元プロ競技ダンサーの吉野ゆりえさんが亡くなってから、もうすぐ2か月が過ぎようとしている。先日、ゆりえさんのお別れ会に参加した。ピンク色の華やかな百合の花に囲まれた彼女の写真を見ていると、本当にそこに彼女がいて、「元気だった?」と声をかけてくれそうな、そんな気がした。
がん患者でありプロとして仕事をしていた彼女は、医学生であった私が研究室に行くと、時に厳しく時に優しく接してくれた。それは私が医師になってからも変わらなかった。がん患者であろうとなかろうと、何事にも本気で取り組むということ、そしてプロとして生きぬくことを、彼女は私に教えてくれた。
3年半前の春。医学部に通う大学5年生だった私は、ゆりえさんの勤める東京大学の研究室で初めて出会った。医学生の私にとって、がんの闘病生活をしている人との初めての出会いであった。だが、彼女の風貌からは、がんと闘っている人だとは到底思えなかった。「がん患者なのよ」と言われても、全く信じることができなかった。
なぜなら、彼女は「世界一明るいがん患者」として自分らしく生きていたからだ。決して涙を人には見せず、どんな逆境をも前向きに捉えて生きていたからだ。様々ながんと闘う多くのがん患者に囲まれていた彼女は、時に励ましあい、時に支えあいながら、一日一日を彼女らしく生きていたのだった。
がん患者であり、職業人でもあった彼女は、研究室では常にパソコンに向かっては、執筆活動に明け暮れていた。それだけでなく、多くの取材や講演、司会業をもこなしていた。仕事に対する姿勢は、常に厳しかった。かつて、プロのダンサーとして厳しい世界で生きぬいてきたからであろう。何事にも本気で取り組み、果敢に挑んでいた彼女は、凛として美しくもあった。
そんな彼女は、周囲の人への気配りも人一倍だった。常に優しく声をかけてくれたり、気にかけたり励ましたりしてくれた。私が国家試験に合格した時は、まるで自分のことのように喜んでくれた。忙しい合間を縫って合格のお祝いまでしてくれた時は、本当に嬉しかった。
次第に病に蝕まれてきている様子が手にとってわかるようになってきたのは、昨年からだったと思う。大量の薬を飲み、副作用と闘いながらも彼女は数多くの仕事をこなしていた。弱音を一切吐かず、自分の病に一生懸命立ち向かっていた。辛さを他人には一切見せず、周囲に笑顔を振りまいていた。医師として駆け出しの私を応援してくれもした。少し動くだけで息が上がり全身に激痛が走る体に自ら鞭を打ちながら研究室に通っては、朝から晩まで一心不乱に論文作成に取り組む彼女の姿は、神々しかった。
お見舞いに行っても、彼女は決して笑顔を絶やさなかった。次第にやせ細ってきた全身を使って一生懸命に呼吸をしては、大変な闘病生活のことを笑い話にして私に語ってくれた。時に辛そうな姿は見せるけれど、決して弱音は吐かなかった。「素敵な女医さんになってね。」これが、ゆりえさんと私が交わした最後の言葉だった。
闘病生活の傍ら、彼女は最期までプロとして仕事に取り組み、常に高みを目指し努力し続けた。最期まで自分らしく生きることを貫き、生きた証を社会に残したのだった。そんな彼女の生き様は、医師として駆け出しの私に、いのちの儚さと尊さを教えてくれた。がん患者として、そして凛とした美しい女性としてどう生きていくかを教えてくれた。心からご冥福をお祈りしたい。
10年生存達成パーティーにて。