現代の日常を描くのに震災に触れないのは不自然。『寝ても覚めても』濱口竜介監督インタビュー

「今の東北の姿を映画に残せた、ということは僕にとってもありがたいことでした」
(C)2018「寝ても覚めても」製作委員会/COMME DES CINEMAS

 今年のカンヌ国際映画祭は、是枝裕和監督の『万引き家族』がパルム・ドールを受賞し、日本でも大きく注目されたが、今年のカンヌのコンペティション部門にはもう一つの日本映画が出品されている。

 それが9月1日から公開となる濱口竜介監督作品『寝ても覚めても』だ。演技経験のなかった4人の女性を主役にした上映時間317分の『ハッピーアワー』がロカルノ国際映画祭で高く評価されるなど、すでに映画ファンや世界の評論家の間では知られた存在だが、意外にもこれが商業映画デビュー作となる。

 日本映画の新たな巨匠として注目される濱口監督に、本作の創作の秘密、そして震災後の映画のあり方について話を聞いた。なお、本作の主演の二人、東出昌大と唐田えりかにもインタビューしているので、そちらも合わせて読んでいただきたい。

正しさで測れないことが描かれた小説

濱口竜介監督

——監督はこの原作小説を最高の恋愛小説と評されていますが、この小説のどんな点が優れているのでしょうか。

濱口竜介(以下濱口):いくつかありますが、やはりある個人が描かれているということです。朝子という一人の女性の行動に驚きつつも、彼女ならたしかにこうするなという深い納得がありますね。

 それは社会的な正しさとか、好き嫌いを超えた納得感です。世界を変えようがないように、朝子のことも変えようがない。もしかしたら、彼女を罰したいと思う人もいるかもしれない、けれど朝子が朝子であることを誰にも否定できないと思うんです。

 映画に脚色する際にも朝子という人間を、正しさの物差しで捻じ曲げてしまわないようにと思いましたし、演出する時にもそうした部分をむしろ肯定する感じでいきたかったんです。

——唐田さんのお芝居によるところも大きいと思いますが、たしかに好き嫌いを超えた納得感がありました。唐田さんにはどんな風に朝子を演じてほしいと指示されたのでしょうか。

濱口:基本的に脚本を渡すこと、それを唐田さんが読むことです。それと相手の芝居をちゃんと見て、聞いてそれにきちんと反応すること、とお話しました。そうすれば唐田さんの中で自然と朝子が育ってくるように思えたので。

——監督は芝居を作る時に、相手を見る、聞くということを重視されますね。

濱口:演技って相互依存的な作業だと思います。自分がどう言うかは、相手が言ったことに対してなされないといけないわけです。それは普段の生活でも同じことですし、そう考えると、自分一人で何かを決められることは実はものすごく少ないはずです。

 ですので、演技もあくまで相手が言ったことに対して、台詞を覚えている自分として応対していく。映画は一人で作っているものではないので、言うまでもなくわかっているはずのことなんですけど、改めて意識してもらっています。

(C)2018「寝ても覚めても」製作委員会/COMME DES CINEMAS

——原作は朝子の一人称で語られますが、映画は必ずしも一人称ではなかったですね。

濱口:映画でも一人称で語ることは可能だと思いますが、それをやると説明的になってしまう危険もあるので、モノローグなどはできるだけ避けようと思いました。

 じゃあ、この複雑な話をどう理解してもらうかが問題になるわけですが、ある行動があって、それは観客にとっては突然起こったとしても、なぜその人物がそう行動したのかを想像できるように人物を配置していくということを心がけましたね。

——例えば、朝子が亮平と出会った後、少し距離を置く期間がありますが、その理由は語られない。それを想像可能にしていくということですか。昨今の日本の恋愛映画は説明過剰な作品も多いですし、こういうタイプの作品は日本では珍しいかもしれないですね。

濱口:観客は亮平と麦(ばく)がそっくりなことをすでに知っていますわけですから、朝子が亮平を避けるとすれば、そこに理由があるということは想像可能なはずです。朝子の、逃げたいけど逃げ切れないみたいな気持ちは、その状況で想像可能になっているわけです。そうやってアクションでどんどん展開していくことを観客が想像してくれたらいいなと思っています。

——東出さんが演じられた亮平と麦というキャラクターはどんな風に練り上げていったのですか。

濱口:脚本を書いている時は、まだ東出さんとは一度ご挨拶した程度で、ちゃんと話していなかったんですが、彼の出ているTV番組とか観ながら、彼の口から出てきそうな言葉を作っていきました。実際の東出さんが拠り所になっている部分がすごく大きいですね。

——脚本の段階ですでに東出さんを想定していたんですね。

濱口:そうです。この小説を映画にするために、麦と亮平が誰なら成立するか考えた時に、東出さんならいけるだろうと思しましたね。それが僕にとってファーストチョイスだったんですけど、東出さんが受けてくださって、この企画が実現したんです。

『桐島、部活やめるってよ』を観た時から東出さんには注目していました。外見的に周囲から屹立している感じと、バラエティ番組などで見せる良いお兄ちゃんみたいな感じが両面あっていいなと思っていたんです。この映画は、亮平が相当に良い人じゃないと成立しないところがあるので、それらすべての要素に説得力のある人となると、東出さん一人しか思い浮かばなかったですね。

震災後の日常を描くこと

(C)2018「寝ても覚めても」製作委員会/COMME DES CINEMAS

——原作にはない東日本大震災のエピソードがあります。これを入れようと思ったのはなぜでしょうか。

濱口:正直に言うと、最初は震災についてこんなに大々的に取り扱うとは思っていなかったんです。共同脚本の田中幸子さんとプロデューサーとプロットを作っていく時に、僕からのオーダーとして、朝子・麦・亮平の恋愛の話に加えて、原作にも描かれている社会の流れ、その2つのラインを生かしてほしいとお願いしました。

 それで、田中さんの最初にあげてきたプロットですでに震災の描写が入っていたんです。僕もオーダーを出した時に、震災のことは当然頭にありましたが、ここまで大きな要素になるとは実は思わなくて、最初は結構不安でしたね。こんな風に出していいものだろうかと。

——不安というのは、これは恋愛映画なので社会派っぽい方向に引っ張られてしまうという不安ですか。

濱口:いえ、僕はあの地域でドキュメンタリーも撮っていますけど、やはり何人も実際に思い浮かぶ顔があるわけです。その人たちにこれを観せられるだろうか、という不安です。社会派っぽくなってしまうことも警戒しますが、それよりも僕が今まで会ってきた人たちがこれをどう思うんだろうっていう不安が大きかったですね。

——しかし現代の日常風景を描くとなれば、本来は避けては通れないものですよね。

濱口:そうです。むしろ消そうとすると不自然だと思うに至りました。50年代の日本映画を観ると、ごく自然に戦争の会話をしていたりしていますよね。そういう風に、この映画は震災後の社会で日常を送っている恋人たちの話なのだから、むしろ描かれるべきだと思うようになりました。

 実際、田中さんの書いたものからセリフや流れを僕が直させてもらう段階になって、その要素を消そうと思っても消せなかったですね。僕のオーダーにバッチリ答えてくれたこともありますし、物語として欠かせない要素にもなっていましたし。

(C)2018「寝ても覚めても」製作委員会/COMME DES CINEMAS

——東北の朝市のシーンは実際の催しなんでしょうか。

濱口:そうです。復興祭みたいなものが行われているんですが、あそこは朝市が実際に行われているところで、実際の朝市にお邪魔して撮影させてもらいました。

——仮設住宅も出てきますけど、あれも本物の仮設住宅ですか。

濱口:本物です。

——被災地の方にこういう映画を撮ると説明した時に、先程の不安は感じましたか。

濱口:交渉に関して僕は全面に立ったわけではないのですが、みなさんとても協力的でしたね。それが復興の手助けになると思ってくれたのかわかりませんけど、みなさん好意的に貸していただけました。おかげで、今の東北の姿を映画に残せた、ということは僕にとってもありがたいことでした。東北の方々に観ていただけるものになっているかどうかは、公開してこれからようやくわかる、という感じです。怖いような、楽しみなような気持ちで反応を待っています。

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