ハメシュってなに?限界集落支える3種のジビエ

全国屈指の貧乏県ながら、陽光さんさん人みな明るく自由があふれ...。そんな高知県には幾つかのタブーがある。

【連載】自由の深淵、高知のタブーを歩く

全国屈指の貧乏県ながら、陽光さんさん人みな明るく自由があふれ...。そんな高知県には幾つかのタブーがある。いや、正確にはタブーとはいえまい。都会的価値観から見るとタブーかもしれないが、高知県的自由価値観では普通の光景なのである。たとえばそれは集落が絶滅しつつある現実であり、公的ギャンブルでありながら財政貢献はしていないという問題であり...。法を無視して造ったマンションが超人気という「ここって本当に日本?」的な風景もある。東京育ちの若手ライター3人が自由の地、高知を歩いた。 

高知市中心部の観光名所、日曜市から北に1時間ほど車を走らせた山あいに大川村がある。この村、実は行政関係者や学者の間ではけっこうその名を知られている。離島を除くと日本で最も人口が少ないうえに、住民の約半数が65歳以上。つまり過疎、少子高齢化のトップランナーなのである。頭に浮かぶのは灰色の風景だ。限界から消滅へと向かう老人集落が点在し、背中の曲がった暗い表情のお年寄りが寂しげに生きる。そんなイメージで取材に向かった現地の実態は...住民たちは驚くべき元気と活力を発していた。 (取材・文・写真/小林陽彦)

ダムの対岸から見た大川村中心部

■「私らコーキコーレーシャッ❤」

急な山道にアクセルとブレーキを絶えず行き来させ、高知県の北端を目指す。と、山あいに突如大きなダム湖が現れた。湖にかかる、赤く長い一車線の橋を渡った先が大川村だ。かつては4000人超が生活し、映画館やパチンコ店でにぎわったが、昭和40年代に早明浦ダム建設によるほぼ全域の水没と、白滝銅山閉山のダブルパンチを受け、10年間で71%もの住民が流出した。平成の大合併で周辺自治体から見離された結果、2005年には538人にまで人口が減り、離島を除いた自治体で日本最少に。その後も歯止めがかからず、最新の国勢調査では365人にまで落ち込んでいる。

データを眺めるだけで、活力を失い、消滅へと向かう限界集落の灰色が浮かぶ。過疎のアウトラインを取材するにはもってこいの場所。そう考えたのだが、村に立ち入ると先入観は少し覆された。村入り口の標識をくぐってすぐに道の駅ならぬ「村の駅」があり、地鶏の炭火焼きが煙をもくもくと上げている。部屋びっしりの土産物売り場に綺麗なトイレは、まるで観光地だ。ダム湖に臨んだテーブルでは小さな子連れの3家族がバーベキューで盛り上がっていた。さらに10分ほど車で進むと、美しい湖面に面した集落が開ける。ガラス張りでモダンな造りの村役場を中心に郵便局、診療所、食堂、ガソリンスタンド...と全て一本の県道沿いに連なっているコンパクトな生活は、かなり便利そうだ。さびれた印象はなく、手の行き届いた綺麗さからは人のエネルギーを感じる。

(左)「村の駅」で焼いている地鶏の焼き鳥

通りの一番手前にある明坂商店の戸を開けてみた。コンビニでおなじみの菓子パンやおにぎりが並ぶ台の奥で、明坂静子さんが客と談笑していた。エプロンにしわを作らないピンとした背筋、大きな目に黒髪ふさふさ。聞けば当方の両親とほぼ同じ51歳の息子がいるというのに、ピチピチ肌の静子さんは若々しさであふれている。本人曰く、昨年11月には山作業で足を滑らせて転倒、脊髄を骨折したが、手術もせずこの3月には治ったのだとか。「こうして物を持って歩くとまだちょっときついけどねえ」と言いながら、そのスピードはまるで競歩だ。失礼ながら、いったいお幾つなんですか?「私らは、後期高齢者っ」。血色の良い両頬をつり上げ、語尾にハートマークでも付きそうなたっぷりの愛嬌でけむに巻かれた。

「大川の番犬」とも呼ばれる明坂商店。店先は静子さんの趣味の花でいっぱい。

■見た目と妙にマッチ。熱くて...臭い

子供や働き手が出払う平日の午後なのに、どこを歩いても若々しいエネルギーにあふれた人ばかりだ。このアンチエイジングぶりは一体何なんだ。明坂商店の静子さんに健康の秘訣を聞いてみた。「体の調子が悪うなって、病院のお薬も効かんじゃーって時には、ハメを使うねえ。咳が止まらん時なんかにはちっちゃいおちょこに入れてハメ酒をカポッと飲むんよ。そしたらイチコロよ。部屋中臭うて臭うてたまらんのやけど」。

ハメとはマムシのことだった。毒蛇のマムシ。高架下の居酒屋でハブの入った一升瓶は見かけたことがあるが、この近辺では山で捕ってきたマムシを酒に漬け、いわば万能薬的に飲んでいるらしい。さらにマムシの酒は美容液としても手荒れを治すという。布に浸して湿布薬としても活用するのだとか。「あれが熱をとるのよ。打ち身なんかには一番ええね」。買い物客の伊藤さんが合いの手を入れる。「牛や犬がハメに噛まれたときにもええぞ。飲ませたり塗っちゃれば一晩で治るど」。

ハブ酒ならぬハメ酒の作り方はこうだ。捕ったマムシを水で満たしたペットボトルに1カ月ほど入れ、体内の毒や食物を吐かせる。「人間の健康診断と同じで腹の中を空にするんじゃ。たまにカエルがぽこんって出たり、ちっちゃなヘビの子供が10匹くらい出るぞ」と伊藤さん。想像するだけで健康が害されそうな光景だ。3~4日ごとに入れ替えた水が濁らなくなったらマムシを一升瓶に移す。そこに梅酒などに用いる35度の焼酎「ホワイトリカー」を注ぎ込む。生命力の強いマムシは焼酎の中でも15分ほど抵抗を続け、その死に物狂いの中で出るマムシの体液が酒と混ざって強力な滋養効果を生むのだとか。「昔から体が弱った時は一生懸命飲んだもんよ。ニシミネのおんちゃんなんて心筋梗塞で倒れる前、病院に行ったらこの人アル中や言われてたわ。普段は一滴も酒を飲まんけんど、おんちゃんのことじゃけ何杯も飲んだんじゃろ。ガハハッ」

マムシのエピソードは後を絶たない。酒漬けする以外にも生の肝を飲んだり、身を串刺しにして火で炙ってかじったりする。白焼きをすり鉢で粉末にしてご飯にふりかけるのが一般的で、筋肉系の回復やリウマチなどに効くと伝えられている。滋養強壮効果の即効性が高いことから、かつてはレース前の競走馬に焼きマムシを興奮剤として食べさせたなんて話も複数から聞いた。

「ここいらじゃハメ焼酎は必ず家に一本はあるき。飲んでみるかえ」。洗面台の下から取り出されたぼろ布をめくると、茶色の瓶に不気味な陰が透けて見える。ハブより数段細く、小柄だ。瓶底で渦状に大人しく収まるのではなく、水面に顔を伸ばそうとした体型のまま固まっている。運転があるから...なんて及び腰の言い訳をしつつ、グラスに注がれた黄色い液体を少しだけなめてみた。

熱い。胃が、というより、眉間あたりがふつふつと沸き上がる。「くさいじゃろう?においが嫌やき、最近はブランデーとかウイスキーに漬けるのがはやりじゃき」。先に教えてほしかった。額に紋章が浮かんでパワーアップする昔の少年漫画の主人公を連想しながら、見た目と妙にマッチした生臭さと後味に早くもクラクラしてきた。酒の強さを唯一の売りとする当方、こんな経験は初めてだ。薬か毒か。効能はともかく、即効性の高さに疑いようはなかった。

■超万能薬、タヌキ油はワセリンの匂い

「熱冷ましなんかにはタヌキの油が効くのよ」と静子さん。「風邪気味とか熱っぽいときには一番ええのよね」「野市(現香南市)の方では癌に効くとも言いよった」。混乱する当方を置いて2人はまた盛り上がっている。なんでもタヌキの皮と肉の間には真っ白な脂身があり、それを火にかけて抽出した油を、耳かきですくってなめるのが習慣だという。罠に仕掛けたカゴで捕るタヌキは、よく肥えた冬場が狙い目で、肥満体形のものなら1匹から小瓶4本分もの脂が採れる。これまたクセの強い匂いを抑えるため、静子さんは冷凍庫でシャーベット状にしていた。スプーンで削ってもらった一口分を口に運ぶ...。ぐっ。鼻の奥に広がるワセリンのような匂い。感想を述べるより早く、コーヒーが差し出された。

静子さんはかつて知り合いが膠原病に罹った際、保健所でタヌキ油が良いと勧められた。「『医者が言うのも何じゃけんど、薬はあげても効かん。タヌキの油が手に入るやったら、それをなめた方が効果的や』って言われたんよ」。本当かどうか、薄いノートが持てないほど手が不自由になったその男性は、タヌキ油を摂取し続けたおかげで全快。平然と職場復帰しているという。静子さんが続けた。「そしたら今度、病院にでっぷらした婦長さんがおったの知らん?その旦那さんが来たのよ。ここに来たらタヌキの油があるって聞いた、くれー言うて。女房が膠原病にかかった。うちは病院をやりゆうけんど、薬が効かんき、タヌキの油がいいんじゃ言うてね。ハハハ」

医者が勧め、頼りにするほどの民間療法...。効能の真偽を確かようと高知県の医事・薬務課に電話した。しかし、担当者の声は明らかに不審がっている。「驚愕の話ですね。一部では漢方に用いられるマムシはまだしも、タヌキの油に関しては局方(医薬品の基準を定めた文書)にすら載っていない。薬事法で無許可の医薬品になると、取り締まりの対象になります。グレーゾーンを地でいく感じです」。医学の理屈や常識を超越した山の秘薬とでも言おうか。山あいの集落の、とてつもない自由に触れた気がした。

(右)膝に乗せた小猿とたわむれる子供(村民提供)

(右)入り口で黒ネコが昼寝する診療所。出入りが少ないのは健康の証しか。

■美味の王者はハクビシン

明坂商店での会話は味の善しあしに及んだ。マムシは皮を剥いで炙れば味がない。タヌキの肉は硬く、特に雄は臭みが強い。一番の贅沢は、なんとハクビシンだと伊藤さんが言う。「あれは山のケモノで一番うまい!甘い、柔らかい、脂が乗っちょう。すき焼きでも焼いて塩振るんでも何でもいける。牛のいい肉よりもうまい!」。かつてネズミ駆除のために放たれたネコ科のほ乳類は、繁殖して柿などを食い荒らす問題児でもある。タヌキ捕獲用のカゴに入り込んだり、収穫期の果物などを脅かす場合は銃で仕留めることが認められている。ただ、レッサーパンダに似た愛くるしい顔を持つことから、食としての人気は男性に限定されるようだ。伊藤さんでさえ「自分の子供を思い出すきー、顔はよう見ん。袋に入れて後ろから身を裂きゆう」。断腸の葛藤を抱えてまで食べたくなるハクビシン。それほどまでに至極の味ということか。

静子さんが撮って大事にしているハクビシンの写真

「帰りにうち寄ってき」と言って去った伊藤さんと入れ替わりに、防災訓練を終えた店主の明坂義和さん、通称よーやんが軽トラを店先に止めて帰ってきた。よーやんは静子さんよりひとつ上の76歳。これまた浅黒く焼けた健康的な肌にキャップがよく似合う。頭の回転が早く、すぐに冗談を挟んでくる。ただでさえ現実離れした話だけに、どこまで本気か判断がつかない。

狩猟名人で通るよーやんに、マムシが手に入らないか頼んでみる。「生きてるんか死んじゅうんかどっちがええ?」。え、両方あるんですか。「あるかいや。捕れるんはもうちょっと先。7月の夕立の後やき。今度タヌキと一緒に生きたまま家に送っちゃる」。そう言うと、なにやら道路の反対側にある倉庫にごそごそと潜り込んだ。身を起こして振り返ると、手には一升瓶のハメ酒が。「どんなもんじゃい。買えば7千円するど」。最後の一本だとつぶやきながらも、初対面の自分にあっさり進呈してくれた。静子さんによれば、よーやんは数年前に一夜で数十匹のマムシを捕らえ「1匹5千円で売れるど」とはしゃいでいたのに、結局は全て人にあげたのだという。この大らかさで、村では小学生にまでよーやんと呼ばれ愛されている。「精力剤にもものすごくええ言うし、これ飲んで独身抜けられるよう頑張りや。ハハハッ」

包装紙をマムシに見立て、捕り方を実演してくれるよーやん

濃く長い1日を終えて帰路につく。刺激的な話をたくさん聞いたせいか、車内に充満する強烈な生臭さか。クラクラする頭を必死に保ち高知市内へ車を走らせた。崖から垂れ下がるホース、曲がりくねった道路までもがヘビに見えた。

■湖底に沈む故郷。「本籍は竜宮」

モダンなつくりの大川村役場。入り口は全面ガラス張り

翌日。村役場に元村職員で現村会議長の朝倉慧さんを訪ね、村の変遷を聞いた。役場に勤め始めてすぐに早明浦ダム建設による村の水没を経験した朝倉さんは、「あるもので何とかする」のコンセプトであの手この手の策を打ち出し、急速な過疎化に挑んできた中心人物だ。現在は水耕栽培ハウスの跡地を鶏舎として活用した「土佐はちきん地鶏」を売り出す先頭に立っている。なんと議長でありながら、公的なお金が入る地鶏販売会社の役員でもあるのだ。「よそから批判はある。議会が全員一致で議決したら私は失職でしょう。でも、誰もしません。法違反なら誰でも言ってみいや、と。大川村に生半可は通用しない。400人を割ろうという日本一小さな村に、理屈なんてないんです」。6月で75歳になるとは思えない眼力が、メガネの奥から突き刺してくる。不遇を受け入れる包容力ではなく、朝倉さんを動かしているのは危機感のように見えた。終わりがけ、雑談に入る。村の人はみんな生き生きと明るいですよね。「本当は誰も楽しいはずなんてないんです。危機が迫りよる。いつもケツに火が付きようと思うちょる。そういう覚悟で大川村は成り立っているんです」

明坂商店の店先では、よーやんが木箱の中の蜂の巣をバーナーで焦がしていた。「ええ話聞けたかよ?」。思い切って聞いてみる。よーやん、村を出ようと思ったことはないの。「何度か出よう思ったけんど、年寄りがおったき。一般の家庭でもそうじゃろ。生まれたところの畳で死ぬんじゃー言うて。親がおらんやったら、おそらく高知市内に出ちょったね」。かつて消防署で働いていたよーやんは、県庁へ乗り込んでの反対運動も実らず、出身の船戸地区が早明浦ダム建設で水没。70世帯のうち土地を移して村に残ったのは2世帯だけだった。「おんちゃんは戸籍を下に置いちょるけん、竜宮になっちょらあね。50メートルも下の湖底やき。本籍・りゅーぐー。フハハッ」

でも、市内に出て成功した人はほんのわずかという。ダムの補償金で金銭感覚が狂い、飲んだくれ、裸一貫になった人も少なくないとか。少し寂しげな顔を見せたよーやんが言う。「先祖代々から伝わったもの、土地から何からね。そんなもの無くしていったら、ええことないわね。墓参りも来れんようになるし。どうせ貧乏するなら山がましじゃ。美味いもんもあるし。仮によ、うちらがその日暮らしで貧乏しよったらよ、いっぱい美味いもん持ってきてくれるやか。ネギが採れた、何じゃー言うて。そういう助け合うというのがあるけんね。山は自由。何もないから、何でも食べるどぉ」。

(左)階段の先が湖底に伸びる(右)貯水率が下がると湖底から顔を出す旧庁舎(村提供)

■ついに対面、マムシの白焼き。お味のほどは...

大川村を後にした。振り返れば、現実とは思えない話ばかりだった。余韻醒めやらぬまま、隣町の道の駅で、伊藤さんが預けてくれていたタヌキの油とマムシのウイスキー漬けを受け取る。店員さんと話していたら、なんとマムシが家にあると言い出した。おばあちゃんが山仕事のたびにマムシを捕ってくるので「冷蔵庫を見るとよく入っている」。たしか今日もあった気がする。そう言って店を出て行くと10分後、透明のビニール袋を提げて戻ってきた。

ビニール袋の中で、アジの背骨を円柱にしたような固体が八の字状に絡まっていた。白っぽい面が腹、茶色が背だろうか。顔と皮が取り除かれている分、威圧感は半減。ハメ酒のような抵抗感はない。「うちではすり鉢で粉にして、子供の料理に内緒で振りかけています」とその店員さんは言う。とにかく体に良いと。指で5センチほどの間隔をつくり「1日に絶対このくらいしか食べないでくださいね。じゃないと鼻血が出ます」と3回、念を押された。

その夜、高知市内の居酒屋「ゆう」でキッチンを借りた。業務用オーブンの網にマムシを乗せ、均等に火が通るよう菜箸でこまめにひっくり返す。「太刀魚みたいねえ」と店主の津野さん。特に匂いも出ず、確かに魚と言われて出されれば信じそうだ。店中の視線を背中に感じる。全体から煙が出始めたところで小皿にあげた。八の字状のまま黒くなった固体は簡単に手で砕け、魚の骨せんべいにしか見えない。果たして味は...。

(左)火で炙る前のマムシ (右)火の通ったマムシ

ない。焦げ目の香ばしさはあるが、マムシ自体は無味に等しい。味のない骨せんべいだ。ちょっと安心。しかし期待外れの平凡な味に、仲間の手もすぐに止まった。結局、売れ行きの悪いマムシを片付けた当方は、忠告された3倍以上の量を食したことになる。体は何も感じない。そういや、よーやんは体調不良や筋肉痛みに効くと言っていたっけ。状況を選ぶべきだったか。ぼんやり思案していると、周囲が自分の顔を覗きこんでいた。「うわ、目がギラギラしてきてるよ!」

■「それ、日本ですか?」

東京に帰ってから、新宿区にある国立栄養・健康研究所に電話した。マムシ肉の成分を教えて下さい。取り次がれた3人目の研究者は、明らかに笑いをこらえながら「残念ながら文科省のデータベースにもないですね。普通、口にするものはあるんですけどねぇ」と言った。「毒蛇のマムシを食べるなんて聞いたことがない。怖い、強い、過酷な環境で育ったから効くとか、すべてイメージじゃないですか?」。またしても根拠のない民間療法。ただ、そう言われても、もう当方に疑いはない。それじゃハクビシンは...。「それ日本ですか?」。もちろん。日本で一番の逆境に笑って立つ、たくましい人々の話です。

(この記事はジャーナリストキャンプ2014高知の作品です。デスク:依光隆明)

【プロフィール】 こばやし・はるひこ

 1987年、神奈川県生まれ。2009年に共同通信社に入社し、大阪運動部でプロ野球阪神やサッカーG大阪などを担当。14年からは東京で行政関連の取材に四苦八苦し、野球に明け暮れた学生時代の不勉強を悔いる毎日。

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