恐ろしい石畳ステージは乗り越えた。「とりあえず生き残った」(ブライアン・コカール)、「落ち着いて平静な気分」(ヴィンチェンツォ・ニーバリ)と、ほっとした気分を抱える選手も多かった。ただし、アスファルトの平坦路だからといって、ちっとも安心はできなかった。空気はまるで初秋のように冷たく、数日前から降り続く雨のせいで、路面はしっとりと濡れていて......。
当然のように194kmのステージ全体を通して、落車が相次ぐことになる。フレンチトリコロールをまとうアルノー・デマールは、ステージ半ばで地面に転がり落ちた。マイヨ・ヴェール用ポイント取りに連日励むコカールは、中間スプリントポイントにたどり着く前に、やはり軽く落車している(おかげでポイント収集に向かえなかった)。
その緑ジャージを身にまとうペーター・サガンも、石畳ステージでは1度も転ばなかったのに、この日はアスファルトに体中を削られた。前日のリアイアがクリス・フルーム1人だけだったのに対して、今ステージは3人が途中リタイアを余儀なくされた。アルベルト・コンタドールの親友であり、アマチュア時代からかれこれ8年間チームを共にしてきたヘスス・エルナンデスは、救急車に乗って大会を去って行った。
難を避けるように、スタートと同時に飛び出したのはトム・リーザー、ジェローム・ピノー、アルノー・ジェラール、そして今大会2度目のロングエスケープとなるルイス・マテマルドネス。チームの仲間シリル・ルモワンヌの山岳ジャージを守ろうと、マテマルドネスが2つの4級峠でポイント収集に向かった以外は、4人は冷たい雨の中を協力し合って走り続けた。しかし後方から奪えたリードはたったの4分前後。後方プロトンが、かなりの序盤から、スピードコントロールを始めたせいだった。しかも主導権を握ったのは、スプリント3戦3勝を誇るジャイアント・シマノ!
ハットトリック中のマルセル・キッテルは、前日に2度の落車を喫していた。ふくらはぎを軽く痛めた。高速列車の一員であり、時にはリーダーでもあるジョン・デゲンコルブも、やはり落車の犠牲となった。臀部筋肉の2センチ断絶と診断された。それでも、オランダチームは、いつも通りスプリントへと突っ走った。だってこの第6ステージを逃したら、しばらくは純粋なるスプリント機会はやってこないはずだから(次回は第15ステージ?)。
散々議論を呼びながらも、結局のところ、チームはスプリンター系選手しかつれてこなかったから。山岳巧者ワレン・バルギルや、オールラウンドにこなせるヨハンネス・フレリンガーは、9人のメンバーから外された。だからジャイアント・シマノに、平地ステージで仕事をしない選択肢など、なかったのだ。
一方で、やはり連日大いに働いてきたロット・ベリソルは、この日は少々控え目に立ち回った。「ギャンブルだった」と、アンドレ・グライペルは優勝記者会見で語った。
「前を引ける選手がいつもより2人、いや、1人半少なかったから。グレゴリー・ヘンダーソンが棄権して、ラルスイティング・バクは昨日の落車で体を痛めていたからね。まだパリまで道のりは長いのだから、無理しないことにした。それにジャイアント・シマノは、3勝を挙げた最強スプリンターがいるんだから、率先して働くべきなんだ。だから今回、ボクらは戦法を変えたんだ」(グライペル、公式記者会見より)
せっせと働くジャイアントvsポーカーゲームのロットの争いに、オメガファルマ・クイックステップが突如として殴り込みをかけた。エーススプリンター、マーク・カヴェンディッシュのいないチームは、それでも、平地ステージ勝利の可能性を諦めていなかった。特にこの日のフィニッシュ地ランスは、2010年大会でアレッサンドロ・ペタッキが勝利をさらい取った縁起のよい土地(トニー・マルティンとマーク・レンショーにとっては、カヴを勝たせて上げられなかった忌まわしい場所だけれど)。ステージも残り3分の1。加速装置をオンに入れると、猛然と前方を引き始めた。
さらに果敢に逃げ続けた4選手をゴール前12kmで吸収すると、オメガファルマはもう一段スピードを上げた。雨と寒さに加えて、野原の一本道には強い横風も吹いていた。......つまり分断の試みだ!
第一次世界大戦の激戦区「シュマン・デ・ダム」の慰霊碑に参拝し、125km地点からツール・ド・フランスに合流したフランス共和国大統領フランソワ・オランドは、さぞかし、肩を落としたことだろう。後方集団に置き去りにされたのは、なにも右ひざと右ひじを痛めたフランスチャンピオンのデマールだけではなかった。フランス希望の星、ティボー・ピノとピエール・ローランも罠にはまった。最終的には先頭集団から59秒を失った。総合トップ10入り、いや、それ以上を狙うつもりでツールに乗り込んできたはずなのに、ピノは3分24秒遅れの21位、ローランは6分17秒遅れの35位に沈んでいる。
「ラスト10kmは追い風だと予想していたのに、実際は横風が吹いていた。ボクらの計算ミスだ。それに、ボク自身、調子が悪かった。昨日の疲れを回復しきれていなかったんだ。前方にポジションを取ることができなかった。こうしてあっさり1分失った。馬鹿な話さ。昨日頑張って守ったタイムを、あっさり失ってしまったんだから」(ピノ、ゴール後TVインタビューより)
そんなピノと同じ年の24歳ミカル・クヴィアトコウスキーが(誕生日はわずか3日違い)、ラスト1kmのアーチ、フラム・ルージュの下でまさかの飛び出しを仕掛けた!ここまでほぼパーフェクトに戦いを進め、今年早くも総合表彰台を本気で狙ってきそうな新人賞候補は、平地ステージさえも狙う貪欲さを持っていた。ロットが戦法を変えたように、オメガファルマもまた、「何か違うやり方を試みることにした」(クヴィアトコウスキー、チームリリースより)のだ。
ただ、クヴィアトコウスキーが想像していたよりも、フィニッシュラインまでの直線は長かった。それに......実はキッテルが最終盤でパンクし、4勝目の可能性を失っていた。他のスプリンターにとっては、大会区間1勝目のチャンスがやって来た。ジャイアント以外のあらゆるスプリント列車が、当然ながらゴールへといつも以上の勢いで殺到した。ポーランドの若者は波に飲み込まれ、そしてドイツの31歳が抜け出した。
「(キッテルとのライバル意識は)国籍は関係ないよ。ボクら2人ともスプリンターとして力が強いから、当然ライバルとして意識しているだけ。でも、お互いに、高く評価しあっている。互いに良いチームに所属し、良いチームメートに支えられているから、良いスプリントができているんだ」(グライペル、公式記者会見より)
やっぱりフランス大統領と、フランス国民は、ちょっぴり複雑な思いを抱いたのではなかろうか。キッテルやグライペルの勝利に不服なわけではない。ただ「第一次世界大戦開幕100周年公式行事」の一環であるツールで、フランスの国土を荒廃させたドイツに、連日のように栄光をさらわれているのだからして......。「ドイツはもう一発、隠し玉を持っていた」とか、「最後に勝つのは、ドイツなのだ」とか、選手名よりも「ドイツ」を強調した報道が目に付く。
分断で100人近く罠にはまった危険なステージだったけれど、現時点の総合トップ10選手は、なんの問題もなく全員グライペルと同タイムでフィニッシュラインを越えた。ピノの遅れのせいで、コンタドールは19位から18位へと、ほんの1つではあるが順位を上げた。もちろん総合首位ヴィンチェンツォ・ニーバリとのタイム差は1秒たりとも変わらず、2分37秒差のままだ。
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
(2014年7月11日「サイクルロードレースレポート」より転載)