1995年に終結したボスニアの内戦からまもなく20年。昨年はサッカーのボスニア・ヘルツェゴビナ代表が初めてワールドカップ出場を決めるなど、様々な分野で紛争からの立ち直る同国の姿を感じ取れます。しかし同国の失業率は今でも44%と非常に高く、平均収入も350ポンド(5万9千円)と貧しい国です。
この国を構成する民族はセルビア、クロアチア、ボシュニアックの主要3民族が多数派を占めます。この3民族から代表をそれぞれ選んで「ボスニア・ヘルツェゴビナ大統領評議会」を構成し、8ヶ月ごとの輪番制で国家元首である評議会議長を務めます。他民族の争いによって起こった紛争を経験した同国ですから、民族間の力のバランスを取るのに腐心しているこの国。しかしボスニア・ヘルツェゴビナにはもっと多くの民族が暮らしています。
「ノー・マンズ・ランド」のダニス・タノヴィッチ監督の最新作「鉄くず拾いの物語」はボスニア・ヘルツェゴビナに暮らす少数民族ロマの家族に起こる悲劇を描いた作品です。ロマはインドからヨーロッパへ移り住んだ民族で欧州中に広く分布しています。ジプシーのような定住しない民族とも言われることも多いですが、現在ではこの映画の家族のように定住して暮らす人々も多くいます。
国全体で失業率が高いボスニア・ヘルツェゴビナですが、ロマの人々に限っていうとその率はさらに高く、失業率は90%以上とも言われます。その現状を変えたくてもロマには被選挙権がなく、評議会に人員を送り込む権利すら持っていません。
そうした過酷な状況を背景に、映画は鉄くずを拾って生計を立てているある一家に突如襲いかかる悲劇を描きます。映画で描かれるのは権利を持たざるもの、格差の中に押しとどめられている人々の過酷な生活です。民族問題は映画の中では遠景にし、日本を含む先進国の中でも重要な課題ととなる格差・貧困問題に焦点を当てています。
この映画の出演者は実際の事件の当事者たちがそのまま演じています。つまり素人をキャスティングしています。ドキュメンタリータッチの作風に必然的になりますが、今そこに起こっている危機を描くのにやはりこの手法は適しています。イランのアッバス・キアロスタミ監督がやはり事件の当事者をそのままキャスティングした「クローズ・アップ」という作品もありました。
鉄くず広いで生計を立てるナジフには妻と2人の娘がいる。定職はなく極寒の地で貧しい暮らしを強いられる一家だが、ある日妻のセナダが激しい腹痛に教われる。お腹の子が何ヶ月も前に死んでおり、今すぐ流産させないと命に関わると言われた一家は、すぐに手術してほしいと訴えるが、貧しいナジフ一家は保険もなく医療代を支払うことができない。ナジフは妻を救うために金策に奔走する。
ナジフたちの家は、ギリギリ電気が通っているような掘建て小屋で、冬になると雪に覆われ非常に厳しい環境。タノヴィッチ監督曰く、ロマの人々の中には戸籍登録もままならない人も多く、子どもを学校に通わすことができない人も多いそうです。ナジフ一家の2人の子どもも学校に通っていません。
そうした権利のない人々は、この格差社会ではどこまでも負のスパイラルに絡めとられます。文明的な暮らしからどんどん離れてしまいます。ナジフたちが病院に行く道すがら、遠くにモクモクと煙を吹き上げる工場があり、それを見つめるナジフの複雑な表情がとても印象的。あのような文明的なとこには届かない彼らの生活を象徴するよう。
このナジフ一家は世界的な監督であるタノヴィッチ監督の眼にたまたま止まり、ベルリン国際映画祭で主演男優賞を受賞するなど、注目を浴びました。その結果、公園清掃の定職を見つけることができたそうです。映画が単に見た人に何か伝えるだけでなく、実際に苦しんでいた人に恩恵をもたらすことができたわけですが、この一家の物語の背景には同じような例が数多くあるのでしょう。
たまたま負のスパイラルを脱するきっかけを得たナジフ一家はまだ幸運なのかもしれません。経済格差が教育格差を産み、教育格差がまださらなる経済格差を産み、結果犯罪も増え、犯罪を生み出す温床として差別の心も生まれていく。そんな連鎖が日本でも生まれてもおかしくありません。
映画はその答えを持ちませんが、映画を見ればそのことに思いを馳せざるを得ません。
(2014年1月4日「Film Goes With Net」より転載)