韓国の朴大統領は口を開けば「日本人よ、歴史を直視しろ!」と上から目線で説教を垂れている。この言葉の前提として、韓国人は日本人と違って歴史を直視しているという事実があるべきなのだが、どうもそうとは思えない。少なくとも第二次世界大戦後の歴史に関しては、「捏造」や「不都合な事実からの逃避」がある様だ。そういった背景から、「攻撃は最大の防御」とばかりに日本に対し五月蠅く吠え立てているのではないのか?
■光復節と大韓民国樹立記念日の欺瞞
1945年8月15日は日本人に取ってはポツダム宣言を受諾し降伏することが発表された日である。一方、朝鮮人に取っては単に第二次世界大戦の終結のみならず、朝鮮の植民地支配からの解放(「光復」)を意味するものである。日本との独立戦争に戦い抜き最終的に勝利したと思いたいのかも知れない。しかしながら、事実は全くの真逆である。当時の朝鮮半島は日本に併合されており、そんな事はあり得ない。例えば、朴大統領の父親朴正煕元大統領(日本名高木正雄)は日本陸軍士官学校を卒業し、日本に忠誠を誓う血判書に署名の上、終戦時は満州国軍中尉として勤務していた。
8月15日朝鮮総督府政務総監遠藤柳作と朝鮮独立回復運動家呂運亨との会談がもたれ、日本人の安全および財産保全を条件に行政権を朝鮮総督府から朝鮮側に委譲される事で合意が成立した。直ちに各地で日章旗が降ろされ、代って太極旗が掲げられたといわれている。しかしながら、アメリカとソ連は朝鮮人による統治を認めず、翌日8月16日、連合軍は、日本の朝鮮総督府が朝鮮統治を続け、これを連合軍に引き渡すことを日本政府に命令した。太極旗が降ろされ日章旗が再び掲げられた訳である。その後、朝鮮半島の統治権移譲は、アメリカ軍ホッジス大将、キンケード中将、日本阿部信行大将、上月良夫中将らとの間で行われ、韓国朝鮮人は完全に蚊帳の外に放置された。韓国が実際に独立を果たしたのは、その3年後1948年8月15日の事である。
朝鮮半島の統治権移譲は日本軍からアメリカ軍に対し実行された。1945年8月15日の時点で朝鮮人がアメリカを筆頭に連合軍から相手にされていなかった事実と、韓国の独立は日本軍がアメリカ軍に敗北した結果の「棚から牡丹餅」である事を、少なくとも現在の韓国は認めようとはしていないと思う。これを助長しているのが嘗ての宗主国中国である。
結局、昨日は3名の閣僚が靖国神社を参拝した。そして、それを新華社通信が手厳しく批判している。記事の中で明らかに歴史認識を間違っているのが下記最後の三行である。
「Repeated visits to the shrine by Japanese leaders and lawmakers have become a major obstacle for Japan to mend ties with its neighbors, especially China and South Korea, which suffered from Japan's invasion during World War II.」
韓国の歴史を少しだけ振り返らねばならない。先ず朝鮮はずっと長い間清の属国であった。清は1895年、日清戦争で日本に敗北し、日本は下関条約によって清朝最後の冊封国であった朝鮮を独立国と認させたのである。その後、日露戦争での日本の勝利を経て欧米列強の合意の下に日本は朝鮮を併合し、第二次世界大戦終了まで統治を継続した。従って、新華社通信が批判する様に第二次世界大戦時に日本が韓国を侵略するという事はあり得ない。多分、中国は韓国が一緒になって日本叩きをやってくれるので第二次世界大戦時同じ境遇にあったと錯覚しているのか? 或いは、こういう捏造を繰り返す事で「被害者韓国」のイメージを世界に広めようとしているのか? 不明だが、前者であれば余りに拙劣、後者なら下品な行為である。
■韓国歴代大統領の悲惨な末路
私は韓国戦後史の歪みを象徴しているのが韓国歴代大統領の悲惨な末路であると考えている。世界の如何なる国と比較しても異常過ぎるからである。初代李承晩から第17代李明博前大統領の末路を振り返ってみたい。
李承晩 初代~3代 養子で長男の李康石は一家心中を試みた挙句自殺。李承晩自身は、 4・19学生革命でハワイへ亡命。
朴 正煕 5代~9代 側近に頭部を打たれ殺害。婦人もその4年前に射殺。
崔圭夏 第10代 軍事クーデターにより辞任。
全斗煥 11代~12代 投獄&死刑判決(後に特赦)。
盧泰愚 第13代 逮捕、懲役(後に特赦)。
金泳三 第14代 次男が利権介入による斡旋収賄と脱税で逮捕。
金大中 第15代 息子は3人全員賄賂で逮捕。
盧武鉉 第16代 自殺。
李明博 第17代 実兄 及び側近が収賄容疑で逮捕。不正土地購入疑惑。
この様に韓国歴代大統領達の最後は実に悲惨である。そして、本人のみならず家族もまた行き過ぎたネポテイズムの結果、何がしかの不幸に遭っている。そして、政権末期支持率低下に焦った李明博前大統領については、従軍慰安婦に対する日本の歴史認識非難から始まり、竹島上陸、天皇への謝罪要求など日韓関係を毀損さす言動が際立った。私はその背景を、大統領という権力の座から降りた後の将来に対する不安からだと考えている。
■済州島四・三事件(李承晩統治下)
韓国は朝鮮半島が長きに渡り中国を宗主国として仰ぎ、華夷秩序、冊封体制にあった事から地域差別が横行している。その最も顕著な例が李承晩統治下で起こった済州島四・三事件である。
韓国軍は、島民の住む村を襲うと若者達を連れ出して殺害するとともに、少女達を連れ出しては、数週間に渡って輪姦虐待を繰り返した後に惨殺した。
日本へ逃れた島民の一部は大阪にコミュニティーを建設した。済州島では事件前(1948年)に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされる。
韓国は日本国内における朝鮮人差別を批判する。しかしながら、日本は韓国政府による弾圧から逃げて来た済州島難民を受け入れている。島民虐殺の当事者が難民を受け入れた日本を批判するというのは世界の常識からはとても考えられない異常な行動である。
■ベトナムでの韓国軍の虐殺行為(朴正煕統治下)
朴正煕元大統領が暗殺された後、その衣鉢を継いだのは白馬師団第29連隊長としてベトナム戦線で活躍した全斗煥であった。更に全斗煥を後継したのは同様、ベトナム戦争で指揮官として活躍した盧泰愚である。従って、韓国でベトナム戦争を批判的に取り上げることがタブーであった事は当然であろう。そして、現在の韓国大統領はベトナムでの韓国軍の虐殺行為の最高責任者といって良い朴正煕統元大統領の長女なのである。自分達がベトナムに対して犯した罪と正面から対峙しようとせず、日本に対し日本軍(父親の朴正煕統元大統領が将校であった)による強制連行の事実がないにも拘わらず、「従軍慰安婦問題」を捏造し、一方的に日本を誹謗中傷する韓国、朴大統領に対しベトナムは軽蔑し呆れ果てているに違いない。
一説には韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムでは 村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っていると主張する人もいるが実数に関する明確な証拠、文章が残っているわけではない。
■光州事件(全斗煥統治下)
華夷秩序に起因する地域差別は韓国の宿痾といっても過言ではない。首都ソウルから遠く離れた済州島が李承晩統治下の時代に経験した苦難については説明した通りである。一方、全羅南道もまた朴正煕元大統領の出身地域慶尚道に比べ、インフラ整備、経済開発、官公庁人事で著しく差別されて来た。そして、1980年勃発した光州事件は朴正煕元大統領同様慶尚道出身の全斗煥元大統領により「暴動」と認識された事によって、地域対立は決定的なものになった。この事件は、韓国軍の銃口が光州市民に向けられ、軍の戦車が市街に乱入する事で終結した。光州市民に多くの犠牲者が出たのは当然である。
韓国にはこの様な「地域差別」以外にも「姓」に起因する差別や「本貫」による社会規範が根強く残っている差別意識の極めて高い国である。従って、時の為政者が国をまとめ国民の意識を統一するための最もお手軽でコストのかからない手法は「反日」という事になる。事実、歴代の韓国政権は政権に対する国民の支持に陰りが出れば必ずといって良い程日本を批判する事で人気回復を目指して来た。こういった状況を考慮すれば、韓国という国と韓国国民が彼らの抱える問題の本質と真摯に対峙し、問題解決に向け舵を切らない限り、何時まで経っても日韓関係が改善する事はないという結論に至るのではないのか?