼女の孫4人が遊んでいた。上半身を裸にして、一人寂しそうにベッドに座っている彼女。「何も支援をしなければ、すぐにでも死んでしまう」。居住区で働くスタッフの言葉に従って、現地で活動するNGOを通じて生理用品と石鹸を渡すことになった。
72歳という年齢で故郷を追われ、異国の地で時間を過ごす彼女は、一体何を思っているのだろうか。その丸まった背中を見ながら、僕は考えてしまった。
UNHCRは17日、ウガンダに逃れた南スーダン難民の数は全部で100万人を超えたと発表した。当初予測されていたスピードよりも速いペースで難民が流出し続けている。
自衛隊が派遣されていた頃は、保守もリベラルも南スーダンのことを度々取り上げていたが、撤退した後はこの国の紛争や難民について、日本ではほとんど話題にも上がらない。自衛隊がいなくなった今、南スーダンの紛争は「どこか遠くの世界の出来事」に過ぎなくなってしまったのだろうか。
photo by Kanta Hara
事実として、日本はこの国の紛争に無関係ではない。南スーダン紛争は石油を巡る先進国の利害に翻弄されて紛争が起きているという側面があるからだ。独立前の「スーダン」だった時代からずっと、この国では「石油」という資源をめぐって争いが続いており、日本はこの石油をスーダンから輸入し消費して、僕たちは「豊かな生活」を享受してきたのだ。
居住区で南スーダン難民の子どもたちが笑っている姿を見ると、肌の色が全く違う日本人にも手を振り返してくれる姿を見ると、「彼らの力になりたい」と心から思う。たとえ彼らの記憶には、僕という人間がほんの一瞬しか残らなくても。
photo by Kanta Hara
平和な世界を創るために、日本人の僕だからこそできること。急速に深刻化していく難民危機の前に、現地で考え続けたい。
(2017年8月18日 原貫太公式ブログ「世界まるごと解体新書」より転載)
記事執筆者:原貫太
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