愛知県小牧市で勧められていた「ツタヤ図書館」計画に対して住民投票で反対が上回る結果が出た。CCCが展開する図書館は、佐賀県武雄市で2013年にオープンし地域活性化の成功事例として各地で計画が進んでいる。だが、ネットユーザーの一部からすればツタヤ図書館は課題が多いことで知られている。なぜ計画が進むのか?いまさら問題に?など、情報に触れる度合いによって反応はまちまちかもしれない。だが、マスメディア的には「ツタヤ図書館問題」は始まったばかりだ。
愛知県小牧市の新図書館建設計画を巡る住民投票が4日、投開票された。反対が賛成を上回り、レンタル大手「ツタヤ」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)と連携した市計画は、見直しを迫られることになる。当日有権者数は11万6624人で、投票率は50・38%だった。
出典:ツタヤ図書館計画、反対多数 愛知・小牧市住民投票:朝日新聞デジタル
ネットユーザーには知られた案件が、マスメディアの人にはあまり知られてないことは良くある。10月1日に新聞、テレビ・ラジオ、出版関係者が集まる「マスコミ倫理懇談会全国協議会」に出席していた際に偶然この話になったのだが、ネットで話題になっていることを知っている記者や編集幹部は皆無であった。むろん出席者のネットリテラシーが低かった可能性もある。いまは、ネットをウォッチしている記者も多く、「ツタヤ図書館問題」を知っている、もしくは記事化しようとした記者もいたかもしれない。
ただ、新聞では問題は全国的な扱いで記事化されていない。問題点を追求しているのはアエラや週刊朝日といった週刊誌が中心だ。テレビ番組でも一部報道されているが、各地に次々と「ツタヤ図書館」を作る動きがあったのは(あえて過去形とする)、問題が広く認知されていなかった、もしくは問題があるのは分かっているがそれ以上にメリットがあると考えたからだろう。
どのような問題があり、CCCの対応がどうだったのかは、ハフィントン・ポストのいがやちかさんの記事が詳しい。
武雄市図書館の選書でCCCが異例の「反省」 愛知県小牧市「TSUTAYA図書館」計画は住民投票へ(ハフィントン・ポスト日本版)
「ツタヤ図書館」という言葉が朝日新聞で使われたのはデータベースで確認した所、2012年6月25日『「ツタヤ図書館」、進む計画 武雄市議会、実現へ条例改正 /佐賀県 』という地方面の記事のようだ(Twitterでご指摘を頂きました)。
12年は2件、13年は13件あり、宮城県多賀城市や山口県徳山市周南市への展開事例が紹介されている。検証的なものは、6月25日に『ツタヤ図書館、こぼれ落ちるものは 鹿児島・指宿で議論 /九州・共通 』とのタイトルで記者による1段の署名記事があるぐらいだ。
14年は6件。多賀城市が計画している「ツタヤ図書館」に疑問を持つ市民が団体をつくったという宮城県版の記事には、「Tポイントカードを通じた個人情報の流出などを心配する市民もいる」と書かれている。15年は11件あり、2015年6月28日の伊賀版では『下手な観光施設より「ツタヤ図書館」佐賀・前武雄市長、名張で講演 /三重県 』との記事もある。
毎日新聞のデータベースではツタヤ図書館は1件。「ツタヤ 図書館」では26件で記事の傾向は似ている。
「ツタヤ図書館問題」を全国的に扱った記事は見当たらず、住民投票という公的な動きがでて問題に対する扱いが始まりつつある状況と言える。
「ツタヤ図書館」という言葉の使われ方にも注目したい。下記中日新聞の記事では、反対する団体が「ツタヤ図書館はいらない」とシュプレヒコールを上げたと紹介されている。これまでは、スターバックスが併設されたおしゃれな場所で地域活性化につながる注目手法というイメージかもしれないが、「みんなの図書館」vs「ツタヤ図書館」となるとイメージはネガティブになる。
問題がマスメディアの人(特にデスク以上)に認知されると、他事例や過去事例を掘り起こし始める。武雄の図書館では、たくさんの問題事例が積み重なってアーカイブされている。ツタヤ図書館問題は、ガスが溜まった状態でネットで眠っていたみたいなものだ。同じくCCCが手がけ、10月1日にリニューアルした海老名市立中央図書館をめぐっても、風俗街を紹介する本があったり、蔵書の分類がおかしかったり、と早くも話題になっており、問題は解決されてなさそうだ。仮に今回火がつかなくても、どこかで問題は報じられることになる。
世の中で起きる「炎上」案件というのは、発火する前にネット上で何らかの動きがあるものだ。CCCはネットの一部が文句言ってるだけ、と思ってるかもしれない。だが、課題を改善しなければ、ガスは溜まり続けて爆破する。
マスメディアがネットの後追いをする現実はすでに常態化している。それは、マス(大衆)を対象にしたメディアである以上、一部のユーザーが騒いだり、活動しているだけでは、記事にするのが難しいからだ。ただ、どうも簡単に後追いできる騒動はすぐに記事にし、ツタヤ図書館のようにやや複雑で、理解が必要な問題は、公的な動きが出るまではスルーされる傾向にある。本来は、逆であるべきだ。
問題を発見し粘り強く書き続けるのが報道機関の役割のはずが、「ツタヤ図書館問題」に関してはネットユーザーがその部分を担い、地道な活動を続け、問題を発見し続けてきた。マスメディアは、ツタヤ図書館の各地展開も、反対運動も、動きを追いかけるだけになってしまっている。
いま危惧するのは、このまま報道が加速し「ツタヤ図書館が悪い」といった感情的なバッシングが起きることで、それではトカゲの尻尾切りになってしまうことだ。ツタヤ問題をネットで書くと各方面から非常に厳しいコメントが寄せられ、図書館はどうあるべきなのかという冷静な議論を成立させることが難しいのも問題だ。ツタヤ、CCCを図書館から遠ざければ問題が解決するわけではないだろう。なぜ、地方自治体や図書館が「ツタヤ」に頼るのか、その原因が何かを議論しなければ、「ツタヤ」に変わる何かがそこに入り込むだけだ。
(2015年10月5日 「Yahooニュース個人」より転載)
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