原発の再稼働に向けた動きが活発になっている。
先週、東京電力は新潟県の柏崎刈羽原発の再稼働に向けて安全審査の申請を原子力規制委員会に速やかに提出する方針を発表。地元、新潟県の泉田知事は「事前の相談もなく、到底受け入れられない。信頼関係を壊す行為だ」と強く抗議し、申請に向けた手続きは一旦中断。東電社長が地元への理解を求めるため新潟県を訪問し直接知事に説明を行いたいとするなど、今後の行方に注目が集まっている。各電力会社は、原発を推進する自民党による政権運営を追い風に、不良債権化している原発の再稼働を急いでいる。
一方で、今回の参院選では原発再稼働の是非については争点化するのを避けているのか、与党候補からの積極的な発言は聞こえてこない。大手メディアの世論調査を見ると、朝日新聞社が8~9日に実施した電話による世論調査によると、日本経済の成長のためだとして原発を積極的に利用する安倍政権の方針について、反対が59%に上り、賛成27%を大きく上回った。また停止している原発の運転再開の賛否も聞くと、反対は58%で、賛成28%と大きく差がついた。さらに、時事通信が同じく先月6月7日~10日に実施した世論調査によると、安倍政権が海外への原発輸出を推進していることについて、「支持しない」との回答は58.3%で、「支持する」の24.0%の2倍以上となった。
原発を巡っては、政府・与党が推進する政策と国民の声との間には隔たりもある。本来であれば今回の参院選で、徹底的に方針に付いて熟議が行われるべきだと筆者は考えるが、アベノミクスを中心とした経済政策の行方や憲法改正議論に覆われるようにして、争点としてなかなか上がってこない。
東京電力福島第一原発では、周辺の井戸から高濃度の放射性セシウム137が検出され続け、昨日7月10日、原子力規制委員会が地中から海へと高濃度の放射性物質が拡散している可能性があるとして対策を急ぐよう指示するなど、収束にはほど遠い状況だ。溶け出した核燃料の状況把握もままならい現状で、この問題の後始末をもっと真剣に論じなくてはならない。
元経済産業省のキャリア官僚、古賀茂明さんと対談。政府が何故これほどまでに原発の再稼働を急ぐのかを聞いた。シリーズでお伝えする。
(こが・しげあき)1955年、長崎県生まれ。麻布中・高校、東大法学部卒業後、80年に旧通商産業省に入省。産業組織課長、OECDプリンシパル・アドミニストレーター、産業再生機構執行役員、経済産業政策課長を歴任。国家公務員制度改革推進本部事務局審議官として公務員制度改革を相次いで提議。現在、大阪府市統合本部顧問。近著に『信念をつらぬく』(幻冬舎新書)がある。
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■3.11のメディアの裏側、霞ヶ関の裏側
(古賀)
堀さんというと、2年前の3・11の原発事故直後から、ツイッターでいろんな情報をリアルタイムに流し続けた。そこから「原発の堀」として知られるようになってきたんですが、あの震災直後はいろんなものが止まっていて、被災地ではテレビも見られない、ラジオも聴けないという人がたくさんいる中で、ケータイだけが頼りという人たちに、堀さんのツイートが唯一の情報という感じで伝わったんですよね。それだけではなくて、一般の人にはなかなか見えない情報も発信していただいた。でも、そうしたいろんな活動が、徐々にNHKの組織の中では受け入れられないということになっていって、最後はご自分でお辞めになった。その点は、私と似たような感じです。私のほうが、途中で仕事をさせてもらえなかった時期が長かったりしたのと、もう歳を取っていたので、「行き先がもうないなあ」なんて思いながらやっていたんですが、堀さんはまだお若い。新しい世界に早く飛び込んで、新しい仕組みを早くつくりたいということで、ちょっと早めに飛び出したんだなという印象を持っています。
原発事故に関する報道で、堀さん自身が放送局の中にいて、変だな、おかしいな、変えていきたいなと感じていたことがいろいろとあったと思うんですよね。そのあたりのお話から少し聴かせていただければなと思います。
(堀)
僕は3月11日の東日本大震災が起きたとき、取材で恵比寿にいたんです。当時、夜11時20分から放送していた「Bizスポ」という経済ニュース番組のキャスターをしていて、まさに3月11日もその取材だった。僕はNHKのアナウンサーの中でもちょっと異色な働き方をして、新人のときから自分でカメラを持って現場に行って取材して、原稿を書いて、編集して、自分でプレゼンするということをしていました。フリーランスみたいな働き方をしてきたんです。
実は、NHKに入る前に週刊誌の記者になりたいと思っていたんです。どうしてかというと、ちょうど学生の頃、松本サリン事件が起きたりして、マスメディア不信みたいな出来事ことがいくつかあったんですね。電車に乗ると週刊誌の見出しで、「マスメディアが報じない本当の○○」などと書いてあるわけです。それを見ていて、ああ、こういう世界に飛び込んでみたいなと思っていたんです。一方で、まったく逆に、本当のことを伝えないマスメディアって何なのかということを内側に入って変えてみたいという気持ちもあった。そんなわけで、その後のことは割愛しますが、NHKに入りました(笑)。
僕は大学時代、プロパガンダについて勉強していたんですよ。ナチスドイツのプロパガンダと、大日本帝国下の大本営発表をやっていたNHKというのが卒論のテーマだったんですね。日本の戦後体制ってマスメディアのプレーヤーは変わらないんですよ。戦前も朝日、読売、毎日、日本放送協会、戦後も朝日、読売、毎日、日本放送協会なんですよね。でも、ドイツって自分たちがつくった民主政権でヒトラーを生んじゃったものだから、その反省から戦後はすごく厳しく律して、国とメディアのあり方を根幹から変えていくんですよ、西ドイツは。ところが日本はそういう部分がすごく曖昧なんです。僕はNHKに入って、そういうのはよくないとずっと思っていた。なので、自分の関わる番組では間違ったことについては間違っているとか、不十分なものがあったら不十分でしたとか、ごめんなさいとか、赤裸々にちゃんとテレビの前で言うことを心がけていた。都会の放送局に5年間勤めていたんですけど、そこではわりと自由に放送してたんです。NHKに不祥事が吹き荒れた時代だったんで、「なぜうちの会長はなかなか辞めないのか、皆さん、不思議に思っているかと思いますが、僕もそう思っています」とかね(笑)。そういう正直な放送を心がけていた。
でも、NHKが放送局として一番機能しなきゃいけないような3月11日から16日、17日ぐらいまでの間に、僕自身も言葉が濁ってしまうようなこと、非常に躊躇するようなことが、実際にはありました。内情をご説明すると、うちの会長って――もう、うちじゃないんですけど(笑)――NHKの会長ってNHKの人じゃないんですよね。皆さんご存知かもしれませんが、JR東海副会長だった松本正之さんという方がいまはNHKの会長。さらにはNHKの経営方針を決める経営委員会も、メンバーの半数以上が産業界の、いわゆる重厚長大系の企業の方々で構成されているんですね。なぜかと言うと、先ほど申し上げたような不祥事あって、NHKマンにNHKを任せるわけにはいかないということになり、NHK生え抜きの人材がどんどん減らされ、外部の産業界の人を増やしたんです。いわば産業界の中にNHKが入っていくような構図があった中での、震災だったんですね。
ですから、原発の事故に関しても、扱いは非常にセンシティブな問題となっていくわけです。そういう中でNHKの使命としては、パニックを起こさせないという大前提があった。また、松本会長がこんなことを言いました。「われわれは新しいレールをつくらなくていい。いまあるレールを守るのが公共放送だ」と。それを聞いたとき、僕はそれじゃあ新幹線だよなって思ったんです。ジャーナリズム機関である以上、本来なら自分たちで線路をつくり、そして検証をするというのも役割のはずなんですが、ああいう未曾有の災害においても安全運転というのが第一に心がけられた。100%裏が取れないものは出さないという平時の対応です。
でも、原子力災害でメルトダウンが起こっているかもしれないような状況で、誰も本当のことはわからない。そういうときに安全運転を徹底すると、曖昧な情報しか出てこないわけです。それで本当によかったのかと言うと、そうではないと思うんですね。実を言うと、メルトダウンが始まっているんじゃないかという話は、3月11日に夜9時ぐらいの段階で、われわれは聞いていたわけです。スタジオがさわさわさわっとするんですよ。僕は補助で、『ニュースウオッチ9』のスタジオに入っていたんですが、そこで「プルトニウムが検出されたとかいう話が入ってきてるぞ」という情報がフロアにいるディレクターなどに伝わるんです。「えっ? それが本当だったらメルトダウンだよね。大丈夫かな」というような話でざわめいていたんですよ。
その後、原発の状況はどんどん深刻化していくんですが、NHKはそれを伝えきれないわけです。NHKは権威主義なので、選ぶ解説者も権威主義的で、いわゆる原子力関連の学会の長などの大御所を呼んでくるんですね。そして、安全運転というベーシックなラインがあるんで、放送前の打ち合わせの段階でも、「たぶんこここまで進んでいるかもしれないけど、これはテレビでは言えないですねえ」と言って、事態が深刻化している可能性を示唆する情報はどんどんはじかれて出ていかなくなるんです。心ある社会部の記者などは、プルトニウムに関する原稿を用意したりもするんだけど、「これは出せないよねえ」ということになって、放送されない。
皆さん、中越沖地震の際に柏崎刈羽原発でボヤが起きたのって覚えてますか。僕、あのとき現場にいたんです。リアクター(原子炉)は問題なかったんですが、横にあるタービンが不具合を起こして黒煙が上がって、僕は生まれて初めて震える手で線量計を探すという経験をしました。そのときに仲良くなった東京電力の協力企業の方たちから、3月11日の夜とか12日の午前中に電話がかかってきた。彼らによれば、東電の関係先に「関東圏から退避せよ」という通達が出たというんですよ。「堀さん、テレビでは言えないと思うけど、何とかそういうニュアンスを伝えてもらえませんか」という中身でした。そういう電話があったことは当然、局内でも言うんですが、「いや、でも、本当のところはなかなかわからないよな」という話になって、結局、情報として外には出ていかないわけですよ。
僕は、NHKのツイッターのアカウントを個人で持っていたので、3月11日の深夜からは、それを使ってテレビが見られない人たちに向かって、NHKニュースをまとめて伝えていたんですね。そこでわかったのは、インターネットを流れる情報ってやっぱり速いんですよ。確かに玉石混淆なんですが、本当の一次情報を持った人の発信も中に混じっている。
たとえばアメリカがいち早く、福島第一原発の80km圏から退避しなさいという命令を出したいう話は、アメリカから英語で出たものが日本語に翻訳されてすぐ出ていたりする。でも、テレビを見ると、そんなことはまだ報じていない。「アメリカ人が逃げるって本当なの?」「NHKでやってないし、どうなの?」と、先行する情報に対してマスメディアの情報が少し遅れる、あるいは報じられないために疑心暗鬼がどんどん膨らんでいってしまう。
僕は、そういう状況は絶対に解消すべきだと思うし、メディア側の対応がどうだったのかということを――もう2年経っちゃいましたが――もっともっと検証していかなければいけないと思っているんですよ。
そういう中で、山崎淑行という科学文化部の記者が当時解説をしていたんですが、とても象徴的な出来事がありました。彼は僕が信頼している先輩記者の一人で、3月12日の時点でこんな解説をするんですよ。「まだ国は明らかにはしていませんが、深刻な原子力災害の恐れがあります。外にやむを得ず出なければいけない人は、念のため長袖の服や長ズボンを履いて肌の露出を抑えてください。内部被曝の恐れもあるので、外に生えているものを食べたりしないようにしてください。部屋の中にいるときには換気扇を閉じてください」という話をするんですね。僕もテレビのモニターでその解説をリアルタイムで聴いていて、「ああ、信頼する山崎さんが言っている以上、これは間違いない」と思って、ツイッターでそれを流したんです。
すると、すごいハレーションが起きました。「勝手なこと言って不安を煽るんじゃない」って、すごい勢いでクレームのツイートが押し寄せ、そしてリツイートされていくんです。さらに「ヤフーニュース」が僕のツイッターをトピックスに挙げて、「原子力災害に備えて」というタイトルで、「内部被曝に備えてください」と書くわけです。そのため、震災前の僕のフォロワーは7000人くらいだったんですが、一気に7万人ぐらいのフォロワーまで膨れ上がった。でも、ほとんどは「不安を煽るな」という声だったんですよね。
2~3日経つと、その情報は間違っていなかったことがわかるんですが、公共放送、テレビって、クレームにはものすごく弱い。クレームが来ると怯えるんですよ。でも、危険があるという可能性については、安全運転に徹するのではなく、積極的に報ずるべきなんじゃないかと思うんです。事故から1ヵ月後くらいに山崎記者に会ったとき、「山崎さん、あれは勇気のある発言でしたね。どういう気持ちで言ったんですか」と聞いたら、「僕はもうクビになるかもしれないと思って言ったんだ」という話をしていました。それまでの知識、経験に基づいて、これはいま言わなきゃいけないと考え、自分の判断で言ったと。
これは、単なる美談じゃないと思っているんです。マスコミで長年働き、知識、経験を持った記者が自分の判断で何かを言うときに、クビをかけなくてはいけないというのは、いったいどういうことかと思うんです。メディアとして本当に正しいあり方なんだろうかと。山崎さんは心ある記者ですから、クビになってもいいと思って発言したけれども、大半のサラリーマンジャーナリストたちは――当時の僕も含めてですけれども――ここでクビになったら家のローンが払えないとか、家族が路頭に迷うとか、再就職できないとか、生活に密着した悩みが、笑い話じゃなくて、本当にむくむくと自分の頭の中に湧き起こってくるわけです。
さらに、こんなことを言ったら、自分だけじゃなくて、上司も責任を取らされるんじゃないかと考えたりもします。そういう人が大半です。だから、組織ジャーナリズムのあり方に関してはもう1回再点検したほうがいいし、テレビや新聞で報じるときに、どうやってその責任を確立し、もしくは分離していくのかを考えなくちゃいけないし、コンプライアンスって何だろうかとかも、考えていかなきゃいけないと思うんですね。
僕自身、情報のギャップについての疑心暗鬼を埋めなきゃいけない、インターネット上に流れている疑問や不満や不安を解消しなきゃいけないと思って、取材した結果をツイッターで流したりしたんですが、そういうやり方はニュースを出す正式な手順ではないので内部情報の漏洩にあたる、したがってコンプライアンス違反だということになっていくわけです。
コンプライアンスに違反しないようにするのが本当に正しいのかどうか。僕らが、伝える必要があると判断して報じようとするときに、そのまま出るかというと、実は何重にもフィルターがかかっている。いわゆる合議制で成り立っているんですよね。合議の結果、OKとなれば出るけど、誰かが「ちょっと危ないんじゃないか」と言ったら出ないんです。平時はそれでいいと思うんですが、有事の場合、そういう合意にどれだけ有効性があるのかを、もうちょっと真剣に考えたほうがいいと思う。
原発事故から2年が経ちましたが、メディアの報道に関しては知恵を出し合ったり、批判しあったり、改善策を出し合ったりという作業を、みんなで徹底的にやったほうがいいんじゃないかなと思っています。
(古賀)
ありがとうございます。いま堀さんがお話になったことはNHKで起きたことなんですけれども、実はほとんど同じようなことが各テレビ局で起きていたし、あらゆる新聞社でも起きていたんですね。しかもそれは、あの非常時だから起きたということではなくて、実は現在でも体質はあんまり変わっていないんですよ。あの原発報道については1年を過ぎた頃から、本当にあれでよかったのかどうか反省をする会議が内部で行われたりもしたようですが、でも、表には出てこないですね。
私が覚えているのは『報道ステーション』の古舘伊知郎さんが、一昨年だったかな、自分は伝えきれていないことがあったという趣旨の発言を番組内で行ったことです。その上で、でもこれからはちゃんとやらなくちゃいけない、自分の番組はつぶれても報道すべきことは報道していきますという宣言を番組の中でした。これは、非常に異例な事態でした。私は古舘さんのことを個人的にもよく知っているんですが、そういう命懸けじゃないと本当のことを言えないという空気がある。
先ほど、メルマガ動画版の収録のときにお話ししていて、「ああ、やっぱりみんな同じなんだな」と思ったことがあるんです。何かというと、危機管理という言葉の使い方です。危機管理という言葉が放送局でどう使われているかというと、たとえばメルトダウンの事実を把握したときなんかに使われます。いち早く「メルトダウンだ」と伝えて、それが誤報だったとか、あるいは報道自体は正しくても大パニックが起こって社会が大混乱に陥ったとか、そういうことにならないようにという意味合いもあるんですけど、実はそれ以上に、何かを報道したときにクレームが来たらどうしよう、それを未然に防がなくてはいけないという意味が、「危機管理」には込められているんですね。
ですから、メルトダウンという報道が間違っていたら大変だということについては、これは報道の使命として一生懸命、慎重に考える。これは当然のことだと思います。そうじゃなくて、仮に正しかったとしても、あとで政権に「何で先に言うんだ」と怒られたらどうしようとか、あるいは最近では「アベノミクス」批判を派手にやって、政権からクレームが来たらどうするんだとか心配して、それを未然に防ぐためにはやっぱり報道は控えておこう、あるいは、言い方をちょっと変えよう、言葉では言わないで映像だけ流せばなんとなくわかってくれるんじゃないか、そんなことを考える。そういうことが「危機管理」だと思われている。
(堀)
「高度な政治的判断」という言葉も使いますね。
(古賀)
報道機関が、何でそういう政治的判断をするのかと思いますよね(笑)。
(堀)
そういう状況を改善する解決策を考えなくては、と思うんです。でも、実を言うと、日本以外の先進国ではこういうことに関して、わりと進んでいるんですよ。いわゆるオープンジャーナリズムです。ニュースが決まっていく過程、一人のジャーナリストが判断した軌跡を情報公開することによって、一人だけでは判断できないこと、不十分な部分、より専門的な知見を一般からどんどん募っていこうというやり方が、オープンジャーナリズムなんですね。
たとえば1年半ぐらい前にイギリスの名門新聞社ガーディアンが、オープンジャーナリズムを実践しますというタイトルをつけた記事を書いた。編集長が高らかに、インターネットの動画サイトでこんなことを言うんです。「私たちジャーナリズムは世界で唯一の専門家ではありません。ジャーナリズムを遂行するには皆さんの力が必要です」って。ガーディアンは何をやったかというと、自分たちのホームページに、ニュースの順番や中身を決める過程、ニュースルームの中身をリアルタイムで公開していったんですね。どの記者がどの項目を担当するのか、ツイッターのアカウントを持った記者をそこにあてて、一般の人がいろいろ注文をつけたりすることもできるようにしたんですね。
さらにニュースソースについても、専門の記者だけじゃなくて、一般の人たち――一般の人たちというと非専門家をイメージしちゃいますけれども、実は一般の人たちの中には科学者がいたり、弁護士がいたり、臨床心理士がいたり、その道の専門家たちがいるわけです。だから、一般というよりは非メディア人といったほうがいいかもしれませんが――そういう人たちに協力を仰ぐわけです。たとえば殺人事件が起きて、それが裁判になっているとする。いままでだったら司法関係の記者が会見に行ったり、弁護士さんを取材したり、捜査当局を取材したりして記事を書きますね。でも、そういう中身やプロセスを明らかにしつつ、もっと多角的な知見でその事件について検証する記事をつくるというようなことをやっていたわけですね。
つまり、原発事故の報道が問題なのは、なぜこれこれのことを報道するかという判断について、その過程がブラックボックスの中に、ニュースルームの中にしかなかったからなんです。報じられた成果物を見て、最終的にこれは当たってた、間違っていたという話になるんですが、原発事故の状況は世界中の科学者を集めても意見が分かるような状況だったはずなんですよ。にもかかわらず、一人や二人の専門家の意見を取り上げて、こういう状況じゃないでしょうかと報じてしまった。でも、もっとさまざまな専門家の意見をオープンな場で取り上げて議論してもよかったんじゃないかと思うんですよ。やりようは、いろいろあったんじゃないか、と。
ただ、このオープンジャーナリズムというのは、「やったほうがいいよね」という声はあっても、テレビ局で実際に実践しているところはまだない。朝日新聞が今年の正月に、ビリオメディアという企画をつくって、記者がツイッターを使いながら自分たちの取材過程を明らかにして記事をつくるという実験的な試みを始めましたが、まだそういう段階なんですね。でも、やはり情報公開って必要ですよね。
■公的情報への不信感を払拭するためには
(古賀)
メディアと、行政、あるいは政治、それぞれ違う世界ではあるんですけれども、堀さんが指摘した情報公開の話はいずれにとっても共通の課題です。
いまインターネットに膨大な情報が溢れているんですが、そうした情報の中に本当にキーになる重要な情報がちゃんと出ているかというと、実は隠されているもののほうがはるかに多いというのが現状ですね。
たとえば、原発再稼働について、安倍さんがどこかのタイミングで言い出すとしますね。でも、安倍さんが言及する前に経産大臣の茂木(敏充)さんが、再稼働とちょっとつぶやくとか、いろんな段階がある。そこに至る過程にもいろいろあって、そのプロセスではなかなか情報が出てこない。また、何か一つの判断や方針が決まったときに、実はその役所の中にもそうじゃないと思っている人たちはたくさんいるんですが、そうした異論や反対意見は全部捨てられ、最終的な結論、まとまりだけがポンと報道機関に説明されて、あるいは国会で説明されて、それが唯一正しい情報だということで流布される。そういう仕組みにいまはなっているんですね。
それを批判する側は、そういうプロセスとか反対意見などが隠された中で、たまたま自分が知っていることとか、手探りで調べたこととかをつなぎ合わせるという作業をしなければならない。これは非常に非効率であるし、非民主的でもあると思う。大事な情報を、官僚や政治家が独占していて、批判勢力はその大事な情報に接することができないかたちで、一人一人が反対勢力として戦っていかなくちゃいけない。
官僚とか政治家が持っている情報というのは、本当はみんなのものなんですね。ですから、結論はこうですという説明をするのはいいんですけれども、その過程ではこんな情報が実はあって、そのうちのこれとこれは使ったけれど、この部分は捨てているとか、こういう意見とこういう意見があったんだけど、こっち意見はこういう理由で削ったんですよということを本当は出すべきなんです。そうすることによって、使われなかった材料をもう1回組み立て直して、「こういう道があるじゃないですか」という議論ができるようにしていくことが大事なんじゃないかと思うんです。
(堀) そうですね。いろんなことに対して反対意見を言うときに、実は材料がなかなか見つけづらかったり、手元に正確な情報がなかったりすることが理由で、反対運動がイデオロギー対立みたいなかたちになってしまうことがあります。本来であればきちんと議論をして、改善策を見出せばいいのに、右か左かみたいな、赤かそうではないかみたいな対立に矮小化され、そして消滅していく。そんなことをずっと繰り返してきてしまったと思うんですよね。
僕はやはり、去年、UCLAにメディア関係の研究のために1年近く留学していたんですが、アメリカのやり方は仕組みとしてなかなか見習うべきところがあるなと思いました。制度としていいものを持っている。特にオバマ政権は第1期のときから「オープンガバメントを徹底します」と重要政策に掲げたわけですね。オープンガバメントって何かというと、政府が持っている情報を公開して、しかもインターネットを使って一般の人たちが入手し、そして使いやすくすることを徹底しましょう、ということですね。そのために、いろいろなサイトをつくったりするわけですよ。
その際に、なかなかやるなと思ったのは、ただ情報を公開するだけじゃなくて、その情報を分析して見やすくするためのアプリケーションソフトもフリーで公開するんですよ。たとえば、お役所が出す数字って僕らが見てもよくわからなかったりするじゃないですか。理解するのに相当時間がかかる。ところが、そのホワイトハウスの関連のページで公開されているアプリケーションソフトにその数字を入れると、誰もがわかるグラフになって出てくるとかね。そういう一般の人が情報を触りやすくするような仕掛けもつくってあるんです。
これは何かというと、知る権利とかの話ではなくて、もろ経済政策です。情報公開をすると、どこがうまくいっていないのか、どこにお金が集まっているのか、どこが社会問題なのかということが知れ渡るじゃないですか。そうしたら、優秀な人たちが勝手に「この問題を解決すればビジネスになるよね」なんて言って、ベンチャー企業とかがピンポイントでその仕組みを改善する会社を立ち上げたりできるわけですね。つまり、情報公開されることでイノベーションが生まれ、イノベーションが起きると雇用が生まれるんですよね。雇用が生まれると人々がお金を手にするので、経済政策として成り立つと。
なるほど、情報公開はつまり経済政策なんだなあと思ったんです。それに対して日本の場合は、情報公開請求するにしても一般の人では簡単にはできなくて、いわゆるプロの市民活動家と言われるような人たちの力を借りて、やっと情報が出てくる。でも、やっと出てきたと思ったら半分以上が黒塗りの資料だったみたいな、そういうことがいまも続いているので非常に非効率的だと思うんですね。
(古賀)
そうですね。政府は、情報というのは自分たちの都合のいいことを都合のいいように理解してもらうための手段であると考えているんですね。だから、資料を公開する際の出し方を見ても、ほとんどがPDFですよね。そうじゃなくて、ワードとエクセルで出してほしいんですよ。そうすれば、記事や原稿を書くときに引用するのも簡単になるし、エクセルであれば加工するときにすごく使いやすいですよね。情報というのは知ってもらうだけじゃなくて、それを使っていろんなアイデアを生み出してもらうことに役立ててもらうべきなのに、そういう意識は全然ない。むしろ、反対する人が利用すると困るから、利用しにくくしてやろう、みたいな意識です。
(堀)
危機管理ですよね。
(古賀)
とりあえず情報公開しましたというアリバイはつくっておこうと。だから、ものすごく見にくくなっているし、見せたくない情報はなかなか見つからないようにしてあります。
(堀)
確かに、簡単なリンクじゃないですよね。原発関連の資料とかも、探って、探って、探って、深いところに最新のPDFファイルが1枚置いてあったりして。
■「もんじゅ」はどうなる? そして原発輸出の真相は?
(古賀)
一般の方からの質問をお受けしますが...。
(質問)
手短に二つなんですけど。まず「もんじゅ」が止まるのかどうか。で、止まったら、他の原発も止まるのかどうかというのをまず一つと。もう一つは、安倍総理が海外に原発を売り込みに行った話、その2点について。
(古賀)
まず、「もんじゅ」の話は、少なくとも運転停止命令は正式に出ると思うんですね。しばらく動かなくなると。ただ、動かなくなる理由が「もんじゅ」をやめろとか、あるいは核燃料サイクルをもうやめてしまえとか、そこに本質的問題があるという議論ではないんですね。報道されている通り、1万点近い部品ないし設備に点検義務があるのにやっていなかったということが理由です。こんないい加減な組織が存在していいものかとか、規制委員の人が言っていましたけどね。ですから、少なくともしばらくの間は動かない。これは確実です。もともといろんな問題があるので、動かすのは難しい設備ではあるんですけれども。
それで、その先はどうなるかというと、点検をしていないから止めますということは、逆に言うと、点検をちゃんとすれば動かしていいですということにつながる。そういう伏線が今回ひとつ敷かれているわけですね。それから、実は原発輸出というのはこの問題と非常に深くリンクしています。
安倍政権が続く限りは、基本的に「もんじゅ」も動かすという方向に行くというのが、私の見通しです。もともと、「原子力ムラ」というのは原発を維持したい、維持どころか増やしたいと思っている人もまだまだいるんですが、そうすると当然、核のゴミの問題が出てくる。核のゴミの問題については、最終的には地下深く埋めて処分するはずだった。いまもそれは政府の方針なんですが、実は去年、これについては非常に重大な出来事があったんです。日本学術会議という、日本のアカデミアの中では最高に権威のある会議があって、その学術会議に対して、原子力委員会――これは原発推進の組織です――が、原発のゴミの最終処分方法についてどう考えるかについての諮問をしたんです。原発やめろとか核燃料サイクルやめろとか、世の中の反対、逆風が強まってきたので、学界に味方してもらおうとしたんでしょうね。原発ムラの人たちの頭の構造としては、学会は自分たちの味方であると考えていたらしいんです。それで、学術会議という最高権威に諮問をした。それに対して答申が出てきたんですが、これが、原子力委員会が想定していたのとまったく違うものだったんですね。
どういうことかというと、地層深く埋める処分には問題がある、なぜならば、日本のいまの地質構造は東日本大震災以降、ガラッと変わって非常に危険な状態になっており、安全な地層を見つけるのは簡単ではない、というのが理由の一つです。
また、地層深くに埋める際、ガラス固化して埋めることになっています。で、ガラスは絶対変質しないように思うんですけれども、やはりかなり高濃度の放射性物質を入れて埋めておくと、100年、1000年と経つと変質して、多少漏れ出し始めるそうです。もともとの想定では、仮にそれが漏れ出し始めても、地下深く埋めるので、地表に出てくるのには1万年くらいかかかり、その頃には濃度が非常に下がっているので、万一それが大規模に起こったとしても問題はないという説明になっていたんです。しかし学術会議は、やっぱりこれは問題だと言いました。
なぜ問題かというと、東日本大震災のときに突然、住宅地で温泉が出たように、地震が起これば非常に危険な猛毒の放射性物質が温泉とともに湧き出すことが可能性としてあり得るからです。十分に濃度が下がっていればいいけれど、日本ではいつ大地震が起こるかわからない。だから、それはやめたほうがいいという答申を出したんですね。
これは、非常に衝撃的な報告なんです。その他にも、原子力をどんどん使うなんていうのはやめて、核のゴミは上限いくつまでという数字を決めなさいという趣旨のことも言っているんですね。とにかく、原子力開発をどんどん続けることはできませんよと言ったに等しい報告書なんですね。
この答申は、当時の民主党政権もほとんどまともに取り合わなかったので、いまは埋もれています。でも、本当は核のゴミは現実には処分できないという話になっているんですよ。
一方で、核燃料サイクルというのは、再処理をして、最後は「もんじゅ」に持っていくことになっている。「もんじゅ」に持っていくと、高速増殖炉ですからプルトニウム燃料を使うことでもっとたくさんのプルトニウムが出てくる。なにしろ、夢の増殖炉とですからね。そうなると結局、日本のエネルギーは一切制約がなくなる。そういう夢物語になっているので、どうしてもやってもらわないと困るという状況にある。だから、この核燃料サイクルは、やめたくない。
もう一つ、原発輸出の問題がありますね。先日、トルコの優先交渉権を取りました。4基ぐらいで2兆円とかいう皮算用をしているんですが、これにはいろんな問題があります。一つは安全の問題。本当に日本の原発が世界一安全なんですか、と。日本の原発安全基準は欧米に比べてまだ遅れていますから、その意味で危ない。
それから、途上国には技術者とかノウハウを持った人がいませんから、どうやって原発を動かすのか。もちろん、日本の技術者は行きますけど、全員が日本人でやれるわけにいきませんから、何かミスが起きる可能性は非常に高い。つまり日本で運転するよりさらに危ない。今度トルコでつくる原発の立地場所は砂漠じゃないですけど、サウジやUAEの場合は、砂漠につくることになる。すると、砂という問題にどれだけ対応できるのかというリスクも生じます。そういう意味で、安全という問題がありますね。
それからもう一つは、中東の地域的な問題です。中東の周辺を見てみると、インド、パキスタンが核を保有しています。それからイスラエルも核を持っています。そしてイランがいま核を開発しています。ですから、中東の国々というのは安全保障上、核開発をしたい国ばかりなんです。もちろん、原発輸出をするときは原子力協定を結んで、そういうこと(軍事目的への転用)は絶対しませんという条約を結ぶんですけれども、これがいつまで守られるかというのは保証の限りではありません。現に韓国は原子力協定でそういうことはできないことになっているんですが、アメリカに対して「再処理をさせてくれ」と要望しています。再処理をするということはプルトニウムができるということです。プルトニウムは核爆弾の原料になる物質ですね。韓国の理屈は、北朝鮮もつくっているんだから自分もつくりたいということでしょう。今回の原子力協定の改定交渉では、アメリカが韓国側の要求を抑え込んで、できないということになりましたが、これは2年間の暫定延長です。つまり2年後には再交渉したいというのが韓国の動きですね。
韓国でさえそうなんですから、アラブでも当然そういう動きが出てきます。核爆弾の原料になるプルトニウムをつくりたい。そのために再処理をさせてほしい、ということになります。アメリカはもちろん、そんなことは絶対認めたくない。それなら、原発をそんな危ういところにつくらなければいいんですが、アメリカのGEやウェスティングハウスといった会社は日本企業と手を組んで売りたいんですね。ですから、日本が輸出することについてはアメリカはゴーサインを出す。ぜひ売ってください、GEとかウェスティングハウスと一緒にやってくださいと、こう言っているわけです。
トルコに輸出する原発は三菱製で、三菱はフランスのアレバと組んでいますけれども、他の周辺の国に対しては、GEは日立、ウェスティングハウスは東芝と組んで売りたいと考えています。
いずれにしても、中東のようなところにたくさん原発ができて、核のゴミが出る。そして、再処理したいと言い出す。だけど、それは絶対やらせたくない。プロトニウムができるから。だけど、途上国の側からは「じゃあ、どうするんですか。ゴミはどうするんですか」という声が出てきますよね。そこで登場するのが、正義の味方ニッポンなんです。つまり日本には夢の増殖炉「もんじゅ」がありますし、青森にすばらしい再処理工場ができるはずであると。したがってこれをますます大規模化して、世界中の、特に途上国のゴミを集めてくると。で、再処理をしてまた燃料にして戻してあげて、向こうで使ってもらう。それを繰り返すということです。世界の再処理工場になるというのが、これが実は自民党というか、もともとは経産省とか「原子力ムラ」の人たちが考えたプランなんです。
それが一昨年ぐらいから水面下で、検討会とか研究会の名を借りて、語られています。そして、自民党だけじゃなく、民主党の政治家もかなり洗脳されています。つまり、再処理を続けることが、ゆくゆくはアメリカや世界中から感謝される国際貢献になるという理屈なんですね。原発を輸出して動かし始めてしまえば、必ず再処理の問題が出てくるので、そこで「日本が引き受けますよ」ということにつながっていく。日本国内だけじゃなくて、国際的な仕組み・枠組みをつくって、原子力の再処理を続けようとしている。それがいまの動きなんだろうと思います。
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後編、さらに原発再稼働の裏側について古賀氏が持論を展開。次回に続く