東日本大震災から七年という月日を迎えて、止まっていた時が動き出したかもしれない、そんなニュースが飛び交う日がやってきました。
人によっては長かったとも言えるし、あっという間に過ぎた時間とも言えるでしょう。
震災で壊滅した地元相馬の沿岸漁業は、七年の歳月を経て、今年二月、ようやく輸出にこぎつけました。
試験操業を重ね重ねて、風雪に耐えて七年目の今、風評被害からの脱却、販路開拓の明るい希望が開けたのです。
震災後、風評被害や買い控えに苦しんできた漁業関係者にとって、相馬原釜市場に水揚げされたヒラメ、マガレイがタイ・バンコクの日本料理店に供されるとは、なんと嬉しいことでしょう。
来るべき東京オリンピックをも視野に入れて、本格操業の準備に入っているとも言えるこのタイミングで輸出が実現したということは、大きな意味のあることでしょう。
福島県に水揚げされるヒラメ、カレイは、味と鮮度の良さで知られる「常磐もの」の代表格とされ、築地行きの高級魚でもありました。
震災前の何割にも及ばぬまでも、国内にも供給できる日が来ることを信じてやみません。
福島県産のモモも、東南アジアへ輸出されております。国内でももちろん、米野菜とも徐々に認められ、中でも日本酒は銘酒の数々がその地位を上げているようです。
最近、地元の松川浦で、のりの網が復活し、懐かしい青のりの摘みたてを味わいました。
ふと、生きていたからこそかな、と思いました。
復興への道は確実に刻まれてはおりますが、地域によっては放置されている場もあり、時折映される七年越しの映像に枯れ草が揺れて胸が痛みました。
更地となり、まるで風化してしまったかのような故郷に哀しい想いをされておられる方もたくさんいることでしょう。
無念にも震災で亡くなられた人のこと、大切な人や故郷を失った人のこと、忘れていません。
震災時に小学生だった児童は高校生となり、震災後生まれた子どもたちは震災を知りません。
身をもって被災した者たちは、その恐ろしさを伝えていかなければなりません。
決して風化することはない、震災の記憶。正しい語り部が、語りつなげることでしょう。
過重に恐怖を煽るのではなく、現実に何が起きたかを伝える。
どう備えるべきかの心構えを常に怠ることなく、防災を、減災を心することです。
七年の 時を重ねて響く鐘
いざ生きめやも 老いの身を打つ
『詩集 生きてやろうじゃないの!』(青志社)