まだ1試合が終ったばかりで、こういうことを書くべきか悩んだが、やはりギリシャ戦に向けての大きなポイントだと思うので書いておこう。コートジボワール戦、後半のザッケローニ監督の采配についてである。問題点は2つ。1つは、長谷部に代えて遠藤を入れたタイミングの問題。そして、逆転を許した後の「猫の目采配」についてである。この試合の前半、僕は日本チームの戦い方に感心していた。個人能力で勝るコートジボワールは前半からかなり優位に立って試合を進めていた。日本のリズムで戦えたのは本田の先制ゴールが決まった後の10分くらいのもの。開始直後も、20分以降も、日本はかなり押し込まれる状況が続いていた。だが、それでも日本は前半の45分を失点ゼロで切り抜けて、リードを保ったままハーフタイムを迎えることに成功した。
日本選手の守備意識の高さのおかげと言っていい。攻撃力が売り物の内田、長友の両サイドバックは攻め上がりを自制し続け、岡崎、香川の両サイドハーフも粘り強い守備で貢献。吉田と森重のセンターバックも、ほとんどミスなく安定した守りを見せた(森重は最終ラインから、正確なくさびのパスを通して攻撃面でも大きく貢献した)。フロリダでの準備試合でいずれも先制ゴールを許したことをチームとして方向性を微調整したのだろう。攻撃志向の強いチームではあるが、やはり本大会ともなれば守備意識を高く保って戦う……。チームの方向性として、正しい方向を向いていると僕は思って見ていた。
後半、コートジボワールのラムーシ監督がドログバという切り札を切ったのが62分。そして、64分、66分の連続ゴールであっさりと逆転に成功した。ドログバの怪物ぶりを、たっぷり見せつけられたところだった。結果、ドログバの投入で、コートジボワールの選手にスイッチが入り、日本の選手は受け身に回ってしまった。「さすが」の存在感である。だが、この逆手劇には伏線があったことも記憶しておこう。まず、後半の立ち上がり、なぜかコートジボワールのプレッシングが緩くなっていたのだ。
前半最後の時間帯に日本は押し込まれていたが、後半の立ち上がりは自由にボールを回すことができ、日本が押し込む場面が増え、本田、長谷部、山口と立て続けにチャンスが作れたのだ。前半のような展開が続いたのであれば、守備意識を高く保って戦い続けるしか選択はなかっただろう。だが、後半の立ち上がりに攻めの形が作れたのだ。さあ、この後、試合をどう進めていくのか……。やはり、守備を優先して戦うのか、それとも相手のプレッシングの弱さに乗じて2点目を取りに行くのか……。迷いが生じても当然である。そういう場合に、決断を下すのが監督の仕事である。
ザッケローニ監督は54分に長谷部に代えて遠藤を投入した。長谷部が90分プレーできる状態ではないので、これはプラン通りの交代だったという。だがここで遠藤を入れたことで、選手の意識はさらにバラバラになってしまった。これまでは、後半から遠藤を投入したのは攻めに行くべき状況でのことだった。たとえば、1-2とリードされたオランダ戦。後半、遠藤を入れた日本が攻勢をかけて追いつくことに成功した成功体験もある。それだけに、遠藤が投入されたことで選手たちの意識は攻撃の方向に傾いたことだろう。
だが、1点リードした状態のコートジボワール戦での遠藤の投入は、どう理解すべきなのだろうか?ザッケローニ監督は1点取りに行きたかったのだろうか?もしザッケローニ監督が「もっと攻めるように」という意図で遠藤をあのタイミングで入れたのだとしたら、監督はかなり本気で攻撃サッカーを仕掛けようと考えていると思っていい。何しろ、1点リードした状況だったのだから……。
後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授
(2014年6月17日「後藤健生コラム」より転載)