●「世界津波の日」とは?
11月5日は国連制定の「世界津波の日」。この日は、1854年の安政南海地震(M. 8. 4)による大津波の際、収穫した穂を積み上げた「稲むら」に火を放って、暗闇の中で逃げ遅れた村人を高台に導いたという和歌山県の逸話に由来しています。
世界で発生した津波としては、9月28日にインドネシア・スラウェシ島でおきたM7.5の地震とそれに起因して発生した最大11.3メートルの津波が記憶に新しいかと思います。
このスラウェシ島での地震により死者2,081人、重傷者4,438人、行方不明者1,309人の被害が出ており、未だ20万人が避難生活を余儀なくされています(インドネシア国家防災庁 10月25日現在)。
●津波の恐ろしさに足がすくんだ
津波の被害が大きかったインドネシアパル市の浜辺では、発災当日にお祭りが予定されていました。パル市に住むインドネシア赤のボランティア、ヌルヤーティさん(45歳)は、そのお祭りの運営準備を進めていて津波にのまれました。「突然大きな地震が起こり、私はその場にいた大勢の人たちと一緒に逃げようとしましたが、大きな津波が迫ってくるのを目にして、ただ呆然と立ちすくんでしまいました。恐ろしさに体が動かなかったのです。そのまま津波は私をのみこみ、水に流されながら私は意識を失ってしまいました。気がつくと、私は浜辺から内陸に押し流されており、周りは瓦礫だらけ。しばらく経ってから、自宅に戻ろうと決心して歩き出しました」と語ります。
パル市には、地震発生からわずか8分で津波の第一波が到達し、逃げる時間は非常に短かったとの報道もあります。津波で手足に擦り傷などの怪我を負ってしまったヌルヤーティさんですが、軽傷で済んだのは奇跡的でした。
●日赤の支援
日赤は発災直後から職員をインドネシアに派遣。日赤の医師・看護師が緊急医療アドバイザーとして、仮設診療所を設置・運営する支援をはじめ、診療所に足を運べない住民に医療を届けるために巡回診療を展開するなど、地元インドネシア赤十字社の保健医療活動を支援しています。
また、現場を見た日赤医師は、津波の後の感染症や住宅の瓦礫から出るアスベストによる今後の影響を危惧しています。
日赤は発災直後に資金援助と物資支援も決定し、これまで毛布7,500枚、雨風をしのぐためのブルーシート4,000枚、テント920張の物資支援を行ってきました。物資の一部は自衛隊の協力のもと、被災地パル市に空輸されました。
●まとめ
30万人以上の死傷者を出した2004年のスマトラ島沖地震から13年。津波の恐ろしさを経験した東日本大震災からも7年という年月が過ぎています。日本に住む私達にとっても他人事ではなく、近い将来に再び起こりうる地震や津波の恐ろしさは忘れてはなりません。
この"世界津波の日"をきっかけに、津波を始めとした災害から身を守るために私たちにできることを考えてみませんか。
インドネシア・スラウェシ島地震災害救援事業について、詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.jrc.or.jp/activity/international/results/181011_005468.html