日本の映画館ではお馴染みのパンフレット。実はこれがお馴染みであるのは日本だけだ。
制作秘話や監督・キャストのインタビューに評論家や専門家のレビューなど、映画鑑賞の質を高めてくれる情報がまとまった映画のパンフレット。映画ファンには貴重な情報が満載で、そこでしか読めない情報もたくさんある。
パンフレットは、日本の映画文化の中でも重要な位置を占めてきたと言っても良いだろう。
そんな日本の映画パンフレットを掘り下げるイベント「映画パンフは宇宙だ!」が11月20日から開催されるが、今回はそのイベントでも登壇するパンフレットの歴史に詳しい2人の専門家、国立映画アーカイブ主任研究員、岡田秀則氏と映画パンフレットの中古販売を手がける神保町ヴィンテージの店主、帖佐勲氏にパンフレットの歴史と面白さについて語ってもらった。
映画のパンフレットは日本にしかない?
――僕はアメリカに留学した時、映画館にパンフレットが売っていないことに驚きました。映画のパンフレットは日本以外では常識じゃないことをその時知ったんですが、実際日本以外の国に存在するんでしょうか。
岡田秀則(以下岡田):一部の超大作はアメリカなどでも作っていたことがあります。『ベン・ハー』や『アラビアのロレンス』みたいな作品ですね。
――最近でも作られた事例はあるんでしょうか。
岡田:最近の映画では見かけませんね。
――日本のように、公開される映画のほとんどでパンフレットが制作されている国というのは他にあるんでしょうか。
岡田:日本以外にはないと思います。メディア向けのプレスシートはどこの国にもあるでしょうけど、お客さんが買っていく有料冊子がここまで定着した国は他にはありません。
――日本の映画パンフレットはいつ頃始まったんでしょうか。
帖佐勲(以下帖佐):きちんと作られ始めたのは戦後まもなくですね。その時はまだペラペラな冊子のようなものが多かったのですが。戦前のものは、表紙に次回上映の映画の宣伝が入っていて、冊子の中身と表紙が一致していないものばかりでした。
岡田:そうですね、有料で販売されるパンフレットが定着したのは戦後からです。帖佐さんがおっしゃった戦前のものは、映画館プログラムと呼ばれるもので、それぞれの映画館が作っていたものです。略して「館プロ」と呼ばれていました。ただ、戦前にもごくたまに有料のプログラムが制作された例もあります。1929年に日本公開されたフリッツ・ラングの『メトロポリス』などは有料のプログラムが売られていました。
――館プロというのは、今の映画チラシに近いものですか。
岡田:サイズはもっと小さくて、B6くらいですね。一枚の紙ではなくて、薄い冊子です。毎週発行されていて、今週の上映作品の解説とか、来週公開の映画はこれですよとか、そういう情報を載せているものでした。
それがどうして有料パンフレットになったかといいますと、終戦後は紙不足で映画館ごとに作っていたら紙が足りないので、お金を払って買ってもらおうという発想になったからでしょう。おそらく最初に始めたのは東京有楽町のスバル座だと思います。
帖佐:1947年の『アメリカ交響楽』ですね。戦後初のロードショーの時の「SUBARU」です。あれが今のパンフレットの原型なんじゃないかと思います。パンフレットにはSUBARUno.7と印字されてます。no.6までのナンバーはB6サイズの四つ折とかの簡易なものでした。『アメリカ交響楽』から冊子型の内容の濃いパンフが誕生した様です!
『アメリカ交響楽』の1シーン
岡田:スバル座の古いパンフレットは内容も素晴らしいですよね。今では映画公開のことをなんでもロードショーと呼びますけど、本来は、一般上映とは別の、特別先行上映のことをそう呼んでいました。この当時は、パンフレットもロードショー版と一般版があって、ロードショー版は何人もの有名な評論家の解説や評論を掲載したりしていて、読み物としてかなり充実しています。
帖佐:あとリバイバル上映されるとその度にパンフレット作っていました。『風と共に去りぬ』なんて何種類パンフレットがあるのかわからないぐらいです。
――なるほど。それだけ購入する人が当時多かったということなんでしょうね。1950年代の邦画の全盛期では相当売れていたんでしょうか。
岡田:おそらく結構売れたと思います。ただパンフレットは洋画から始まった文化ですから、邦画はそれほどでもないかも知れません。そもそも邦画のプログラム・ピクチャーは、1作ごとにパンフレットを制作してないんですよね。
帖佐:僕はそれがすごく残念だなと思います。たとえば高倉健さんとか藤純子さんの任侠映画とかって、あまりパンフレット作っていませんから。勝新太郎さんの座頭市とかのシリーズものも作ってないですよね~。今でも人気のある往年のスターの作品って、あんまりパンフレットないんですよ。時代劇は割と作られているんですけど、任侠モノとか、博打モノ等はパンフレットがあまり制作されてないんですよね。
岡田:特にシリーズものは、映画作りが忙しすぎてパンフレット作る余裕がなかったんでしょう。
帖佐:洋画に関しては、海の向こうからすごいのが日本に来たよということで、パンフレットもじっくり作ろうとなったんでしょうけど、低予算でたくさん作った日本映画は置いてかれたという面はあるかもしれませんね。
岡田:映画資料アーカイブの仕事をするようになってから出会ったディズニーの『ファンタジア』(日本公開1955年)のパンフレットはすごかったですね。フワフワとした柔らかくも品のある紙質で、普通のパンフレットとは全然違うんです。
紙質もすごいんですが、中身も充実していて、一曲ごとに劇中曲の解説があったり、アニメーションの制作過程が載っていたり、当時の一流の音楽家、近衛秀麿が解説文を寄せているんです。
『ファンタジア』の1シーン
――何でそういう販売形態が日本でだけ定着できたのでしょう。
帖佐:古いパンフレットはよく日付が書き込まれてるんです。買った人が鑑賞した日付を書いているんです。(中古市場の価値は下がってしまうのですが・・・笑)
岡田:思い出として残したいということでしょうね。私のいる国立映画アーカイブが、ご寄贈者から譲っていただくパンフにも日付が書かれているものがあります。鑑賞体験を家に持って帰りたいという気持ちでしょう。
――なるほど。鑑賞記念として定着したということでしょうか。
岡田:そうですね。そういう思い出の一面があるので、外国の方に映画パンフレットのことを説明する時は、英語でsouvenir programと言うようにしています。「パンフレット」という言い方は和製英語に近いですから。
帖佐:なるほど。それはパンフレットの本質を突いていてお客さんに説明しやすいですね。僕もこれから使おう。外国人のお客さんも最近増えてきているんですよ。
岡田:私も実はここにフランスの映画評論家の知人を連れてきて、商品をいろいろと説明したことがありますよ(笑)。
文化遺産としてのパンフレット
――僕はケン・ローチ監督が好きなんですけど、「マイ・ネーム・イズ・ジョー」のパンフレットに是枝裕和監督が批評を書いておられて、大変感銘を受けました。今でもその批評文は僕の映画鑑賞の時の指針になっているくらいです。でもこの文章はパンフレットでしか読めないんです。
岡田:そういう文章が是枝監督の単行本などに収録されればいいのですが、パンフレットの文章はなかなか再掲されないですよね。私もパンフレットで映画の勉強をしたという実感がありますが、有名な映画評論家の文章でもパンフレットに掲載されたのに、本などに収録されなかったので後に読むのが難しくなったものがたくさんあるはずです。
もちろん映画雑誌も映画の勉強になりますけど、特定の映画について掘り下げた情報がまとまっていますし、例えば、監督自身がリアルタイムにその映画について語っている言葉もありますからね。
帖佐:ネットがなかった時代は、映画の制作秘話とかいろんな情報を知る手がかりとしてパンフレットの存在は大きかったと思いますね。
――そういう意味では貴重な文化遺産ですね。国立映画アーカイブさんでは今どれくらい所蔵があるんですか。
岡田:今年3月末現在で、複本を除いて約8,300冊あります。かつては、目録化のスタッフも少ない中で、まずは脚本とポスターとスチール写真の整理を優先させていて、パンフレットは後回しにしていました。
十年くらい前でしょうか、渋谷警察署の前にあった「シネマショップ」というお店が閉店される時に、在庫をまとめて寄贈していただきました。その時、そろそろこれまでの積み残しも含めてきちんと整理しなければと思い、スタッフに奮起してもらってリスト化とデータベース登録を進めていきました。
90年代のパンフレットは面白い
――映画のパンフレットを収蔵する時、問題となることはありますか。
岡田:形が一定じゃないことですね。1950年代はB5サイズのものが多くて、その後はA4が基本になりましたけど、1990年代になると、巨大なものやすごく小さいもの、中には四角くないものまで出てきて、そういうイレギュラーなものはアーカイブするのが大変です。
――そういうものは1990年代の映画に多いのですか。
岡田:私の個人的な感覚ですが、1980年代は、写真も粗いし文章も少ない、手抜きのパンフレットがよくありました。それが1990年代のミニシアターブームで、内容面でもデザイン面でも一気にパンフレットが面白くなりました。川勝正幸さんなどの活躍もあってかデザインにお洒落なものが増えました。
帖佐:1990年代以降はインテリア的な方向に走った感じがしましたね。
岡田:典型的なのは2006年の『かもめ食堂』のカバン型パンフレットですかね。現代のパンフレット界では、半ば伝説的な商品になっています。
ミニシアターブーム以降はパンフレットの価格も上がってきて、それ以前は500円くらいだったものが、800円から1000円くらいするようになって、それでもみんな買いましたね。
帖佐:『ポリー・マグー お前は誰だ』のリバイバル上映(1999年)のパンフレットなんて2000円でしたよね。
岡田:映画のチケット代より高い(笑)。あれはパンフレットというより写真集でしたね。
他にも新聞の形をしている『クレイドル・ウィル・ロック』(日本公開1999年)とかいろんなものがありましたよね。アンナ・カリーナの『アンナ』(日本公開1996年)のようにCDケースに入ってるものとか。
帖佐:あとウィノナ・ライダー主演の『17歳のカルテ』(日本公開2000年)は手のひらサイズですごく小さいんです。パンフレットに包帯が巻かれていて、それを解いて読むというユニークなデザインでしたね。
――そういうのは、専門のデザイナーさんが手がけたものなんですよね。
岡田:そうですね。この頃はセンスのあるデザイナーさんをかなり起用するようになってきました。
帖佐:最近だと『タイピスト』(日本公開2013年)のパンフレットが面白かったですね。ピンク色でタイプライターの形をしたやつで可愛かったですね。『かもめ食堂』と同じデザイナーさん(大島依提亜氏)のやつですね。
これからのパンフレット
ネットの影響で紙の出版不況が叫ばれて久しいが、映画パンフレットはそんな中でも消えずに残り続けている。そのことについてお2人ともよくここまで続いていると感心していた。
近年では、発行部数を絞っているためか劇場で売り切れになることも多く、手に入れられなかった人がヴィンテージに訪れて探すケースがあるそうだ。
パンフレットがあるおかげで筆者は映画の見方が広がった。映画パンフレットは日本の映画文化を豊かにしてくれる貴重な存在だ。
あらゆる文化の発展は、作品それ自体と、それを取り巻く言論・メディア空間によって左右される。映画のパンフレットという貴重な言論空間を持つ日本の映画界はすでに大きな遺産を得ている。これからも映画パンフレットが制作されつづけていってほしいと願わずにいられない。
岡田氏と帖佐氏のトークショーは11月23日に「自由が丘 yururi」で開催される。公式サイトはこちら。