イタリアで大ヒットを記録したコメディ映画『いつだってやめられる』シリーズが日本に上陸する。
大学で研究に人生を捧げてきた神経生物学者が研究費削減により職を失い、露頭に迷うのを防ぐために、自身の専門分野を活かせる合法ドラッグ作りに着手する。職を追われた研究者仲間を集め犯罪集団を形成し、一攫千金を企むという物語の1作目『いつだってやめられる 7人の危ない教授たち』。
その1作目の大ヒットを受けて、2,3作目の製作が決定。2作目にあたる『いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち』は、警察に捕まった彼らが、恩赦のために合法ドラッグ犯罪の捜査に協力するという物語で、5月26日からはこの2作目がまず公開となる。1作目は6月23日から開始の特集上映『Viva!イタリア vol.4』のプログラムの一つとして上映が予定されている。
不景気のあおりで、イタリアでは大学の研究費が削減され、職を追われる専門家たちが続出。才能も専門知識もある優秀な人材が、生計を立てられないという現実を見事に笑いで皮肉った作品だ。昨今、日本でも大学の研究費の削減は大きな議論になっている。
映画の企画を思いついたきっかけ、さらには取材を通じて知ったイタリアの研究者たちを巡る、映画よりもとんでもない現実について、シドニー・シビリア監督に話を聞いた。
事実は映画よりも奇なり?
――この映画のアイデアを思いついたのは、「首席の学者がごみ収集員」という記事を見た時だそうですが、そのニュースに何を感じたんでしょうか。
シドニー・シビリア監督(以下シビリア):ニュースを見つけた時は、「いける、これは映画にできる」と直感で感じました。当時はまさか3部作になるなんて思いもしませんでしたが。映画監督は物語を紡ぐのが仕事ですから、現実の生活でも常にアンテナを張って、語るべきものを探すのも仕事の一つです。いろいろな物語がありますが、それはやはり現実の中から拾い上げていくべきだと思っています。
――こうした大学教授や研究者たちの不遇に以前から興味があったんでしょうか。
シビリア:彼らが厳しい状況に置かれていることは、待遇改善のデモなどのニュースを通じて知ってはいましたが、映画のネタになるとは思ってなかったんです。ごみ収集員のニュースが私のスイッチを入れてくれたという感じですね。あのニュースをきっかけにリサーチを開始して驚くような話をたくさん耳にしました。
――研究者たちへの取材でどんな話を聞いたのですか。
シビリア:彼らの語ってくれた現実があまりにも現実離れしていて、この荒唐無稽な映画にすら入れられないようなエピソードがたくさんでしたね。
――この映画以上にとんでもないエピソードがたくさんあったと?
シビリア:そうですね。例えばある数学教授の話ですが、40歳くらいの男性で大学からの収入は月に約300ユーロでした。三ヶ月ごとの短期契約で非常に不安定な生活です。ある日、両親に数学の他に現実的にやれることはないのかと諭されて、コメディアンならやってみたいと言ったそうです。
その後、彼は本当にスタンダップコメディアンとして成功して、今では生活するのに十分な安定収入を得ています。これはあまりにも突飛な話なので、映画には採用できませんでした。(笑)
――この映画はコメディなので誇張されているのかと思ったら、現実はもっとおかしいんですね...。
シビリア:ええ、本来研究は時間がかかるものですが、短期で成果を求められ判断されてしまうこと自体が実にバカバカしいことだと思います。
他にもおかしなことはいっぱいありました。例えば、この映画は正規雇用されている教授たちを好意的に描いていませんが、そういう人たちもこの映画を観てゲラゲラ笑っていましたね。「ああ、こういう嫌味な教授いるよね」なんて言いながら。こちらは、そういうあなた達のような人のことを描いたつもりなんですけど。(笑)
さらに面白いのは、ロケ場所を提供してくれた大学の話ですね。その大学は喜んで場所を提供してくれたのですが、一つだけ条件がありました。それは一人の大学の研究員のギャラ1年分を支払うというもので。しかもその交渉をするために、我々はコミッション、大学の教授会のようなところですが、それに参加しなければなりませんでした。しかしコミッションは学位を持っていないと入れません。クルーの中で学位を持っているのは主演のエドアルド・レオだけだったので、彼に代表になってもらってコミッションで交渉したんです。本当に研究員のギャラを1年分払いましたよ。(笑)
――じゃあ、この映画は実際に大学の研究員を救ったわけですね。(笑)
シビリア:まあ一人だけですけどね。
――この映画の登場人物のような、職を追われた研究者たちは映画に対してどんな反応でしたか。
シビリア:実は私は、この映画のおかげで研究者たちの間で超有名人なんです。彼らの声を代弁するつもりは全くなかったんですけど、たくさん手紙をもらいました。この映画で美術を担当したスタッフが、別の作品で北極でロケをすることになったんです。そこの調査員がこの映画の大ファンで、便宜を測ってくれたなんてこともありました。
それと、アメリカのミルウォーキー大学で研究費の大幅な削減の話が出た時、力を貸してくれと呼ばれたりもしました。なので、ノコノコとアメリカの大学まで行って研究費の削減はけしからんと主張してきましたよ。(笑)
知識は使いよう。悪い事に使えばこんなに恐ろしい
――映画に登場する専門家たちはどのような基準で選んだのでしょうか。
シビリア:まず大きな基準として、一般的には実用性のないと思われがちな専門領域であること、そしてギャング団にとっては有用であることです。彼らの研究は一般の人々からはどう役に立つのかわかりにくいですが、その印象を覆したいと思っていました。それと彼らの専門知識は、犯罪をするにはとても有益で、しかも危険分子にもなり得るんだということを見せたかったんです。
――専門知識は使い方次第で、良いことにも悪いことにも使えるんだということですね。
シビリア:そうです。彼らはみな優秀です。そんな彼らが悪の道に走ったらとんでもない事になるんです。だからこそ、彼らを社会から追い出してはいけないし、無視すべきじゃないんです。貧困が絶望を産みます。その絶望が人を犯罪に走らせます。彼らが絶望し、犯罪に走ったら何が起こるかということを考えるべきです。
――その辺りが一作目と二作目で上手い対比になっていました。一作目では犯罪に走った彼らが、二作目では警察の捜査に協力することによって、始めて社会の役に立ったと実感するという構造になっていましたね。
シビリア:その始めて役に立ったという想いが、『いつだってやめられる』というタイトルにこもっています。このタイトルは、一作目では大金を得ることに病みつきになりやめられなくなったことを表していましたが、今度は自分たちが社会のために働けるんだという充足感によってやめられなくなっているんです。それぞれ別の形でタイトルを象徴するかたちになっています。
――そして三作目ではもっとすごいことになるんですね。
シビリア:二作目の最後に少し出していますが、最後の3作目では彼らが大学を救う話になるということだけ予告しておきしょう。