原爆ドーム、平和記念公園周辺を歩いたあと、広島の街を散策。おもがけない光景を目にした。
【協力:広島県】
■本州では広島の海が1番綺麗だ
思ったほど時間がかかり、終点広島港(宇品)に到着。今まで広島市は原爆ドームと平和記念公園に立ち寄ることが多く、新鮮な気分だ。
広島港(宇品)に訪れた目的は、青い瀬戸内海が見たい。泳げないのに海が見たいとはヘンな性分かもしれない。本州では広島の海が1番綺麗だ。もう1つは"広島名物、お好み焼き屋があるだろう"とタカをくくっていた。広島に足を踏み入れた以上、広島お好み焼きを食べてから帰京したい。
広島港(宇品)電停。元西日本鉄道(中央)、元京都市交通局(左右)の車両が並ぶ。
広島お好み焼き。店によっては自分で焼くこともできる。
お好み焼き屋は広島港宇品旅客ターミナル2階にあり、路面電車を見ながら広島お好み焼きを食べる。初めて食べる人は"新種の焼きそば"みたいな印象を受けるかもしれない。
広島港で瀬戸内海を眺める。
昼食後、瀬戸内海を見物。殺伐としていた朝の光景がウソのような静けさだった。
■広島の人は優しい
広島港(宇品)から5号線広島駅行きに乗り、的場町へ。ここで2号線宮島口行きに乗り換える。車両は超低床式路面電車5000形『GREEN MOVER』で、車窓を眺めているとセダンに乗っている感覚だ。
八丁堀で降りようとしたとき、後ろから私のザックが人の手にかかった。"なんだ?!"と思いつつ、振り返る。
「どうも」
若い女性が私のザックのファスナーを閉めていた。すぐモノを取りやすいようにあえて、開けっぱなしにしているのだが、防犯意識が強いのだろう。東京なら、ありえない光景だ。
実はこのとき、私らしからぬ行動をしていた。普段、降車後にザックを背負(しょ)うのに、この日はなぜか車内でやっていた。緊張の糸が切れてしまっていたのか。
他事業者の廃線により、廃車解体を免れた車両たちにとって、広島の地は水が合う。
八丁堀で9号線白島(はくしま)行きに乗り換え。元大阪市交通局の車両で、1969年4月1日付の大阪市電全廃に伴い、一部の車両は広島電鉄に移籍した。同社はモータリゼーションの影響で廃止に追い込まれた他事業者の車両を購入して、経費節減を図ったほか、ドイツの車両も輸入した(中古車及び5000形『GREEN MOVER』)。広島電鉄でも戦前生まれの150形と650形が現存し、「被爆電車」と呼ばれている。150形はすでに営業運転から退き、650形は2両が活躍を続けている。
広島電鉄が生き残れたのは、自治体や警察などの協力で、自動車の軌道敷地内進入禁止を徹底させたことにより、路面電車の定時運行を図ったからだ。先述した中古車両の購入などにより、同社は「動く路面電車博物館」と呼ばれている。
さて、9号線の路面電車は、終点白島に到着した。私はアテもなくブラブラ歩く。
少し時間がたったとき、主婦の叫び声が聞こえた。
振り向いたら、私のデジカメ(コンデジ)だった。暑くて注意力が散漫になっていたようだ。情けない。
2人の女性を見ていると、広島の方は思いやりと温かみがある。広島東洋カープの黒田博樹投手(現在、ニューヨークヤンキースに所属)が2006年シーズン終了後、フリーエージェント宣言をせず、"男気"の残留をしたのは、広島の人間の温かさがあと押ししたのではないかと思う。個人的には「カープを相手に投げられる自信がない」と言っていたのが心に残る。
私は白島のコンビニでたまらずお茶を購入する。周辺はマンションが多く、物騒なことに広島拘置所もある。凶悪犯が脱獄して逃走したら、子を持つ親にとっては不安におとしいれるようなもの。マンションが多くても、人通りが少ないのは気のせいだろうか。
■盆灯篭
盆灯篭は広島県夏の風物詩。
商店では卒塔婆(そとば)や盆灯篭を売っていた。「8月6日」の1週間後はお盆で、『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』などの余韻(よいん)に浸る間もない。
私が目についたのは、盆灯篭だ。広島県によると、浄土真宗本願寺派の安芸門徒の信徒が広めた風習とされ、お盆の時期になると、お墓に供えるものだという。初盆には白い盆灯篭を供え、それ以降は赤、青、黄などの色紙を貼ったものを使い、墓地が華やかとなる。
「灯篭」といえば、毎年8月6日に行なわれる「灯篭流し」を思い浮かべる人も多いと思う。その歴史については、安芸門徒の盆灯籠と日本古来の精霊流しを合わせた説もあるという。
白島をあとにして、江波(えば)へ。夏の暑さにたまらずスーパーマーケットを見つけるやいなや、ジュースを購入。終点の先にそびえたつ丘が印象に残る。
路面電車を待っているとき、女子高生が自転車を将棋倒しにしてしまった。自分で倒した自転車を立たせようとする姿に力を感じなかったので、私は手を差し伸べる。
と妙に大感激された。広島市民には先ほどの恩があるため、恩返しをしただけに過ぎないのだが。
広島駅に戻り、コンビニで豆乳とコーヒーを購入するものの、女性の店員から受け取った商品を不意に落としてしまった。
「大丈夫です」
店員に迷惑をかけてしまった。炎天下の中を長時間歩いていたせいか、熱中症にかかってしまったようだ。
■夏休み中に修学旅行
コインロッカーに入れた荷物を出し、山陽新幹線へ。ホームはうだるような暑さに包まれていた。
ホームでは私服の修学旅行生に遭遇。夏休み中に修学旅行を行なう学校を見たのは初めてだ。生徒は疲れを見せず、笑顔ばかり。その表情を見ていると、"広島でなにを学んだのだろう?"と疑問だが、学校側の"英断"を評価したい。テーマパークで遊ばせる学校よりマシだからだ(私は修学旅行のありかたを見直すべきだと考えている)。
700系7000番代レールスター車両の現在は、〈こだま〉運用が中心。
修学旅行生たちは、16時00分発の〈のぞみ36号〉東京行きに乗り込んだ。車内は満員御礼だ。私は16時10分発の〈ひかり468号〉レールスター新大阪行きに乗車する。
〈ひかり〉レールスターは、「サルーンシート」と呼ばれるオール2人掛けの指定席(自由席は2人掛けと3人掛け)が目玉で、グリーン車と遜色のない上質な居心地がいい。デッキ寄りの席では、パソコン用コンセントが備えられている。4号車はサイレンスカーで、車内放送は緊急と始発終点の場合を除きカットされているが、この日は多客期なので、その設定はなかった(現在、サイレンスカーの設定はない)。
8号車の一部は4人用個室(防音対策なし)が4部屋あり、家族やグループにうってつけの席だ。ただし、おしゃべりがほかの部屋や座席にも漏れるので、"声の音量"に注意したい。
2014年3月16日のダイヤ改正で、〈ひかり〉レールスターは下り1本、上り2本の運転に縮小され、通過駅も少ない。
■初代〈のぞみ〉300系で帰京
700系全盛の時代、300系〈のぞみ〉に乗るとは想像すらしていなかった。
〈ひかり468号〉レールスターは、17時44分、終点新大阪20番線に到着し、25番線から17時49分に発車する、臨時〈のぞみ316号〉東京行きに乗り換える。乗り換え時間はわずか5分だが、〈ひかり〉レールスターの8号車は、16両編成の13号車に位置していたので、意外とスムーズに乗り換えられた。
発車から3分もしないうちに、ベージュの制服を着た女性の車掌が車内改札。ベージュの制服を見ていると、乗客に清涼感を与えている。東海道新幹線を管轄するJR東海では、現在でも指定席、グリーン車の車内改札を続けている(自由席の場合、車内改札を行なわない場合もある)。
京都で大勢の観光客を乗せて、私が乗車する13号車は、たちまち満員となった。車内では乗客の多くが夕食の弁当をとっている。
300系で2両設置されているサービスカウンター(売店)は休業状態。車内販売はワゴンサービスのみとなっていた。この日はビールが売れている様子で、女性の車内販売員がビール缶1ケースを重そうに抱えて14号車へ向かった。客室を去る時に小声で、「失礼しました」と言っていたが、そこまで気を遣われると、乗客のほうが恐縮する。
19時29分、静岡を通過。在来線ホームでは、普通電車東京行き(373系特急形電車で運行)が19時35分の発車を待っていた。あっという間に通過したせいか、電車が小さく見えた。
関東地方に入り、新横浜へ。多くの乗客が降り、発車すると都会に入ったことを知らせるかの如く、スピードが落ちる。カーブが多く、沿線はビルやマンションなどが多い。
20時26分、終点東京18番線に到着。新幹線にずっと乗っていたおかげで、熱中症は治まった。
在来線乗り換え改札を通過したとき、空気が一気に変わった。張り詰めた緊張感から何気ない日常の雰囲気に変わったことを肌で感じたのだった。
★備考
・広島市ホームページ「原爆死没者名簿について」
・通じゃのう「広島のお盆の風物詩 盆灯籠」
・行動する研究者 児玉克哉の希望ストラテジー「被爆者は高齢化し、数も減っています~被爆体験継承の必要性」