2014年2月19日、ベネズエラの状況は一変しました。
それ以前のベネズエラ政治やベネズエラ社会に関する知識は、この日を境に一度リセットしなければならなくなったのです。これはいくら強調してもしすぎることはありません。
社会主義革命をすすめた故チャベス大統領の時代にも、言論統制と反政府派に対する圧力はありました。
しかし、政府が軍隊を動かし、国家警備隊を配備し、さらにはコレクティボと呼ばれるバイクに乗った民兵を動員して、反政府活動を行う人々を攻撃することはありませんでした。
至近距離からのゴム弾の発砲や実弾の発砲、必要以上に殴りつけるといった暴力、また逮捕した学生に対する火傷や電気ショック等の拷問や脅迫など、以前なら考えられなかったことです。
チャベス大統領には、それをしないで済むだけのカリスマ性と、湯水のように仕える石油マネーがあったからです。多少の反発は、言葉とお金で解決されていたのが以前のベネズエラでした。
しかし、チャベスの後継者のマドゥロ大統領にはそのいずれもありません。特に、現在ベネズエラは深刻な経済難に陥っています。外貨不足、日用品の低価格統制による弊害に加え、石油の産出量の低下なども相まって、現在のマドゥロ政権に国民全体の不満を抑えるだけの資金がないのは明らかです。
一つ言えることは、このような中で、2月19日マドゥロ政権は国民を暴力でおさえつけることを、戦略的に決断したということです。
先月5月に国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチが提出した報告書「抗議するために罰せられる(Punished for Protesting)」は、抗議運動に対する深刻な人権侵害が組織的であることを示唆しています。
たとえば、3月20日のバレンシアでの抗議デモ中では次のようなことがありました。
「政府反対抗議デモに参加していたマルティネスは、国家警備隊のオートバイ群が近づいてきた時逃走したが、同じくそこにいたメンデスとロドリゲス(59歳)と共に路上で捕まった。バイクで通りかかった警備隊員によって地面に叩き付けられ、10数名に囲まれ、無抵抗であったにも関わらず全身を繰り返し蹴られる暴行を受けたと、ヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。
暴行が一時静まった時、自力で立ち上がった彼は財布を差し出して今それしか持っていないと言うと、隊員は「私の頭を掴み地面に叩きつけ、軍靴で顔を踏みつけ、それから私を撃った。」彼は至近距離からゴム弾でふと腿を撃たれていた。
ポケットに入っていた鍵の金属は粉々に砕け腿の部分に食い込んだ。あまりのショックで始めは痛みを感じなかったが屈んだとき露出してる骨に触れた。
同じ場所で捕まっていたマルドナドはマルティネスとは知り合いではなかったが、何が起きていたかは見ていた。彼はマルティネスがどのように殴られ至近距離から撃たれたかについての証言を裏付ける説明をし、さらなる詳細情報を提供した。[60]
Punished for Protesting, Valencia, Carabobo State, March 20
マドゥロ政権はここ数ヶ月の間、表向きには平和を強調し、反政府派との対話を呼びかけています。しかし、その裏で抗議運動を続ける学生たちを暴力で押え付け、野党の政治家に対する圧力を強めているのが現状です。
事の発端から4ヶ月以上が経ち、抗議運動のせいですでに40人以上が亡くなり、逮捕者は6月23日現在で3181人にのぼる(うち223人は18歳未満)中で、ベネズエラで起きていることは、まだまだ収束する見通しがありません。
ちなみに、ベネズエラでの抗議運動の写真は、ベネズエラ人の若い市民記者たちによるブログWE ARE VENEZUELANSで見ることができます。このような草の根ジャーナリスム活動は、現在のベネズエラでは非常に危険ですが、現地の若者達はリスクを冒して自分達の国で起きていることを記録しています。