「ご職業は?」とか「仕事は何をしているの?」と聞かれると、とても困ります。
たまたまその場に居合わせた時に行う挨拶に近い「今日はお天気いいですね的な質問」には「お菓子を作る仕事をしています」とか「料理を作る仕事をしています」と答えます。
そうすると「ああ、パティシエさんなのね」などと相手は言ったりします。
事実は違うのだけれど、もうそれでよしということにして肯定的ににっこり笑うことにします(「はいそうです」と言うのもなんだか嘘をつくような気がして、こんなふうにどっちつかずの返答をよくしています)。
「料理研究家」は、ことばとしての認知度は高めですがなかなか説明することがむずかしいです。資格も特にないし自分がそうだと主張すれば、この瞬間から誰だって「料理研究家」なのです(これはあくまで自分側の考えであって、社会的認知にはもう少し実績が必要だったりするのですが)。
正直言って、職業を尋ねられて「料理研究家」と言うのはものすごく気恥ずかしいです。言った瞬間にいや、考えた瞬間に「なんだよ、研究家って!」と脳内ツッコミが行なわれます。
が、しかし実際のところ私は本当に料理研究家だなあ、と思います。むしろ、研究家という以外になんて表現するのか! と思ったりもします。家庭で作る料理やお菓子に関してのあらゆる研究を行うのが私の仕事です。そこにかける情熱の出処は「この料理でみんなを幸せにしたい」が3割。残りはひたすら「知りたい!」という好奇心です。
今までに世に出た著作は30冊以上。私の本には特徴的な要素があります。それはワンテーマが多いということ。ワンテーマとは「プリンの本」とか「シフォンケーキの本」とか1つのテーマに関してありとあらゆることを網羅するタイプの本です。
ロールケーキ、ワッフル、チーズケーキにパンケーキ、スフレにシュークリームにパウンドケーキにキッシュ...今までに何冊のワンテーマ本を作ったことか。例えばパンケーキの本には37種類のパンケーキが載っています。37種。それでもレシピを減らした記憶があります。載っているのは37種ですが、そのレシピを作る前には相当の数の試作をします。基本のプレーンの配合を決めるまでに材料を少しずつ増減させてひたすら食べ比べ。
ちなみに試作の前に自分の中の「おいしい」を確定させるために世間で評判の「おいしいパンケーキのお店」にも食べに行きます。ファミレスのパンケーキも食べてみます。冷凍のパンケーキも食べます。なるべく広い視野から「おいしいパンケーキ」を考えます。ひたすら食べて、考えて、作って、食べて、考えて、食べて、作って、考えてとにかく1000本ノックみたいだなあ、と思います。
「ありとあらゆる研究」とは本当に多岐にわたります。何も味だけにとどまりません。皆さんが思う以上に「それも?」みたいなことも含まれます。料理に関して作り方とか配合とかそういうのはもちろん、どれだけ簡単にできるか、どれだけ見た目がステキにできるか。
おいしいだけではダメです。実用的な側面も合わせて考えます。栄養のことも文化的なことも時には加味します。作ったときの成功率を上げる、という点ではレシピの表現に関しても考えをはりめぐらせます。詳しければいいわけでもないのです。何より適切な量の必要な情報が見やすくわかりやすくあることが大事です。
この春に『ひとりぶん料理の教科書 ~はじめてさんでもおいしく作れる基本レシピ~』という本を作りました。料理をまったくやったことがない人が一人暮らしをはじめるにあたって買う料理本、という設定です。料理用語は知らない人には難しかったりもするので、いつもよりさらに記述には気を使いました。さらに巻末に「料理用語辞典」も付けました。
見慣れたはずのことばたちも、こうやって辞典という少し改まったくくりで書かれると緊張感が走ります。校正時、何度も読み返すとこれが本当に正しいのか? と考えると「ぐるぐる」してきます。
1つの単語で目が止まりました。「ふつふつ」――表面が少し泡立つくらいの沸騰した状態のこと。が、しかし私の考える「ふつふつ」は鍋肌が少しポコポコしてくる程度。「表面が少し泡立つ程度」の表現はいいけれど沸騰はなんか違うなあと思いました。100度の湯はボコボコしています。弱火にしても大きな泡は多少出ます。
辞書で引いてみます。
ふつふつ【沸沸】」①沸騰するさま。「―と煮える。」 (広辞苑第5版 岩波書店より)
うわ! 沸騰しているのか! 確かにこの沸沸は沸騰している風だわ...さらにぐるぐる。
まわりの料理関係の人(同業者、編集者や料理カメラマン、料理スタイリスト...)とか普通の友人とかにも聞いてみます。そして実際に温度計を差して湯の温度を計測しながら鍋で湯を沸かしその様子を再度観察し続けました。小さな泡が出てそれがだんだん大きくなり沸騰すると鍋の全体から大きめの泡が出てきます。
それぞれの温度を見ながら鍋の様子をあわせて観察します。こんなに鍋の湯と泡の大きさと数を見つめたのは初めてかもしれません(そして加熱し続けても100度以上に湯はならないことになんだか感動しました)。
またいろんな料理本を片っ端から見て出てくる各「ふつふつ」の表現の状態を思い浮かべ、何度くらいかを想像したりしました。ワタシ的な「ふつふつ」は水だと90度くらいが近いでしょうか。粘度があがった液体だともう少し低い温度になりそうでした。「ふつふつしてきたら火を止めて」とか「ふつふつしてきたら〜を加えて」とかそれは沸騰=100度ではない気がします。
いろいろ調べて考えた結果、「沸沸」、「沸々」と書く国語辞書的な表現と料理のふつふつ表現は完全に一致しない、というのが結論でした。
結局、本書では「表面が少し泡立つくらいの状態のこと。」としてもらいました。「沸騰」ということばは抜き、明確な温度表現は避けました。やや逃げているかもしれませんが...。でもこの「ふつふつ」にかなりの時間とエネルギ―を費やしました。日本語はむずかしいですね。
これも日々研究している中のエピソードのひとつです。新たな課題は絶え間なくやってきます。ひとつわかると新たな疑問が浮かびます。他の料理研究家の人がどうなのかわからないけれど、私は台所というLaboratoryでこうやって日々、おうちで作る料理やお菓子のための研究をしています。
ほら、料理研究家ですよね?(笑)
でもこれを初対面でわかってもらうのはすごくむずかしいです。なので、料理研究家の知られざる日常をこのブログで少しずつご紹介できたらと思っています。
『ひとりぶん料理の教科書』は好評発売中です。料理がはじめての人にもわかりやすく、そしてちゃんと作れる1冊です。巻末の料理用語辞典にもしっかりと気持ちが詰まっております。ぜひ「ふつふつ」以外のことばたちも知っていただきたいです。
本の「おわりに」でも書いたのですが「おいしいものを自分の手で作れること」は人生を楽しく過ごすためのひとつの能力だと思います。