photo by markus spiske
また、『僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』のおまえか、と誰かが言う。
馬鹿なおっさんの失敗談は聞き飽きた、と。
その言葉が胸に刺さる。
それでも、僕は何度も語るだろう。
いかに僕が会社の中で認められたかったかということを。そして、いかにそれに失敗したことを。
どれほど、馬鹿げた失敗をしたかということを。
どれほど、大人げない嫉妬や功名心に捕らえられていたかということを。
どれほど、挫折感が大きかったかということを。
そして、どうやって生まれかわったのかということを。
そして、どうやって平穏とハピネスを手に入れたのかということを。
そして、どうやって、若い人から見ればささやか過ぎるものを手にして、それで満足しているのかということを。
なぜ、『僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』という、ごく普通の会社人の挫折をつづった記事が、あれほど読まれたのか。
それは、きっと、血を流して書いたからだ。
50才を越えたいい歳の大人が、いかにダメな会社人であったか、そして、もしいま会社人となったら、いまも未熟なままであることを、そのまま認めて書いたからだ。
誰でも会社人として悩んで失敗しているはずなのに、多くのひとは、それをありのままに語らない。
それを認めることは、社会人として恥ずかしいことだからだ。
もちろん、僕も、会社の中で悩む人たちにすべての答えを用意できているわけではない。会社から出て、商売を始めることだってできるという、自分の体験に基づいたアドバイス以外に、答えは持たない。
僕の物語はひとつの解決にすぎない。
でも、と思うのだ。
いまも、僕のように組織の中で悩み、どうやって心の平穏やハピネスをつかんだらいいのかということを模索している人が多くいる。そして、それを手に入れた人も少なくはない。
そして、そういったそれぞれ人に、唯一の物語がある。
もっと多くの人が、ありのままにそれを語って共有できるようになれば、もっと多くの人が救われるのではないか、と。
競争に追い立てられている多くの会社は、一部の幸せと、いくらかの矜持と、大多数の涙や諦めとでできていると思う。
その仕組を変えること、その仕組にとらわれない新しい哲学の組織をつくること。もちろん、それが遠い未来にある目標だ。
そして、そのためにこそ、多くのひとの失敗の物語、普通のひとの挫折と再生の物語が、もっともっと求められているのだと思う。
それが共有されることで、あるべき組織の姿もやがては見えてくるのではないかと思うのだ。
だから、「ほんものの馬鹿!」て言われても、「お前の話は聞き飽きた」と言われても、「頑固な使いにくい人」と言われても、「できないヤツ」と言われても、「去りゆくものがうるさいんだよ」と言われても、「人生に失敗したオヤジはだまってろ」と言われても、僕は僕の知っていることを、語り続けるだろう。
そして、できたら、あなたもそうして欲しいと思うのだ。