12月1日から公開の始まった『キックス』は男らしさについての映画だ。しかし、男らしくあることの素晴らしさについての映画ではない。男らしさの間違いについての映画である。
舞台はベイエリア。女の子のような容貌の少年、ブランドンはそれゆえに舐められている。黒人カルチャーではスニーカーは一種のステータスだ。少年は一人前の男と認めてもらいたくて、憧れのエアジョーダンを手に入れるが、ギャングたちに奪われてしまう。ここで取り返さなければ男の名折れ。少年は命をかけてエアジョーダンを取り返す決意をする。
この物語は、スニーカーを取り戻す道程を、少年が男になるための通過儀礼として描いている。その一方、その代償はなんなのか、そもそもスニーカーにどれだけの価値があるのか、あるいは彼らのコミュニティにおける「男」にどれだけの価値があるのかと問いかけ直してもいる。
ボコボコにされたら男になれるのか
本作の一番大きなポイントは、主人公のブランドンは背が小さく、女の子のような雰囲気であることだ。カッコいいというより可愛いという形容詞の方が似合いそうな雰囲気がある。しかし、ハンサムであることには変わりないし、日本の感覚で言えばイケメンだろう。
しかし、アメリカのブラックコミュニティにおいて、何より重要なのは男らしくて強いことである。強い男がヒエラルキーの一番上に立つ存在なのだ。
一昨年のアカデミー作品賞を受賞した『ムーンライト』の主人公の男性は、ひ弱な少年時代にいじめられていたが、青年時代になると突然ゴツくなっていたことに驚いた観客は多いだろう。あの世界ではあのようにマッチョでなくては生きていけないから、彼は身体を鍛えて「武装」したわけだ。
そんなマッチョイズムが蔓延するブラックカルチャーに対する異議申し立てという点で、本作は『ムーンライト』と方向性を同じくしている。『ムーンライト』で主人公の支えになる優しいドラッグの売人を演じていたマハーシャラ・アリが、本作でも重要な役どころを演じているのも偶然とは思えない。
物語は多くの英雄譚と同じ構成を取っている。少年が(靴を奪還しに)旅立ち、艱難辛苦を経て、成長して帰還する。しかし、シンプルに「男らしく」成長するのではない、ブラックコミュニティにおける男らしさに対する虚しさを抱くような形でブランドンは帰還する。
本作は、ジャスティン・ティッピング監督自身の体験に基づいているそうだ。監督は16歳の時、道を歩いていたらボコボコにされた。痣だらけの顔で帰宅したところ、兄に「大丈夫、これでお前も男だ」と言われたそうだ。
「なぜだかその瞬間、その通過儀礼を体験できたことが嬉しく思えた。だが、思い返してみると、男らしさについて我々が持っている考えはとても間違っていると思う。全く無意味な暴力を振るわれただけなのに」(ジャスティン・ティッピング監督:映画プレスシートより引用)
監督の言う「間違い」を、主人公と一緒に観客も最後に噛みしめることになる。男らしさとはなんだろうか。「男」になるための通過儀礼よりも、男らしさの呪縛から逃れることこそ、本当に必要な通過儀礼なんじゃないか。この映画はそう観客に問いかけている。