この件に関しては丁度一週間前に、NHK、受信料の全世帯義務化という詭弁を発表した経緯もあり、その後のNHKと毎日新聞の対応を注視していた。マスコミ誤報検証サイト「GoHoo」が一連の経緯を整理してくれている。これを更に要約すれば、毎日新聞のスクープに対しNHK会長が記事内容を全面否定。一方、毎日新聞は記事内容が正しいものであり、従って訂正する積りはないと突っぱねたという事であろう。議論は平行線であり、このままでは真実は藪の中から出て来る事はない。毎日新聞は二の矢、三の矢と連射して真相追及の手を緩めるべきではない。
■松本正之NHK会長記者会見 (NHK 2013/12/5)
Q.「受信料制度を抜本改正し、支払い義務化もあり得る」という文書が経営委員会に示されたと思うが?
A.誤解があるといけない。経営委員会とはいろいろな議論をするが、その資料は非公開であり、「こういう見解」というものを出したことはない。資料は検討材料であり、その中でいろいろな議論をしている。一部新聞で報道されている「義務化を決めた」というような議論はしていない。
GoHoo 2013年12月8日付「受信料『全世帯に義務化』 NHK『検討の事実ない』」より転載。
■毎日新聞社 社長室委員広報担当のコメント
Q3.訂正をする考えがあるか
A.記事には自信を持っておりますので、訂正を出す考えはございません。
GoHoo 2013年12月8日付「受信料『全世帯に義務化』 NHK『検討の事実ない』」より転載。
公共放送が受信料の全世帯義務化を検討する事は自然な話
今回の毎日新聞スクープを唐突に感じ、違和感を持った人は多かったに違いない。勿論私は賛成しないが、テレビ視聴からネットへのパラダイムシフトが加速する環境下、公共放送が受信料の全世帯義務化を検討する事は自然な話と理解している。2009年、当時BBCの会長を務めていたMark Thompsonは、The license fee could go, admits BBC boss: Cost of watching TV might be put on council tax billと語っている。露骨にいってしまえば、「テレビ視聴のコストは「所得税」や「電気料金」の様に徴収されてしかるべき」という、大胆な主張である。NHKはBBCと同じく公共放送であり、永らくBBCを師匠と仰ぎ背中を追いかけてきた経緯がある。従って、BBCに倣い「テレビ視聴のコストは「所得税」や「電気料金」の様に徴収されてしかるべき」とNHKが考えたとしても特に不思議はない。
NHKは受信契約者数の減少にどう対応する積りなのか?
問題の根幹にあるのはテレビからネットへの移行が急速に進んでいるという放送を取り巻く環境変化である。「皆様のNHK」が「高齢者のNHK」へと変化している訳である。このNHK資料が地上波の受信契約数は1989年がピークで、その後は綺麗な右肩下がり、一方、BS視聴者数の増加が地上波受信料収入減をカバーしている事を理解させてくれる。今後については、地上波の受信世帯は引き続き減少し、BSも良くて横ばい、寧ろ減少に転じる可能性が高いと推測する。
NHKは収入に直結する事になる、受信契約者数の減少にどう対応する積りなのだろうか? 私には二つの可能性しか思い浮かばない。第一は、受信料金を値上げする事である。しかしながら、これは受信契約者の激しい抵抗に直面する事になる。或いは、受信料の支払いを拒否する家庭が激増し、NHKの収入が減る可能性もあるのではと危惧する。要は、一筋縄では行かないという事である。
今一つの可能性は受信料金の値上げを断念し、減少する収入に合わせて支出を減らし,縮小均衡を達成する事である。当然の結果として、組織の統廃合やそれに伴う職員のリストラが不可避となる。NHKの人事部がリストラ計画を策定し必要となる「追い出し部屋」を準備する。一方、NHKの社会部がそれを取材し激しく糾弾するといった面白い展開が今後あるかも知れない。
NHKが受信料の全世帯義務化を否定するのは当然である。英国国民がBBCを評価し、自国の民主主義を維持するために不可欠なものと捉えているのに対し、日本国民はNHKをそこまで評価していない。従って、表現は不適切かも知れないが、余程のどさくさに紛れて法案を通す様な荒業が必要で、今はその時期ではない。それでは、受信料を値上げするのですか? というNHKへの質問になる。これもまたNHKが否定したら、NHKはリストラを断行するのですね! と更に追い詰めねばならない。その先に真相があるからだ。
ネット時代にNHKは必要なのか?
第二次世界大戦後の困難な時期にNHKが日本国民の必要とする情報を提供すると共に、良質な娯楽番組を放送する事で国民生活の質を向上させ、結果、今日の日本の繁栄に貢献した事は否定しない。しかしながら、ネットの時代が到来した現在では最早NHKがメディアの王様として君臨する事は不可能である。
NHKは戦後一貫して、必要に応じ、災害時などの緊急放送、行政の周知目的放送、文化・教養放送といった公共性の高い内容と、その必要がない時は、ニュース、スポーツ、エンタテインメント、といった娯楽性の高い内容を総合編成と称し国民に提供して来た。NHKと新聞しか国民が情報を入手する手段がなかった時代であれば、極めて効率的で良く機能した番組編成であったと思う。
しかしながら、ネットの時代となればNHKより便利なサービスが台頭するのは当然の結果である。例えば大規模な地震が発生すれば被害地は停電となりNHKの緊急放送を被災者が視聴する事は出来ない。携帯端末にプッシュ式で情報を送るとか、被害サイトを立ち上げ被災者が携帯端末から閲覧するというのが現実的であろう。行政の周知であれば、官邸のホームページの内容を高め、更新頻度を上げれば対応可能であろう。地方行政も同様である。
文化・教育についてはそもそもNHKオンデマンドで対応するのが相応しい。NHKの教育チャンネルはNHKの公共性を国民に印象付け、受信料の正当性を担保するための方便であろうが、国民の共有財産である「周波数帯域」を浪費しており早急にサービスをNHKオンデマンドに移行し、周波数帯域は国に返上すべきと考える。
一方、ニュース、スポーツ、エンタテインメント、といった娯楽性の高い番組については、スカパーやWOWOW同様有料チャンネルに業態を変えるのが分り易い。特に何かシステムを変更するとか、高額な投資が必要な訳ではない。従来の「受信料」という曖昧なものから、「視聴料」に事業モデルを変換し、振り込みがなされなければ「スクランブル」をかけ視聴不能にするだけの話である。早い話、ガス、電気、水道と同じ話という事である。
放送のデジタル化とは結局何だったのか?
私はNHK問題が焙り出すのは畢竟「放送のデジタル化とは結局何だったのか?」という単純な疑問とその答えだと考えている。本来マスコミは自身も深く拘わるこの課題を我が事と捉え真剣に考えるべきなのである。今から2年前に、そもそも地デジで何か良い事があったのか?と問題提起を試みた。しかしながら、テレビ業界や監督官庁、総務省は適当にはぐらかしお茶を濁しているだけだし、新聞や雑誌も腰を入れ真剣に対応する事はない。
そして、問題はかかる巨額の国費を投じて「そもそも地デジで何か良い事があったのか?」である。
視聴者に取って「良い事なんか何一つない」という結論ではないか?
そして、その理由は総務省によって甘やかされて来た、地上波の怠慢である。
「デジタルコンテンツ」のネット解放を何故加速させないのだ?
携帯端末で視聴して貰い、そこから収入を得る事業に注力すべきではないのか?
NHKは何故「受信料」という曖昧模糊としたものから、「視聴料」という明瞭なものに事業モデルを切り替えないのか?
デジタル化に伴い、CASが普及した訳であるから、「視聴料」を支払わない世帯に就いてはスクランブルをかけ視聴不可にすれば良いだけの話ではないか?
一方、国民もNHKを視聴しない自由(受信料を払わぬ自由)を保障されるべきである。
排すべきは「電波利権」
どうしてこうも理解出来ない事が次々と血税を使って行われ、貴重な周波数帯域がテレビ局に独占されたままで国民に返却されないのであろう? 私はこの根底にあるのは「電波利権」の存在と考えている。放送業界全般に拘わる病巣であるが、議論が散漫になってもいけないのでNHKに焦点を当てて説明を試みる。NHKを対象とする受信料制度は、メディアがラジオと新聞に限定され、しかも日本が国家主義下で、電波の帰属は国民でなく国家と認識されていた時代に策定されている。
これが今日まで60年以上も継続し、その結果「電波利権」に寄生する多くの「既得権者」が誕生した。これがあるべき改革に抵抗する抵抗勢力の実態ではないだろうか? しかしながら、必然的に周波数帯域割り当ての見直しを伴うテレビのネット化(クラウド化)は必然であり、「既得権者」が抵抗してもやり遂げねばならない。従って、電波利権にメスを入れる事も「成長戦略」の柱の一つと目され、来年の安倍政権の大きなテーマになると予想する。