"12歳で兵士になった女性"が語る壮絶な証言-子ども兵問題の実態(後編)

「LRAは子ども兵を洗脳するために、自分の手で、肉親や兄弟、親戚を殺させるんだ。」

写真提供:認定NPO法人テラ・ルネッサンス

今年1月、私は東アフリカに位置するウガンダ共和国へ渡航。子ども兵問題の実態を少しでも知ろうと、首都カンパラからバスで6時間の北部グル県へ向かい、認定NPO法人テラ・ルネッサンスが運営する元子ども兵社会復帰施設を訪問した。

アジア、アフリカ、中東、中南米などの紛争地域を始めとし、未だ世界に25万人以上いると考えられている子ども兵。元少女兵へのインタビューなどを通じ、改めてその問題の深刻さ、そして世界の不条理を痛感させられた。子ども兵問題の実態に迫る。

ウガンダ北部グル市の街並み(photo by 原貫太)

ウガンダにおける子ども兵問題

ウガンダ北部では1980年代から20年以上にわたって続いた紛争の影響により、61%の人々が1日1$以下の生活、また5人に1人の子供が5歳の誕生日を迎える前に亡くなるという現状が未だに残っている(データは2008年時点)。

ウガンダ北部にて筆者撮影(photo by 原貫太)

90年代半ば以降、反政府軍である「神の抵抗軍(Lord's Resistance Army, 以下LRA)」による村の襲撃や子供の誘拐が多発し、約180万人の北部住民が国内避難民としての生活を余儀なくされた。

LRAは戦力補強の為、毎晩のように村や国内避難民キャンプを襲い子供を誘拐、これが「子ども兵」問題に繋がる。LRAは推定66000人の子供を誘拐、兵力の約8割を子ども兵に頼っていたとも言われる。

子ども兵は水汲みや食事の準備といった雑用から、政府軍との戦闘・村の襲撃・新たな子供の誘拐まで担わされた。また地雷原を渡る際の「人間地雷探知機」として利用されるケースや、少女兵の場合、性的な奴隷として使われたケースも多く存在する。

「LRAは子ども兵を洗脳するために、自分の手で、肉親や兄弟、親戚を殺させるんだ。」

施設長のJimmyさんはそう語る。

インタビューに答えて頂いた施設長のJimmyさん(photo by 原貫太)

"家族を殺す"事は、脱走を防止するためのLRAによる一つの手段にもなった。時には自分の手で母親の腕を切り落とす行為や、家族の鼻や耳、唇を削ぎ落とすといった残虐な行為も強要された。

そして、子どもたちの「帰る場所」は無くなった。

元子ども兵が抱える問題~ウガンダの場合~

写真提供:認定NPO法人テラ・ルネッサンス

世界で最も冷酷で残忍な組織としても恐れられる、ウガンダの反政府武装勢力「神の抵抗軍」(LRA)。LRAに拘束されている間は、「敵対勢力との戦闘」「村の襲撃」「人間地雷探知機として使われる」「最前列で行進し弾除けとして使われる」など、非人道的に消耗品として扱われる子ども兵たち。

しかしながら、仮に政府軍などに救出されたとしても、その後の彼らを待ち受けるものは決して安寧な生活ではない。

●身体的・精神的なトラウマ

「殺人・戦闘の現場に居合わせる「自ら人を殺す」「家族の四肢切断を強要される」「食料や金品を略奪する」「レイプされる」など、反政府軍(LRA)で受けた身体的また精神的な傷の深さは決して簡単に癒えるものではない。救出後も、元子ども兵たちは悪夢にうなされたり、また精神的に不安定になりやすいという特性が見られる。

●地域コミュニティーからの偏見や差別

除隊後に受ける「元LRA」「人殺し」「LRAの子どもを持つ女」という地域コミュニティーからの差別はとても深刻だ。地域住民から、「人殺しの仲間だから、この村から出て行け。」といった言葉を浴びせられるようないじめを受けることがある。

また先の記事で書いたように、自分の手で家族を殺したり、また四肢切断を強要されたりした結果、帰還後も家族がいない、もしくは家族の元に戻ることが出来ないなどの苦しみが彼ら彼女らを待ち受けている。

●基本的な教育の欠如

元子ども兵たちは、軍事訓練以外の教育を全く受けておらず、基本的な読み書きをすることが出来ないため、日々の生活で大きく苦労するほか、職に就くことも極めて難しい。

また、子ども時代を軍隊という特殊な環境で過ごした結果、「権力さえあれば何でも手に入る」といった暴力的な思考が身についていたり、感情をうまく人に伝えるというコミュニケーション力が不足している。そのため、再び暴力に走るといった状況が少なくない。このような背景の中、一部の地域では、帰還後の貧しい生活に耐え切れず、自ら再び軍隊に志願する子どももいる。

元少女兵アイーシャさん(仮名)へのインタビュー

テラ・ルネッサンス運営の社会復帰施設に通う、元少女兵のアイーシャさん(仮名)にインタビューを行った。壮絶な過去にもかかわらず打ち明けてくれた彼女に感謝し、ここにそれを記す。

※内容は彼女の証言とスタッフの通訳に基づく。

インタビュー中の様子(photo by 原貫太)

2000年12月19日の真夜中、彼女は反政府軍である「神の抵抗軍(以下LRA)」に誘拐された。当時わずか12歳だった。

「拘束された時から、密林を歩き回る生活が始まりました。」そこには数え切れないほど多くの困難が彼女を待ち受けていた。

「一日中重い荷物を持たされ、森の中を走りました。休息は夜に少し取るだけ。非常に辛く、苦しいものでした。」この厳しい生活に慣れることは非常に難しかったと彼女は話す。

人が殺されるところを、幾度となく目撃した。LRAは、アイーシャに人殺しの現場を見せたがっていた。

社会復帰施設で工芸の授業を受ける元子ども兵の生徒たち(photo by 原貫太)

2000年から2003年までの3年間、北部ウガンダの密林を歩き回った。その後政府軍によるLRAの掃討が勢いを増すと、ウガンダでの生活は非常に厳しくなった。2004年、彼女らは合計4回にわたって拠点をスーダン内へと移した。

スーダンに拠点を置いている間も何度か政府軍による掃討があったため、拠点を更にコンゴ民主共和国(以下DRC)へと移した(2006年)。

彼女は常にLRAと行動を共にしなければならなかった。それは幼い彼女にとって非常に辛く、大変なものだった。

ウガンダ北部に暮らす子供たち(photo by 原貫太)

DRC滞在時、脱走を試みた。脱走のリスクは大きかった。脱走に失敗し再度捕まれば、それに対する罰は非常に厳しく、非人道さを極めていた。時にそれは、命を失う事に繋がった。

「ある夜に他の仲間と脱走を試みましたが、捕まり、鞭で200回叩かれました。それからは脱走する事は諦めました。」

コンゴの密林を、反乱軍と共に動き回る。そんな生活が長く続いたある日、子どもが産まれた。幼い子どもを連れながら、政府軍から逃れるため森の中を走るのは非常に大変だったと彼女は話す。

子どもを抱き、銃を担ぎ、身の回りの物を背負い森の中を走る。筆舌に尽くしがたいほど、辛かった。

コンゴから中央アフリカに移動し、またコンゴに戻り...。そんな生活が長く続いた。2014年、彼女は政府軍に救出されたが、2000年からの実に14年間、彼女は「少女兵」としての生活を強いられた。

救出後の生活は、密林での生活とは全く違う。ここでは人々がお互いの権利を尊重し合い、彼女らは守られる。

拘束されていた頃は何も言う事が出来ず、ただ命令に従うしかなかった。「荷物を運べ」と言われれば荷物を運び、「村を襲え」と言われれば村を襲った。命令に背けば殺されるまで罰が下された。

ウガンダ北部グル市の様子(photo by 原貫太)

拘束から逃れ戻ってきた時、彼女には3人の子供がいた。持ち物は何も無かった。それでも、幸せだった。拘束から逃れられた。ただそれだけで、幸せだった。

「今はテラ=ルネッサンスで技術訓練や基礎教育を受けられる。その事が、今の自分を幸せにしてくれます。ここでの学びを活かし、卒業後はもう一度、自分の人生を変えたい。そして、子供たちの未来を支えたい。そう願っています。」

テラ・ルネッサンスで裁縫の技術を学ぶアイーシャさん達(photo by 原貫太)

記事執筆者:原貫太

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