アムラー世代の男から見た『SUNNY 強い気持ち・強い愛』とあの時代

『SUNNY』が描いたあの時代はなんだったんだろう。花火のような一瞬の輝きだったのだろうか。
(C)2018「SUNNY」製作委員会

安室奈美恵が白くなると同時に卒業した

 僕は、1999年3月に高校を卒業した。この年(1998年4月から1999年3月)は前年、紅白歌合戦のトリを務め、泣きながら『CAN YOU CELEBRATE?』を歌いながら産休に入った安室奈美恵が、早くも『I HAVE NEVER SEEN』という新曲を引っさげ復帰した年である。この時、僕の教室の連中を驚かせたのは、その早い復帰よりも新曲よりも、たった1年で安室奈美恵の肌が白くなっていたことだった。

 当時、女子高生の間で肌を黒くするのがブームだったのだけど、安室奈美恵はその火付け役だった。その当人が産休を挟んで白く復帰した時の衝撃は計り知れないものがあった。冗談抜きに、この時教室に「一つの時代の終わり」の空気が流れた。今年は平成最後の年だが、あの時に比べたら今年の「時代の終わり」感はまだヌルいと感じるくらいだ(安室奈美恵の引退にまだ実感が湧かないかもしれない)。僕らの年代は、安室奈美恵の肌の色と一緒に高校を卒業したのだ。

 なので映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』が描いた時代は、割とドンピシャな世代だ。多分映画に登場する彼女たちは僕の一個か二個上の学年じゃないかと思う。大変懐かしい思いをさせてくれる映画だった。男からみても懐かしい。

 ポケベル、ピッチ、ルーズソックス、アムラー、プリクラ、そして援助交際etc... 当時のコギャルブームを彩るキーワードはたくさん出てくる、けど当時の男に関する単語は、当事者の僕ですらほとんど思い出せない。一応「松坂世代」なんて言葉があったが、そんなの野球選手がすごいだけで僕がすごいわけじゃないしな。

 唯一、挙げられるとすれば『新世紀エヴァンゲリオン』だろうか。奈美(広瀬すず)のお兄ちゃんがエヴァオタという設定だったけど、男は本当にそれくらいしか出しようがないと思う。実際、僕もあんな感じだった。エヴァ観ながら「碇シンジは僕のことだ!」とか思ってた。(おかげで広瀬すずのお兄ちゃんになった気分を味わえた。大根監督、ありがとう)

 エヴァを観て鬱々としてた男子を尻目に、女子高生は次々と世間の流行を作っていた。情報番組のレポーターは最先端の流行を知るために、一番に追いかけるのは女子高生だったし、女子高生というのは、たんに消費者として享受するだけの存在じゃなかった。

 なので、あの時代の青春映画をやるなら女子を描くのは必然だと思える。この映画は、韓国映画のリメイクであり、オリジナル版も女性を描くものだから当然といえば当然なのだけど、それを抜きにしても、あの時代を描くなら女子だよなという深い納得、当時を知る者としては異様な説得力を感じた。

当時を思いだすディテールの数々

(C)2018「SUNNY」製作委員会

 映画のディテールはかなりリアルだった。メイクもファッションも当時の女子高生は本当にあんな感じだった。当時を知らない若い女優によくぞあれだけやらせたものだと感心した。

 選曲に関しては、映画監督というものは自分の映画で個性を出すのは当然のことなので、ああいう選曲になったんだろうと思う。

 特に芹香の高校時代を演じた山本舞香がすごい。あういう奴、本当にクラスにいた。あんな風に、ちょっとダルそうな感じでバッグを持つ感じなんか、ものすごい既視感があって懐かしかった。

 僕の学校は共学だったので、クラスの雰囲気はあそこまで騒がしくなかったし、クラスの女子全員ギャルなんてことはなかった。まあ、あれは映画的な誇張だろう。でもクラスの中での騒ぎ方は特徴をよく捉えていたんじゃなかろうか。ああいうギャルたちは妙に先生と仲が良かったりして、騒いでもあんまり注意されてなかった気がする。というか騒いでても、やり過ごすのが上手いというか。男子よりも先生と上手くやっているように見えた。男子より女子の方が精神年齢が高かったのは間違いないし、実際に世の中について男子よりも詳しい気がした。経験豊富というか。

 僕は高校生のときから将来は映画の道に進むと決めていた。なので週の半分くらいは学校に行かずに映画館に行っていた。

 当時から自分で物語を考えたり、脚本を書いたりすることもあったんだけど、だいたい女の子を主人公にしていた。それは自分の中で自然なことだった。なんというか、男が能動的に物語を動かすイメージを持てなかったのだ。女子高生が流行を動かす時代に青春を送ったことが影響しているのかわからないけど、羨ましい気持ちは確実にあったし、その方が面白くなりそうな気がしていた。

コギャルに負けた映画学校時代

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 映画学校に入学したあとも僕の書く脚本は女の子が主人公でありつづけた。大体若い時分には、他人のことを上手く書けるわけないので、自分を投影しまくって書くものである。なので僕の脚本はどこか無理があった。卒業制作のコンペにもやはり勝てなかった。皮肉にも僕の学年で最も評価された脚本を書いたやつは元ギャルで、その内容も元ギャルの女の子の話だった。実際、その本は面白くて、僕もスタッフとして参加したわけだけど。

 僕の行った映画学校の男女比は大体男8:女2くらいだったけど、卒業制作の監督ができたのは、男5:女5の比率だった。高校時代、映画学校時代と僕はずっと「これからは男よりも女が社会を動かす時代なんだろうな」と思っていた。僕がフェミニストだからじゃなく、体験的にそれが当然のように感じられたのである。

『SUNNY』の現代パートでは、輝いていた女子高生時代とは裏腹に、それぞれの人生で苦しい思いをする彼女たちの姿が描かれる。特に経済的に「男に頼れた」人とそうでない人の対比が鮮烈だった。その中で自分の才覚で会社を経営する芹香が彼女たちにとって、どれだけすごい存在なのかがよく分かる。

 これって映画の中だけの話じゃない。僕の学生時代に直感した「これからは女の時代」はまだ訪れていない。僕に先見の明がないと言えばそれまでなのだけど、肌身の感覚としてそのことに猛烈に違和感がある。

 あれだけエネルギーにあふれていた彼女たちを打ち負かしてしまうこの社会はなんなのだろう。自分の高校時代を振り返ってみても、僕なんぞよりもよっぽど女子たちのほうが活力にあふれていたはずなのに。

『ラブ&ポップ』から20年...

(C)2018「SUNNY」製作委員会

 映画業界にしたってそうだ。コギャルを描いた映画は、『SUNNY』のほかにも『バウンス ko GALS(1997、原田眞人監督)』や『ラブ&ポップ(1998、庵野秀明監督)』がある。20年前に作られたその2本の映画の監督はいずれも男性である。まあ、当時はしょうがないとしても、20年経ってもこの題材で男性が監督しているとは思わなかった。(まあ韓国版も男性監督なわけだが)

 大根仁監督は今回素晴らしい仕事をしたと思うので、大根監督に不満は全然ないのだが。でも、女性監督でこの企画にだれがふさわしいだろうと考えても、パッと思いつかない。この選択肢の少なさが、映画の中の彼女たちの苦境となんだかシンクロしているような気がする。

『SUNNY』が描いたあの時代はなんだったんだろう。花火のような一瞬の輝きだったのだろうか。どうしてあの時代は続かなかったんだろう。最初に、安室奈美恵の肌が白くなり、時代の終わりが訪れたと書いたが、別に安室さんのせいであの時代が続かなかったわけじゃないだろう。

 男女平等や、女性が輝く社会を、というスローガンがたくさん叫ばれる今だけど、あのエネルギーを持って、彼女たちがそのまま社会で活躍できる世の中だったなら、そんなこと叫ばずとも女性がもっと活躍している社会になったんじゃないか、なんて気がしている。

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は懐かしいだけじゃなく、この20年に失った何かが描かれていたような気がしている。今年は安室奈美恵が白くなるどころか、引退の年となった。これからどんな時代が待っているんだろうか。僕の直感が現実になる日は来るだろうか。もし現実になったとしても、なんとか社会に振り落とされずに生きていきたいなと気を引き締めて映画館を後にした。

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