Peter BouckaertDirector, Emergencies
トルコの浜辺に打ち上げられた3歳のシリア難民、アラン・クルディ君の写真を、わたしのツイッターでリツイートすべきかどうか、とても長く、深く悩みました。トルコで人気のビーチに顔を下にして倒れている、あの写真。安全を求め、密航業者のボートでヨーロッパに渡ろうとして犠牲になったことがほぼ確実な、11人のシリア人のひとりでした。拡大する難民問題に十分な対応をしてこなかった欧州諸国の被害者が増えた瞬間でした。
私がもっとも衝撃を受けたのは、アラン君の小さなスニーカーでした。危険な旅路の朝に、両親が愛を込めて履かせてあげたものでしょう。私自身、毎朝の一番好きな時間のひとつは、子ども達に服を着せて、靴を履かせてあげることです。子ども達はどういうわけか、必ずあべこべに靴を履いてみせるのです。何でもない日常の楽しいひとコマ。それを考えたとき、写真の中でビーチに横たわっているのが、自分の息子のひとりのように思えてなりませんでした。
私は今ハンガリーに滞在し、シリア難民の避難状況を調査・検証しています。またもや幼い命を奪った、まさにその旅路です。アラン君を死に直面する危険にさらした両親を非難することは簡単かもしれません。しかし、祖国に降り注ぐたる爆弾や、過激派組織ISの斬首行為から逃れてきた事実を忘れてはなりません。昨日の朝じゅう、セルビアとハンガリーの国境を子どもとひたすら歩き続けるシリア人の親達を、私は見ました。4年も野放しにされてきたシリアにおける虐殺の恐怖から子どもを救い、ヨーロッパでの安全な将来に突き進もうとする姿。この親達は、ヒーローです。子どもによりよい生活をもたらそうとする一途な決意を、私はとても尊敬しています。
しかし悲しいことに、そんな旅路のあちらこちらで、シリア難民たちは壁と敵意につきあたっています。密航業者の一部はかなり組織化されていて、その犯罪的ビジネスに領収書を発行するほどです。送り出す命のことなどは気にもかけずに富を築いている…。そんな残虐性は分かりきったことかもしれませんが、欧州各国の指導者による無関心と妨害は容認できるものではありません。
私が話を聞いたシリア難民のほとんど全員が、しばしば船の沈没など、死を目前にした体験をしていました。今ハンガリーでまたその行先を阻まれ、当局の助けもないまま数千人が路上で寝起きしているのです。
私の調査ノートは悲劇で埋まっています。シリア系クルド人のアリ・ピンタールさんは、ISが故郷の町カーミシュリーに自爆攻撃の車を送り込んで、町の掌握をはかろうとしたことから、3人の子どもと脱出しました。彼はミュンヘン行きの電車の切符を持っていますが、警察が駅に近づくことさえ許しません。それで3人の子どもと路上での寝起きをこの3日間強いられています。これまで直面してきた屈辱にすっかり落胆した彼はこう言いました。「シリアに残ったほうがよかった。あそこなら爆発か何かで死ぬのは1度きりですから。ここでは毎日、何千回も死んでしまったような気にさせられます。」
あのアラン君の写真は、ネット上で共有したり、新聞に掲載するには残酷すぎるという人もいます。でも私が残酷だと考えるのは、阻止できるはずだったのに、私たちの海辺に幼子の亡骸が打ち上げられている、という現実です。
溺死した子どもの悲惨なイメージをネット上で共有するという結論は、決して簡単なものではありませんでした。でも、私はこの子ども達を自分の子どものように大切に思っています。もし欧州の指導者たちも同じように感じることができれば、この恐ろしい光景を阻止しようとするのではないでしょうか。
(2015年9月2日「Human Rights Watch」より転載)