大阪鶴竜優勝パレード

大相撲春場所は大関鶴竜が初優勝した。大阪市内に滞在していた私は、「優勝パレード」を見ようと、テレビ中継終了後、大阪府立体育会館に足を運んだ。大相撲春場所は大阪府立体育会館で行なわれている。かつては「荒れる春場所」と言われていたが、ここ数年はどの場所も大関陣がふるわないことが多く、第69代横綱白鵬の強さを引き立てていた。

大相撲春場所は大関鶴竜が初優勝した。大阪市内に滞在していた私は、「優勝パレード」を見ようと、テレビ中継終了後、大阪府立体育会館に足を運んだ。

■新横綱誕生間近に大相撲ファンも拍手喝采

大相撲春場所は大阪府立体育会館で行なわれている。かつては「荒れる春場所」と言われていたが、ここ数年はどの場所も大関陣がふるわないことが多く、第69代横綱白鵬の強さを引き立てていた。

2014年春場所は、大関鶴竜が2場所連続の14勝1敗で初優勝を決めた。表彰式が終わると、恒例の優勝パレードが行なわれる。オープンカーに優勝力士と優勝旗を持った旗手が乗り、ファンにお披露目するものだ。毎場所18時30分頃に始まるという。大相撲中継終了後、滞在先のホテルを出て、大阪府立体育会館に急いだ。

大阪府立体育会館に着いたのは18時25分頃。多くの大相撲ファンが帰宅の途につく中、鶴竜目当てに待つ人の列ができていた。大阪府立体育会館に行くのが初めての私は、どこで待てばいいのかわからない。その時だ。浪速署の警官たちが大阪府立体育会館付近の歩道を通行止めにした。同時に難波中交差点から元町2交差点まで交通規制を敷き、優勝パレードに備える。さいわい私は渡る直前に規制されたため、鶴竜を間近で見ることができる幸運を得た。

大阪府立体育会館出入口の茶屋付近では、振分親方(元小結高見盛)が報道陣とともに立っていた。交通規制が完了すると、報道陣は公道に移り、鶴竜の晴れ姿を待つ。暗くなってきたので、フラッシュを光らせ試し撮りをする。一方、振分親方はどこか落ち着かない様子だ。

18時37分頃、楽団の演奏が始まり、しばらくすると鶴竜がついに姿を現した。人々は拍手で鶴竜の姿を目の当たりにする。

「おめでとう!!」

「横綱!!」

「フレー、フレー、鶴竜!!」

祝福の声があちこちから飛び交う。年に1度しか本場所が開催されない大阪の地で新横綱が誕生するのが嬉しいのだ。

優勝力士の旗手を務めるのは、十両優勝(14勝1敗)の豊真将。鶴竜は元関脇逆鉾(先代井筒親方の次男)の弟子、豊真将は元関脇寺尾(同じく三男)の弟子なのだ。ともに「大関候補」と言われていたので、大相撲ファンの中には、「逆鉾、寺尾兄弟の優勝パレードを見たかった」と思っていたのかもしれない。

鶴竜と豊真将を乗せた白いオープンカーは、ゆっくりと出発した。オープンカーの白というのは、勝ちを表す「白星」で力士にとっては縁起がいい。

■優勝パレードの距離は1キロもない

白いオープンカーは元町2交差点を左折し、国道25号線に入る。交通規制はまったく行なわれておらず、歩道橋では大勢の大相撲ファンが鶴竜の優勝パレードを見届ける。

少し進んだところで白いオープンカーが止まり、大相撲ファンに囲まれる。色紙やメモ用紙を鶴竜に差し出し、サインを求めているのだ。鶴竜は時間の許す限りファンサービスに応える。鶴竜本人はいたって冷静に見えるが、大相撲ファンの熱気はまだまだ続いている。場所が車道の一角でもおかまいなしらしい。

「車道なので下がってくださーい」

警官が大相撲ファンに呼びかけるが、鶴竜がファンサービスに応じている以上、歩道に行ってくれない。警察官は大相撲ファン、ドライバー双方の安全を確保しなければならず、少しピリピリしている。

その後、白いオープンカーの後ろに黒のワゴン車が現れた。鶴竜のファンサービス及び優勝パレードはここまで。鶴竜と豊真将は黒のワゴン車に乗り換える。

「歩道まで下がってくださーい」

警察官数人はこのセリフを何度も言い、力士2人が乗り換えたところで、大相撲ファンの熱気が冷めた。黒のワゴン車が出発し、向かうところは井筒部屋宿舎のはず。師匠が弟子の晴れ姿を待っている。

大阪府立体育会館に戻ると、「優勝の余韻にひたる時間がない」と言うかの如く、ノボリの撤去が行なわれていた。

■優勝1回で横綱推挙

2014年初場所後、北の湖理事長は惜しくも初優勝を逃した鶴竜に対し、春場所に13勝以上で優勝した場合、横綱推挙を示唆した(鶴竜は優勝決定戦で白鵬に敗れた)。次の春場所は14勝1敗で初優勝し、公益財団法人日本相撲協会(以下、協会)は、鶴竜の横綱推挙の是非を横綱審議委員会にゆだねた。

同年3月24日、鶴竜の横綱推挙が決まり、26日に第71代横綱鶴竜が誕生した。優勝1回で推挙されたのは、1987年秋場所後の大乃国以来27年ぶりとなる。

新横綱の誕生はめでたい。しかし、千秋楽のテレビ中継で北の富士勝昭氏が指摘したとおり、10年以上も日本人力士が頂点に立てないのは、一大相撲ファンとして歯がゆい。現時点、"最後の日本人横綱"は大関時代に帰化していた第67代横綱武蔵丸だが、日本出身にしぼると第66代横綱3代目若乃花だ。後者が横綱に推挙されたのは1998年なので、以降は外国出身力士が続いている。

私個人が気になるのは、現役横綱全員(第69代横綱白鵬、第70代横綱日馬富士、第71代横綱鶴竜)がモンゴル国籍で、このままだと引退後は親方(指導者)として協会に残れない。協会に残れるのは、"条件を満たした日本国籍の力士だけ"という掟があるからだ。

横綱というのは引退後も協会を支える立場にある。特に理事長職は元横綱の就任が多い。上記3人やほかの外国人力士が日本国籍を取得しないまま引退すると、将来は指導者不足もありえる。有能な人材を手放さないためにも、年寄名跡取得の見直しを考える時期がいずれ訪れるのではないだろうか。

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