現代人はSNSで複数の人格を使い分ける。これはすでに当たり前のことになっているが、実はすごく恐ろしいことかもしれない。
10月26日から公開される映画『search/サーチ』は、現代の常識、SNSごとの人格使い分けをスリラーとして見せる意欲作だ。
本作は全編PC画面上で物語が進行する。16歳の娘が突如疾走し、父親のデビッドは捜索願いを出すが一向に行方がつかめない。手がかりをつかむために、デビッドは娘のPCにアクセスして、彼女のSNSのアカウントを探る。しかし、デビッドがそこで見たものは快活で思いやりのある娘とは別の人格だった。娘の行方を知ろうとアクセスしたSNSアカウントは、デビッドにとってさらなる迷宮の入り口だった。一体、娘は何者なのか、今まで誰と何をやってきたのか、何も知らなかったという事実にデビッドは愕然する。
PC画面だけで物語が進行するという見せ方のユニークさとは裏腹に、ストーリーはクラシックなスタイルのスリラーで、複数の人格を駆使する現代人の心の闇を描き出している。それだけにとどまらず、ストレートな親子愛の感動作にもなっていて、長編デビュー作ながら高い実力を見せている。(PC画面だけで進行する映画は「アンフレンデッド」という前例はある)
監督のアニーシュ・チャガンティは、1991年生まれのインド系アメリカ人。2014年にGoogleグラスだけで撮影した動画が大きく話題になったことで有名となった。その後、グーグルに入社し同社のCM制作に携わっており、本格的なシリコンバレー企業出身の映画監督と言っていい。
彼の出自は、本作の特徴にもよく表れており、ハリウッドのオールドスタイルな物語と、PC画面だけで語るという新しさが同居したハイブリッドなセンスの持ち主だ。そんなチャガンティ氏に本作の魅力について話を聞いた。
現代人はPC画面から驚くほど膨大な量の情報を浴びている
――この映画が全編PC画面上で展開すると聞いて、鑑賞前は飽きてしまうかもと不安だったんですが、全くの杞憂でした。この企画はどのように動き出したのでしょうか。
アニーシュ・チャガンティ監督(以下チャガンティ):この企画のオファーをもらった時、最初は断ったんです。なぜかと言うと、実はあなたと全く同じように感じたからです。単なる変わったギミックを扱うだけで、観客も飽きてしまうんじゃないかなと。映画作家としてつまらない作品は作りたくないし、ましてや長編デビュー作になるわけですから。
でも、共同脚本家のセブ・オハニアンとオープニングのシークエンスを思いついた時、これはいけるなと思ったんです。そして、これまでにない見せ方をするので、その分物語は古典的なスリラー形式にすることにしました。物語をしっかりと作り込めば観客の興味は途切れさせることはないはずだと考えました。
――オープニングから情報量がすごいですよね。映画館の大画面で改めてPC画面を観てみて、実はPC画面ってすごいたくさんの情報が詰まってるんだなと気付かされました。本作の映像を作る際、どんなことに気をつけましたか。
チャガンティ:私も映画の製作をしながら、PC画面はこんなに情報があるのかと驚きました。実はこの映画の脚本は、一般の映画の20倍くらいの分量なんです。物語の進行、人物の台詞や行動の他、カーソルの動きの指定やSNSのステータス、メールの件名やファイル名、右上の時刻やアプリの通知など、全て書き込んだらそれぐらいの量になってしまったんです。映画に映る全ての情報をゼロから映画のために作成したんです。現代人の日常で触れる情報量はあまりにも膨大ですね。
SNSとスリラーの相性
――情報量の多さとも関係するかもしれませんが、人間は人格(ペルソナ)を複数もっていて、それをSNSごとに使い分けるのが当たり前の時代です。そのことがスリラーとして非常に効果的に機能していますね。
チャガンティ:おっしゃる通りで、SNSではみな現実とは違う側面を見せます。さらにはSNSをごとに違い自分を出すのも日常的な行為ですよね。私もプライベートのインスタグラムにだけ見せる顔があります。(笑) 映画の主人公はいろいろなサイトで娘の別側面を見ることになるわけですが、そこにこの映画のテーマがあり、映画を観た方に問いかけたかったことです。
――「普段とは別の人格」というのはサイコスリラーの常套手段ですが、それはある意味現代人には日常的なことなんですね。
チャガンティ:そうです。そう感じてもらうことがこの映画の目標でしたから、そう言ってもらえて嬉しいですね。
プロットに関係なくアジア系を主人公にしたかった
――主人公をアジア系の人物にしたのはなぜですか。
チャガンティ:私はこの映画の舞台でもあるサンノゼで育ちました。自分が育った街で見かけるような人々が、映画の中にもいてほしいと思ったんです。
私は映画が大好きですけど、私や友人たちと同じ肌の色の人物を映画の中で見かける機会は多くありません。映画の世界も進歩しているので、最近は増えているとは思いますが、自分なりにその進歩を実践したつもりです。映画の世界に、プロットと全く関係なくアジア系アメリカ人を「普通に」登場させたかったんです。
――プロットに関係なくアジア系の人物を主人公にするというのは、例えば『クレイジー・リッチ!』はシンガポールに関する物語なので、アジア系が登場する必然性がありますが、そうした必然性に関係なく、アジア系の人物を登場させたいということですか。
チャガンティ:その通りです。『クレイジー・リッチ!』は私のやり方とは違う形で進歩を示していると思います。私のようなアプローチと両方とも必要なことではないでしょうか。まあ、あちらの作品は大ヒットしていますから、私のはるか先を行っていると思いますけどね。(笑)