政治家は自らの権力を強化するためには手段を選ばないものである。自分たちにとって最も有利な状況で選挙を行いたいという欲望に動かされるのも当然であろう。消費増税の先送りやアベノミクスの継続を問うという安倍首相の言い分が後付けの理屈でしかないことは、国民も見透かしている。世論調査でも、解散に納得がいかないという意見が多数である。
選挙の争点は、権力拡張のために権力を使うという安倍晋三首相のやり方を国民が支持するかどうかに尽きる。この問いについて考えるためには、安倍政権の経済政策がこれからどうなるかを占うことよりも、この2年間に安倍政権が何をしてきたかを考えることが必要である。自宅近くに、公明党の太田昭宏(おおたあきひろ)国土交通大臣と安倍首相が一緒に映ったポスターが貼ってあり、「政治は結果」というスローガンが書いてあった。
与党としてはアベノミクスの成果を誇りたいのだろう。アベノミクスの具体的な帰結は、大幅な金融緩和による円安である。それがもたらす影響は、ゼロサムである。輸出企業は大きな利益を上げているが、輸入物価の上昇は消費者や中小企業に損失をもたらしている。
■ 日本版マッカーシズム
私は、この2年間の日本社会の変化、より正確に言えば劣化こそが、最大の判断材料になると考える。この2年間で日本社会は殺伐たるものとなった。在日コリアンに対するヘイトスピーチが野放しにされ、歴史修正主義論者は新聞、雑誌で「国賊」や「売国奴」などの言葉を多用するようになった。朝日新聞の慰安婦報道に関する「誤報」の撤回を契機に、リベラルなメディアに対する攻撃が吹き荒れ、21世紀の日本でマッカーシズムが出現した。
それらは、安倍首相の作為、不作為両面の意図がもたらした結果である。右翼と親密な関係にある女性閣僚の登用、NHK経営委員に右翼の小説家や学者を起用したことなどはすべて排外主義や歴史修正主義を勢いづけた。安倍首相は朝日新聞の誤報を契機に批判的なメディアに戦いを仕掛けている。首相側近が語ったとおりにそのまま伝えた朝日新聞の記事を捏造と決めつけたり、市民の街頭インタビューがアベノミクスに批判的だったことを捉えて、作為的に否定的市民を登場させたと怒ったりと、自分に批判的なメディアを力でねじ伏せようとしている。
このような異論に対する子供じみた反応を見ていると、首相の精神状態は錯乱しているのかと疑いたくなる。まさに、安倍晋三という政治家を首相に据えておくことを望むかどうかが、選挙の争点である。集団的自衛権行使が正当化され、日本版NSCが設置された今、このような不安定な人間が戦争のボタンを押す地位にいることを、日本人は認識すべきである。
日本は自由と民主主義の基本的な原則を保持するのか。人間の尊厳が守られ、多様性が尊重される寛容な社会を守るのか。文明社会にとどまるのか、野蛮に対抗していくのか。日本人の知性と品位が問われている。