ギリシャ戦が終わった後、早朝4時半の飛行機でベロオリゾンテに戻ってきた(気候の良いベロオリゾンテは今大会前半の僕の拠点である)。夜中の空港で時間をつぶしていると、実に色々な人と会うことができる。ナタウの空港でコーヒーを飲んでくつろいでいた。テーブルはほぼ満員なのに、2つのテーブルだけが囲われて使えないようにされていた。「なんでだ?」と思っていたら突然スーツ姿の日本人の集団が歩いてきた。真ん中にいたのは、なんと高円宮妃殿下!JFAの大仁会長と、そのテーブルに座って記念写真を撮って笑顔を振りまいて立ち去って行った。
ナタウでは、ワールドカップの開催に合わせて新空港が開港した。旧空港と違って市内から遠くなってしまったので不便なのではあるが、その新空港で日本の皇室の妃殿下が記念写真を撮るというイベントである。恐らく、翌日の地元紙の紙面を飾ったことだろう。地元紙といえば、ベロオリゾンテに着いてから読んだ地元ミナスジェライス州の地方紙『エスタード・デ・ミナス』は、前日の試合でゴールを決めたウルグアイのルイス・スアレスの写真をトップに掲げていた。見出しはこうである。「ああ、スアレスがブラジル人だったら!」まあ、恐らくファンペルシーを擁するオランダ以外の全ての国の人、全ての代表チームの監督が同じことを思っただろう。特に、今更ながらストライカー不足を痛感している日本人にとっては、まさに「ああ、スアレスが日本人だったら!」である。
ワールドカップ本大会に入ってからの2試合、ザッケローニ監督は2試合とも大迫勇也をワントップで先発させた。そして、コートジボワール戦では後半の途中で大久保嘉人を入れてワントップで使ったと思ったら、ものの数分で大久保をサイドに回し、本田圭佑のワントップを試み、さらに終盤には本田をトップ下に戻して柿谷曜一朗を投入した。ギリシャ戦も大迫を先発にさせたが、途中で香川真司と交代。大久保が「俺がワントップ」と思ってポジションを変えかけたのだが、実際にトップに入ったのは岡崎慎司の方だった。
つまり、この2試合トップでプレーした選手は大迫、大久保、本田、柿谷、岡崎と5人に達したのだ。終盤、パワープレーを試みるためにトップに上がった吉田麻也を含めれば、なんと6人ということになる。要するに、4-2-3-1で戦うことは決まっていたものの、「1」として誰を起用するか。最後までその方針が決まらないまま本大会に突入し、迷走を続けているのである。例えば岡崎は、ブンデスリーガで結果を出し続けた選手だ。だがザッケローニ監督は、岡崎をサイドで使い続けてきた。日本代表では、「点で合わせるタイプ」の岡崎ではなく、「前線でボールを収める」タイプの選手が必要なためだったはずである。Jリーグで活躍した佐藤寿人が招集されなかったのも、同じ理由だった。
だがザッケローニ監督は、本番で岡崎をトップで起用した。豊田陽平が招集されなかったのは「パワープレーはしない」、日本らしい「足元でパスを繋ぐサッカー」を、徹底するためのはずだった。だが最終的に、ザッケローニ監督は吉田をトップに上げてパワープレーを試みた。それなら、豊田なり、ハーフナー・マイクなり、闘莉王なりを入れなかったのは何故なのか......。ザッケローニ監督の采配は、まさに迷走状態。これほど監督が、選手起用に迷いを露わにしてしまったら、ピッチ上で戦っている選手は戸惑うばかりだ。
もちろん日本にスアレス、あるいはファンペルシーやイブラヒモヴィッチがいれば、あるいは釜本邦茂がいれば、何の問題もない。しかし、日本にストライカーがいないということは、もう何年も前から分かっていることだ。ザッケローニ監督自身も就任以来、身に染みて分かっていたはずだ。そうであれば、理想のストライカーはいないことを前提に、軸となるFWを決めてチーム作りをすべきだったろう。アジア予選の段階では、それが前田遼一だった。「前田は力不足」と感じていたかもしれないが、ザッケローニ監督はチームにフィットさせられる最善の選択として前田中心のチームを作り、予選突破という結果を出した。
迷走が始まったのは、本大会を目指すこの1年間だった。大迫と柿谷が台頭。2人の若手を使って、本大会向けのワントップの座を競わせたのだ。だが、どちらもポジションを確保できないまま1年が過ぎてしまった。そこで、最終段階で大久保を招集した。もちろん、理想的な答えはない。だがそれでも、監督としては何らかの決断をしなければならなかったはず。「大迫の先発」という選択はしたようだが、結局、二の矢、三の矢の決断はまったくなされないまま本大会で迷走状態を露呈してしまったことになる。
コートジボワール戦では、後半の選手交代で勝負勘の狂いを露呈してしまったザッケローニ監督。ギリシャ戦の采配は、マジックを起こせるものではなかったものの、一応ロジカルな手順を踏んだ交代をした。しかし、ワントップに関する迷いは解決できないままだった。この際、どの選手でもいいからFWの中心選手を指名し、コロンビア戦ではその選手に賭ける必要がある。監督が「大胆さ」、「勝負度胸」を示せないようでは、選手に力のすべてを発揮させることは不可能だ。
後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授
(2014年6月21日「後藤健生コラム」より転載)