ソーシャルメディア時代に必要なジャーナリストのスキルとは。ジャーナリストキャンプ2014の報告イベントで、新聞協会賞を2度受賞した依光隆明朝日新聞社編集委員、西田亮介立命館大特別招聘准教授、アメリカのジャーナリズムに詳しい在米ジャーナリストの菅谷明子さんが、調査報道の重要性やジャーナリスト教育について議論した。(JCEJ運営委員)
◆プロパブリカは記者会見に行かない
西田:ジャーナリズムは、日本で十分機能しているのでしょうか。
依光:危ういと思います。「書いてほしい」ということを書くのは簡単ですが、「書いてほしくない」ことを暴くには労力とお金がかかります。朝日新聞は700万人に(新聞を)売ってもうけた分をそちらに充てていますが、最近は部数も広告も減っています。そうなると、まずリストラされそうなのはそういう分野です。労力をかけて調査報道をしても部数は増えないし、そういう記事を書かなくても部数は減らないからです。実際に少なからぬ新聞社で調査報道から足を引くような現象が起きています。いま朝日新聞は調査報道専門の部署に記者を30人抱えていますが、そんな新聞社は朝日だけです。そんなことがいつまでできるかは分かりません。
西田:菅谷さん、なぜアメリカではウェブの新しいジャーナリズムや非営利ジャーナリズムが受け入れられているのでしょうか。
菅谷:ベンチャーでも言われることですが、アメリカは、アイデアのある人が何かやってみよう、という基盤が日本よりあると思います。やりたい人がいて、サポートがある。失敗してもいいじゃないかと。何かを始める敷居が低いのは、ジャーナリズムでもビジネスのスタートアップでも一緒。例えばナイト財団では「ニュースチャレンジ」という新しいニュースの在り方のアイデアに積極的にお金を出す取り組みもあります。新しいことに挑戦したら、ほとんど失敗するわけですよね。でもその中から予想もしないものも出てくる。だから母数は多ければ多い方がいい。
非営利ニュース組織は70くらいあります。プロパブリカ的なものは1970年代後半ごろから。全国民が支持しているわけではないですが、民主主義に調査報道が不可欠と考えている人はたくさんいます。「アメリカは寄付文化があって、富豪がいるから成り立つ」と言う人がいますが、富豪は毎日のようにいろんな団体から「お金を下さい」と言われている。寄付文化というより、ジャーナリズムが社会で一定の役割を担っていて、それが評価されお金が付いた、と考えるのがベターだと思います。
西田:依光さん、どうすれば日本で調査報道を普及させることができますか。
依光:さきほども言ったように、調査報道には労力とお金がかかります。高知新聞から朝日新聞に入って驚いた一つは出張が自由にできることです。調査報道は「いける」と思っても、字にできるのはせいぜい1割。地方紙の場合、1割の確率ではなかなか出張させてもらえません。発行部数が20万部と700万部では体力が違うんですね。朝日新聞はわずかな可能性があったら鹿児島でも北海道でも瞬時に行きます。700万人の読者に調査報道が支えられている構図です。独立してネットを舞台に調査報道をやろうとする人もいますが、ビジネスモデルとしてはなかなか成り立たない。ネットではお金が上がってこないですから。
西田:従来型のマスメディアしか日本のジャーナリズムを支えることができないなら、つまらないし、健全ではないですよね。従来型のメディアが食えなくなったらジャーナリズムは崩壊するのか、という問題もあります。
菅谷: 今あるリソースを最大限に使う為の見直しが、ジャーナリズムではあまり語られていないと思います。たくさん記者がいるのに、談話を取るためにものすごい時間を使っていますよね。プロパブリカは記者会見に行かないし、プレスリリースも見ない。検証こそに価値があるのに、日本のメディアは誰が何を言ったかにこだわりすぎではないか、という気もします。
◆会社ではなく社会と対峙せよ
質問:ソーシャル時代に求められる記者のスキルは何ですか?
西田:キャンプで一番感じたのは、現在のジャーナリズム業界の皆さんは、いったん普段の職場や所属組織を離れると、いま自分が何を取材しているのか、その取材がどんな意味や文脈を持つのかを把握する「メタ認知」の形成が苦手なのかなという印象を持ちました、換言すれば、適応力に乏しいのではないか、という印象です。
もう一つは、体系的なトレーニングの機会に乏しいのではないかという点です。実際(マスコミ)各社の教育は、かっこ良くいえば、背中を見て学ぶ側面が大きいと思いますが、昨今余力がなくなっているのか、社員の年齢構成に課題があるためか若手に手をかけられないのではないでしょうか。その結果、記者の能力格差が大きくなっているのではないか。これを補うべくOJTによる学習に加えて、体系的学習やカリキュラムの作成が必要ではないかと思いました。
依光:朝日新聞は社員が4000人いて、会社が一つの社会を形成しています。記者教育も社内で完結しています。記者は先輩、キャップ、デスクを見て、求められる記事を一生懸命書く。ジャーナリストというより朝日新聞社員としての仕事をしている図式です。ソーシャル時代になると、記者は一人のジャーナリストとして世間と対峙することになるように思います。必然的に自分の頭で考えなくてはならない、と。
菅谷:自分の持っているバイアスの認識が欠けていると思います。人間は自分が信じるものを真実と思う傾向にある。記者はそこから離れる必要性を問われていて、自分に吸い付く情報ではなく、何を見逃しているかを自覚することが非常に大事です。取材相手が大事なことをあなたに言うだろうかと考えるといい。自分の父親について朝日新聞の人が来て1時間話を聞いて、語ったことは事実でも、父親の全体像ではない。ソーシャルのつぶやき分析も、思っていることをストレートにつぶやくことが前提ですよね。私は本当に大事なこと、プライベートなことはつぶやかない。出てこないことにこそ本質があることも忘れてはいけないと思うんです。聞こえないもの、見えないもの、自分のバイアスを突き詰めることが必要だと思います。
依光:相手の立場を分かっておく必要があります。「この人はどう思っているのだろう」を考えるのが大事であり、「自分はこう思う」というのは、究極、新聞記者にはいらないのでは、とさえ思います。常に気を付けているのは「ファクトは何か」ということです。「論」というのはかっちりしたファクトがあって初めて成立します。ファクトは隠れていることが多くて、掘り出すには労力がいります。個人的には「~という」「~だそうだ」「約~」はできるだけ消すように事実関係を突き詰めています。あとは、人の言うことを信用しないこと。飲み屋でママさんが「あなたかっこいいわね」というのは絶対嘘ですから(笑)官僚や政治家はその場の言葉がうまい。そういうことを考えるのは初歩の初歩ですが、その積み重ねだと思います。
菅谷:依光さんは人を疑えとおっしゃいましたが、私は多角的視点だと思うんですね。例えば、取材対象に話を聞いたら、それはその人バージョンの見方であるし、それはあくまで自分に語ったことであり、勿論、言わなかったこともあるはずです。アメリカも徒弟制度的に学ぶところはありますが、一方で、ジャーナリズムスクールや組織の垣根を越えたジャーナリズム団体等による学びの場が多々あり、ファクトのあり方、インタビュー方法、倫理観、状況の再現法など基本を体系的に勉強する機会があります。
◆エピソードで世界を語るな
西田:多くのジャーナリストが現場にとりあえず行き、ストーリーを時系列で書くことを好みます。むろん悪いとは思いませんが、仮説検証やデータの活用、最近ではデータジャーナリズムなどの多様な手法があるのに、それらを使い分けようとする意識が弱いとキャンプでは感じました。
菅谷:英語ではanecdotal journalismと言うんですが、エピソードで世界を語っちゃう。例えば「最近、若い男性がスピードを出すので事故が多い」という話があると、「最近の若い人はスピード出してうるさいのよ」という話を5個集めてくれば、それを"検証"したことになる。ビッグピクチャーが何なのか分からないのに、たまたま聞いた人の話で方向性を作ることは簡単にできます。「そんなことないですよ、主婦だって最近ガンガン車を飛ばしてます」と言った人がいるかもしれないし。でも実際は、もっと信頼できるサンプル数の大きいデータを取らないとわかりません。エピソード型は、事実誤認を導くことにもなります。
統計専門家のネイト・シルバー氏は、政治記者と評論家に嫌がられていました。「政治家にインタビューしたことも現場に行ったこともないのに、政治が分かるわけがない」と。でも(大統領選挙の各州の)予測が全て当たったことで、取材の意味が再考されるようになったんです。また、ハフィントンポストのワールドカップのサッカー分析の記事はすごく面白いですし、データ分析は、新しいニュースの提示の仕方だと思います。ただ、データジャーナリズムはアメリカでは25年以上の歴史があります。私が99年に取材したUSATodayは、当時、交通違反や事故を起こす割合が多い層について、500万件のデータを分析したら、若い男性が多いと思っていたのに、高齢者がすごく多いことがわかったという記事を書いていました。街で一日だけインタビューして書くのとはレベルが違います。
また、毎日ニュースを出す必要あるのかも疑問です。勿論、日々のニュースはいずれかの組織が担う必要がありますが、同じようなことを別の新聞も伝えていれば、記者の貴重な時間が効果的に配分できていない。各組織がうちはこれが得意、というところに特化すれば、これまでカバーされなかった、意味あるトピックもカバーできる余裕がでるのでは。小保方さんの会見に200人行ってもいいけれど、それならば、もっと突っ込んでほしい。行かなかったら別のトピックで、もっと意味ある取材をすればいい。リソースの使い方が課題かなと思います。
質問:ジャーナリストになりたい学生はどういうキャリアから始めればいいですか。
西田:ちゃんと稼げないと絶対嫌な人なら従来メディアしかないでしょう。それよりも冒険的な人はベンチャーやイケダハヤトさんみたいに高知に移住しても面白いでしょう。ジャーナリストのスタイルが、いわゆる昔のような「新聞記者」から多様になっているとすれば、目指す方向によるのではないでしょうか。各自の選択ですね。
依光:「どういうジャーナリストになりたいか」が大事であって、キャリアは何でもいいと思うんですよ。普通の会社で働いても意味があると思うし、既存の新聞社やテレビもあるし。ネットもあるし、自分でやる手もある。大事なのは、どういうジャーナリストになりたいか。自分は調査報道を一匹狼でやるというなら、かなり困難でお金もいります。どんな仕事をしたいか、何を一生の仕事にしたいか、から考えたらいいと思います。
菅谷:お金儲けとは無縁ですが、ジャーナリストになって良かった。楽しいし、面白い仕事。書いたことが社会にインパクトを与えたかな、と思えることがある。あの記事を読んだからこんなアクションをしました、この記事によって国の政策がちょっと変わりました、というところに楽しみを見つけられるんです。ジャーナリストとしての活動の先に何を見いだすかが大事。文章が好きだからでもいいが、ジャーナリストは社会との接点があってこその仕事で、そこを明確にすべきかなと思います。とりあえず何でも良いから極めてみて、フレキシブルに考えていけば、未来は拓けるのではないかと。
西田:僕はジャーナリストではないですが、筆で社会に影響を与えたいとは常々思っています。最後に、日本の社会で新しいジャーナリズムがどのように機能すればいいのか、展望をそれぞれお伺いできますでしょうか。
依光:展望はないですが、裾野が大事だと思います。ジャーナリストになりたいと思う人がたくさんいたら、多様な形が出てくるのではないかというのが楽天的な希望です。僕が会社に入ったとき、先輩方が、好きなように動いて、好きなように書ける、こんないい仕事はないと言っていました。確かにそうでした。給料が安くても楽しいことなら続きます。
菅谷:やっぱり、面白い仕事ですよね。今は、ソーシャルメディアで市民の声が記事のタイプを決め、優先順番を決め、ある種の価値付けが行われる中で、私たちにとって、どんな情報が、何のために必要なのか、もう一度考えてみる時期だと思います。(セッション終了)