2014年ブラジル・ワールドカップに挑む日本代表が、現地時間29日(日本時間30日)、直前合宿地のアメリカ・タンパに到着した。ザッケローニ監督や選手たちを乗せたチャーター便が消防車と接触するアクシデントがあったというが、大きなトラブルにならなっかたのは幸いといえるだろう。現地の夜は25度前後だが、日中は相当気温が上がると言われるだけに、暑熱対策の場所としてはいい選択だったかもしれない。
4年前の南アフリカワールドカップの際も、直前合宿地のスイス・サースフェーでの高地対策が成功したからこそ、カメルーンやデンマークを撃破できた。身体能力が個の力では世界トップより劣る日本がブラジル大会で躍進できるとしたら、走力と敏捷性を90分間出し続けることしかない。それを念頭に置いて、選手たちにはいいコンディション作りに集中してほしいものだ。
その日本代表だが、27日のキプロス戦(埼玉)では1トップに柿谷曜一朗(C大阪)と大久保嘉人(川崎)が出場。もう1人の大迫勇也(1860ミュンヘン)は出場なしに終わった。この3人のいずれかが、本番で軸になるのかは今のところハッキリはしていない。岡崎慎司(マインツ)や本田圭佑(ミラン)が前線に陣取る可能性もあるだけに、この定位置争いは非常に興味深い。
ザックジャパン発足後からの1トップの変遷を改めて振り返ってみると、最初にレギュラーに固定されていたのは前田遼一(磐田)だった。2009年と2010年に2年連続でJ1得点王に輝いた大型ストライカーが抜擢されるのはむしろ自然の流れだった。チームの骨格が築かれた2011年アジアカップ(カタール)では前田がスタメン、李忠成(浦和)がジョーカーと位置づけられ、決勝のオーストラリア戦では李忠成が値千金の決勝ゴールを奪っている。ザッケローニ監督は2011年夏までは彼らを軸に据えていた。
だが、この2人に思うようなゴールが生まれないことを危惧したのか、指揮官は2011年9月からスタートしたブラジルワールドカップアジア3次予選から長身のハーフナー・マイク(フィテッセ)を招集。2012年1月のサウサンプトン移籍で試合出場機会が激減した李忠成と入れ替わるように、ハーフナーが代表に定着することになった。だが、そのハーフナーも強烈なインパクトを残すには至らなかった。前田も2013年にコンフェデレーションズカップに全3試合に出場するも、ジュビロ磐田の不振に伴って自らのパフォーマンスをも落としてしまった。
最終予選突破後の昨年6月のコンフェデレーションズカップ(ブラジル)までは前田、ハーフナーをメインに呼んでいたザッケローニ監督も危機感を覚えたのだろう。直後の東アジアカップ(韓国)で柿谷、大迫、豊田陽平(鳥栖)を抜擢して試したところ、柿谷が3得点、大迫が2得点と存在感をアピール。豊田も恵まれた体躯を活かしたポストプレーなどで実力を示したことから、彼らが一気にブラジル行きのチャンスをつかむことになった。
とりわけ柿谷は、本田が「今までの日本代表のFWは、デカくてもあまり足元を得意としないプレーヤーだったり、すごい足元はうまくても得点を挙げれない選手だったりしたけど、曜一朗は全てを兼ね備えているかなと思います」と絶賛したように、8月のウルグアイ戦(仙台)から11月のオランダ(ヘンク)・ベルギー(ブリュッセル)2連戦までコンスタントに起用されてきた。しかし、いきなりの代表レギュラーの重圧がのしかかったのか、柿谷はゴール欠乏症に陥ってしまう。11月遠征では大迫もゴールし、彼ら2人は横一線に並んだと見られた。
そこに突如として現れたのが大久保だ。2013年J1得点王の勢いと迫力はキプロス戦での後半13分から柿谷に代わって入った大久保のパフォーマンスを見ても明らかだった。「もっと縦パスを入れてくれ」とボランチの長谷部誠(ニュルンベルク)と山口蛍(C大阪)に遠慮なく要求できる大胆さも、今までのザックジャパンにはなかった要素だろう。大久保自身も自分が劇薬であることを分かっているはずだ。そのうえであえてチームに新たな刺激をもたらそうとしているのだろう。
周囲との連携はまだまだだが、今の好調ぶりを見る限りでは、大久保を1トップの軸に据えていいのではないだろうか。柿谷も大迫もザックジャパンでの試合経験はそれほど豊富ではないし、本田ら2列目の選手たちとの関係も強固なものとは言い切れない部分がある。ならば、思い切って大久保を投入した方が、攻撃力は高まるはずだ。
その辺りを指揮官がどう考えているのか…。その一端がタンパ合宿中の、現地時間2日(日本時間3日)のコスタリカ戦や現地時間6日(日本時間7日)のザンビア戦で明らかになるだろう。練習は非公開が続くと見られるが、彼らの動向をできる限り、しっかりと追っていきたいものだ。
元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。
(2014年6月2日「元川悦子コラム」より転載)