教育に疑問を感じたらElon Muskの場合は自分で学校を作る!

教育という国家の根幹にかかわる重要な問題を、既成概念や社会通念にとらわれずに考えるということは大切だ。

Tesla MotorsSpaceXをスタートさせたInventor & EntrepreneurのElon Muskは、小学校の頃、病院に担ぎ込まれるほどの怪我をさせられた、酷いいじめにあっていた。彼は、拷問を受けに行くような学校およびそのカリキュラムが嫌いで、さらに家では父親との緊張関係もあり、結果として、故郷の南アフリカからアメリカに移住する決心へと、つながっていったというらしい。

そんな手酷いいじめを受けたElonは、自分の5人の息子が通っていた学校が気に入らず、小さな規模の実験的な小学校をスタートさせている。彼は北京TVのインタビューで以下のように語っている。

Los AngelesにあるElonが始めた私立の小学校「Ad Astra("To the stars")」は、現在14名の生徒が通っているが9月には20名になる予定、子供たちの親はSpaceX の社員ということ。彼のグランドビジョンは、「1年生から3年生の学齢の子供たちから、『学年』という概念をなくして、すべての子供が一緒に学ぶ、まるで自動車工場のアッセンブリーラインのようにしたい。理由は、音楽が好きな子供がいれば、数学、あるいは英語と、子供たちは異なる関心を同じ時期に持ち、それをもっと活かせる仕組みを作ることが大切だ」という。

彼が教育の抜本的なこととしてポイントアウトしているには、「どうやったら問題を解決できるか?」という点で、「ツール」に関して教えるのではなく、「問題」あるいは「問題の解決」そのものを教えるべきだと主張している。彼が例としてあげたのは以下のような例えである。

「エンジンがどのように機能するか?」ということを教えるために、「スクリュードライバーの使い方」を教えても意味がない、必要なことは「エンジン」そのものを子供に与えて、それを解体するようにを指示する、それによって、子供たちは「スクリュードライバー」の必要性と使い方を学ぶ。

子供たちは小学校に行くことを楽しみにしており、教育の成果は彼のビジョンに近いらしい。私はこの事例の持つ重要な意味を実感する。仕事上でも然りであるが、「Fundamentalな事象への認識」の欠落が、まず足を踏み出す方向を間違えさせる。間違った方向に行けば、どんなに優れたツールを持ったところで、フィックスすることはできない。必要不可欠なツールの使い方は、後から自然と身につく。小学校時代は、その柔らかなアタマと心を伸ばす素地をつくる重要な時期である。その時に、実りをもたらすような教育カリキュラムがあれば、子供の伸びはUnlimitedに広がっていく。

もちろん、Elonだからできることと言えるかもしれないが、こういう「発想」に、私は常に敬意を払い、また大いにInspireされる。自分が子供の頃に、「エンジンの解体」プログラムがあったら、私はもしかしたらエンジニアになっていたかもしれない。当時の私にとって「蛙の解剖」ぐらいしか「解体」モドキを実践しておらず、また当時は「女子は家庭科、男子は技術科」と、クラスはジェンダーで分かれていて、「女子(私はこの言葉は、少女を指す時以外は使わない)」が、技術的なことを学ぶ機会は非常に少なかった。

まあ、昔話はさておき、教育という国家の根幹にかかわる重要な問題を、既成概念や社会通念にとらわれずに考えるということは大切だと思う。「英語」というツールを幼少期に学ばせれば、グローバルな考えが身につくあるいはグローバル社会で勝ち抜ける、といった安易な考えはやめたほうがいい。もちろんNativeのEnglish Speakerが英語を教えるのはよいと思うが、それ以前に「日本の文化や伝統」といったIdentityを語る、あるいは議論できる「教養」は必要で、その上で、「ツール」習得という「技」に行くのが王道だと思う。中途半端が最も愚かしく、「コンテンツなき技術者」は、その後、成長して大人になった時にしんどい思いをすると思う。

Elonの発言や動きは人をわくわくさせる。こういう人は滅多にいない。私も小学校時代にElonではないが、「女友達からいじめ」にあい、私の親友(女の子)はいじめのために転校した。私はその間、「男子」と一緒に野球やサッカー、木登りなどをしていて、全然女の子のいじめを本気で受け止めていなかった。あの時、もっといじめで真剣に悩んでいたら、今頃もっと違う発想が生まれたかもしれない、そんなことを考えさせるElonのストーリーである。

注目記事