イモトさんのエベレスト挑戦の断念は残念だった。
僕もキリマンジャロ登頂のときの番組を見て驚嘆しており、今回の挑戦がひとつの集大成になりまた大きな感動を視聴者に与えることは間違いないことだと思っていた。
が、4月18日に起きた雪崩は悲惨だった。
イモトさんたちのチームと直接の関係はないが、シェルパの13人とそのほかのネパール人の方が3人亡くなっており、計画の中止はやはり避けられないものだったようだ。
今朝みつけたこの記事「Death at 19,000 Feet(1900フィートでの死)」を読むと現地の情勢がよくわかり、とても挑戦の続行が不可能だったことがわかる。
同時期に登頂を試みていたチームにはGoogleのStreet Viewのメンバーだとか、ハリウッドの映画撮影チームだとかディスカバリーチャンネルのチームとかもいて、すべて撤退している。
その記事はシェルパたちがなぜ今シーズンの登山の続行を拒んだかということについて、WSJが現地に記者を送り込んで取材したものだ。
要点をまとめると
◆ヒマラヤ登山という産業
*ヒマラヤ登山はネパールの一大産業で3億6千万ドル規模(約360億円)
*その規模は毎年拡大しており、昨年は450人以上がエベレストに登頂。それは1990年の倍の規模。
*用具の進歩、気象予報の正確さの向上などにより成功率はあがっているが、登頂に成功するのは半数強にとどまっている。
*65000ドルでのエベレスト登頂のツアーを販売している旅行会社もある
◆シェルパという仕事
*ヒマラヤに住む「シェルパ」という山岳民族が伝統的にその仕事を担ってきた
*5000ドルを1シーズンで稼ぐ。ネパールの平均年間収入は700ドル。
*60ポンド(約27㎏)の荷物を担いで登山を補助する。
*1921年から、エベレスト登山で亡くなった人は累計 265人。そのうちの104人はシェルパなどの雇われて登山に参加していたひとたち。
*去年は4人、おととしは3人のシェルパが亡くなっている
*雪崩に巻き込まれた時、早く発見されるための携帯用の発信器があるが、シェルパに配布されることはない(300ドル)
事故の衝撃は大きく、さまざまなチームに参加していたシェルパの人たちには、家族から「今年は不吉な年」なので仕事を辞めて帰ってくるようにという連絡が盛んに入ったそうだ。小さな人口の民族での13人だから、多くのひとが親戚や友人がかかわっており、それも当然のことのように思える。
そんな状況のなか、ネパール政府が遺族のために用意した金額がわずか400ドル程度だったことで、シェルパの人たちは、もっとまともな金額の補償、そして主に安全な登山(彼らにとっては安全な仕事)にするための13項目を政府に要求した。
苦しい財政、エベレスト登山を産業として守りたい政府と旅行会社、そして主にエンターテインメントとして登山を楽しむ先進国の登山家たち。みずからの仕事と生活を少しでも安全で豊かなものにしたいシェルパたち。ついに、両者の溝は埋まらず、今シーズンのエベレスト登頂は終わってしまったのである。
普通の女の子だったイモトさんが、なんでも体当たりでやってみせて、つぎつぎに飛んでもない偉業を達成していく。
それは、イモトさんのサクセスストーリーであったし、それに自らの思いを重ねて応援しているひとがたくさんいた。
また、それはそういう思いをいだかないひとにとっても、純粋に大きなエンターテインメントであった。
イモトさんも、そして番組の制作者やテレビ局もなんとかその挑戦を続行したかっただろう。
しかし、一方、シェルパの人たちにとっては、自らの生活のより根本の部分での戦い、生きるか死ぬかの戦いでもあった。
彼らは重々承知している。
「ヒマラヤ登山がなければ観光客もなく、観光客がなければ、仕事がない。仕事がなければ現金収入がない」と。
だから、現実には故郷にとどまって危険なシェルパの仕事をするか、ほかへ移住するかしか選ぶ道がない。*1
13人のなくなったシェルパのひとりは去年結婚したばかりで、新妻は生後2か月の赤ちゃんとともに残されてしまった。
助かったシェルパのひとりが、WSJの記者に語った言葉が胸をつく。
「奥さんからのプレッシャーがあるんだ。お金がいると。子供達に良い教育を与えて、将来シェルパとして危険な仕事をしなくていいようにしてやりたいんだ」
今回の一件から、あなたは何を感じるだろうか?
photo by jarikir
*1:最近、ネパールのシェルパの人たちの人口は他地域への移住で減少傾向にあるという
(2014年5月24日「ICHIROYAのブログ」より転載)