中尾知代著『日本人はなぜ謝りつづけるのか―日英〈戦後和解〉の失敗に学ぶ』(NHK出版、2008年)
ひとことでいうと、かなり読みにくい本だ。文章が、ではなく、内容が。難しいことが書いてあるからではなく、なかなか受け入れにくい内容だから。ある意味、非常に感情を逆撫でされる本だといえる。つい感情的に反発したくなる。たぶん、同様に感じる人は多いだろう。だが、というか、だからこそ、この本は読まれるべきだ。そうだそうだと膝を打つ人だけではなく、なんだこれはと腹を立てる人にも。
実際、私もうんうん苦しみながら読んだ。内容てんこ盛りで消化しにくいのもさることながら、納得のいかない部分が多々あってつっこみを入れたくなる。読み終わって「あーすっきり」という本ではない。でも読み終わってつらつら考えているうちに「ああそういうことか」という感じになってくる。そういう本だ。以下、感想文。
著者は、第二次大戦時の捕虜に関する問題を、オーラルヒストリーの手法で研究してきた研究者だ。本書でとりあげているのは、旧日本軍の捕虜となった英国人たちのことばを通して浮かび上がる、日本と旧敵国との間の戦後和解に関する問題だ。
日中戦争や太平洋戦争の時期、当時の日本軍の、捕虜に対する扱いが総じてよろしからぬものであったということは、一般常識として少なからぬ人が知っているのではないかと思う。日本軍が英国人捕虜たちに対して、劣悪な環境で過酷な労働を強いたり、不必要な暴力をふるったりしたさまは、『戦場にかける橋』や『戦場のメリークリスマス』などにも描かれたから、そうしたものを見た人も多いだろう。
もちろん、これらの映画が事実そのものであるわけではない。しかし実際、ナチスドイツの捕虜となった連合国軍将兵の死亡率が9%だったのに対し、日本軍の捕虜となった場合の死亡率は27%であったというから、こうした状況があったことを否定はできないだろう。Wikipediaをみると、ナチスドイツの捕虜となったソビエト軍兵士(57.5%)や東欧諸国の捕虜となったナチスドイツ軍の捕虜(32.9%)の方が死亡率が高いようにもみえるが、少なくとも西欧や米国の将兵にとって、27%という数字はきわめて高いものであったということなのかもしれない。
こうした戦時中の日本軍将兵による手ひどい仕打ちは、多くの捕虜たちに深い心身の傷を残した。当然、日本や日本政府、そして当時の、あるいは今の日本人に対する悪感情を抱く者も少なくない。しかしそうしたようすは、断片的には伝えられるが、日本に住んでいる限り、目にする機会はそう多くない。本書にも描写されている、大きな盛り上がりをみせた1995年、つまり戦後50年記念のVJデーの模様を知っている人はどのくらいいるだろうか。日本では終戦記念日として静かに死者を思う8月15日が、英国では盛大にお祝いされる日であること、あるいはそもそも「VJデー」(対日戦争勝利記念日)なる記念日が存在することすら知らない人の方が多いのではないか(米国を含む他の国では、VJデーは日本が降伏文書に調印した9月2日とされる)。
日本人としてはあまり目にしたくない類の話ではあろうから、それも当然といえば当然ではあるが、やった方が忘れても、やられた方は忘れない。少なくとも、実際にひどい仕打ちを受けた受けた人たちや、その人たちから話を聞いている人たちはそうだ。いじめでもDVでもよくある構図だが、著者はそれを、英国内で、あるいはアジアの「現地」で開かれた慰霊祭などのイベントに飛び込み、向かい合い、自ら悪意あることばや憎悪の視線を浴びながら記録してきた。本書のかなりの部分はそうしたうんざりするような話だ。
もちろん、何もなされなかったわけではない。サンフランシスコ講和条約による日本からの補償額の一部は、大きな額ではなかったが元捕虜たちにも分配された。1993年に細川首相、1995年に村山首相、1998年に橋本首相がそれぞれ、「お詫び」のコメントないし文書を出している。民間での交流を通じた和解の試みもあったし、対英投資を含む経済協力もなされた。こうしたさまざまな取り組みを通じて日英の「和解」が進んだ、というのが公式的な見解だ。今でもたびたびトラブルが生じる韓国や中国との間でのそれと比べても、日英の戦後和解は、一般的には成功例とされているケースらしい。
実際、調査などでみる限り、英国人の日本人に対するイメージは、総じてみれば、悪いものではないようにも思われる。たとえばBBCが発表している世界各国の好感度調査では、2013年、「世界に対して最もよい影響を与えている国」として、対象となった世界16カ国+EUのうち、日本はドイツ、カナダ、英国に次ぐ第4位であった。51%が「よい影響」と答え、27%が「悪い影響」と答えている。「よい影響」の数値は25カ国中8番目に高く、「悪い影響」の数値は9番目に高い(つまり、「悪い影響」の数値が圧倒的に高い国が「いくつか」あったということだ)。これは調査対象国全体での数字だが、英国での日本の評価は59%が「よい影響」、27%が「悪い影響」であり、順位でいえばカナダ、ドイツに次ぐ第3位となっている。
BBC poll: Germany most popular country in the world(BBC 2013年5月23日)
このニュース、日本が2012年調査での第1位と比べて急落したと報じられ話題となったが、とはいえ低いという評価にまではならないだろう。英国における好感度も、全体平均を上回る。米国やフランス、インドなどより上であるから、さほど悪くないといっていいように思う。端的にいえば、英国における日本の評価はそこそこいい、ということになろう。
しかし著者は、こうした認識に否を唱える。日本では成功したと思われている国同士の「日英和解」の裏で、英国人元捕虜たちとの和解は、実はできていなかったのだと。実際、ヨーロッパにおける第二次大戦勝利を記念するVEデーの式典にはドイツ在郷軍人も招かれているが、VJデーの式典に日本人は招かれなかった。国同士は経済関係もあるし、それらしく和解はしたが、実際の当事者たちには、依然として大きなわだかまりが残っている。日本人は、許されてなどいないのだと。
著者はそれを、実際に元捕虜たちに会い、彼らのイベントに参加して、検証していく。ときに疎まれ、ときに敵意を向けられながらも、著者は捕虜たちに丹念に向き合い、彼らから、それまで語られなかった思いを引き出していく。
彼らが著者に託したのは、恨みや憎しみではなく、問いだった。
・なぜ日本兵たちは自分をあんな目に遭わせたのか。
・なぜ日本のしかるべき人たち、つまり政府や天皇などからきちんとした謝罪がないのか。
当時彼らが受けた仕打ちは、彼らにとってあまりにも理不尽なものだった。それなのに、なぜ日本の責任ある主体から公式の謝罪がないのか。それが理解できないのがつらい、ということらしい。
第一の問いについては、日本人とのさまざまなかたちの交流によって、答えを得た人々もいる。端的にいえば、当時の捕虜に対するひどい扱いのうち少なくとも一部は、当時の日本軍兵士たち自身が受けていたひどい扱いの反映であったということだ。その意味で、旧日本軍の捕虜虐待問題は、ある意味、いじめの連鎖に似た部分があるということになるのかもしれない。もちろん、当時日本がジュネーブ条約を批准していなかったという事情もある(日本政府は1942年1月に「適当なる変更を加えて (mutatis mutandis) 同条約に依るの意思ある」との声明を発表している)。それで正当化できるものかどうかは別として、理屈は理解できる、ということらしい。
問題は2つめの問いだ。その答えは、もちろん本書を読めばわかるわけだが(最終章が丸ごとそれに充てられている)、手っ取り早く、本書の帯にも列挙されている。
(1)BC級戦犯に対する責任追及が不当だったという不満
(2)降伏日本兵(JSP)が捕虜として扱われず抑留され強制労働を強いられたという不満
(3)シベリア抑留者が受けた過酷な仕打ちに対する反感
(4)欧米列強の帝国主義による植民地責任がそもそもの原因だという主張
この4つはいずれも、日本人が「謝る」ことに対してわだかまりを持つ要因とされるものだ。つまり、日本人は謝りたくないというわだかまりを抱いているから心からは謝らず、だから「心から謝っていない」といわれ続け、だからいつまでも謝り続けなければならないはめに陥っている、というのが著者の主張ということになる。確かにこれらの問題に言及して「お互い様だ」といった主張する人はけっこういる。
とはいえ、疑問を抱く人も多かろう。上記のような不満はあっても、実際に日本は謝り続けてきたではないか。村山談話や天皇のおことばを含め、日本のしかるべき立場の人が、公式の場で、戦時中のふるまいに対してお詫びのことばを発したことはこれまで何度もあった。いったい何が不満だというのだ、と。
つまり、上記の元捕虜たちの問いは、本書のタイトルにもなった「なぜ日本人は謝り続けなければならないのか」、という私たちの問いでもあるのだ。
大きな要因の1つはことばの問題だ。日本の責任ある立場の人たち――首相であれ天皇であれ――がこの問題に触れるとき、そこにはワーディングに関する「きめ細かい」配慮が必ず存在していた。典型的なのが、日本語では「謝罪」ではなく「お詫び」という表現を使っているという点だ(1998年の天皇の「おことば」はさらにニュアンスが弱く、「深い心の痛み」となっている。「当事者」ではないという趣旨だろうか)。同じ意味ではないかといえばその通りだが、1995年の村山談話にせよ1998年の橋本首相の手紙にせよ、書いた人たちはあきらかにこの2つの意味をちがうものと考え、意図的に「謝罪」を避け、「お詫び」を選んでいる。
英語では「謝罪」も「お詫び」も「apology」だ。したがって、これらのことばをひねり出した頭のいい人たちは、日本語では「お詫び」、英語では「apology」を使うという手をとった。言語ごとにニュアンスのちがうことばを使い分けることによって、それぞれの言語の利用者に微妙に異なるメッセージを出すというやり方は、外交をはじめ、国際的な合意の場では日本に限らず常套手段として使われる。
著者はこのような「配慮」の背景を、アジア女性基金が給付金に添える手紙の文面をめぐって交わされた同様の議論を報じた新聞記事を引いて、サンフランシスコ講和条約で解決したはずの補償問題をむし返されることへの懸念があるからだ、と指摘している。「謝罪」ということばが「さらなる補償」へ向けた動きを招くのではないか、と恐れているらしい。
むし返す人たちがいるとすれば、それは「謝罪」ではなく「apology」を見た人たちだと思うので、この理屈は正直よくわからないが、「原文」は日本語だから日本語での意味が問題、という発想だろうか。これだけだと説得力が弱いようにも思われるが、こうした恐れを抱く発想の奥にはこの問題に関する日本人のわだかまりがあるという。著者は同記事の文章を借りて、こう説明している。
・・単に補償の有無にかかわらず、「謝罪」という言葉に日本側は拒否感を持つ。なぜなら「謝罪」という言葉を用いることによって、第二次世界大戦を〈侵略戦争〉だと位置づける解釈を認める、すなわち自衛戦争だという意見や、西洋の帝国主義の責任を問わない立場になることに対する抵抗が日本にはある・・・
「お詫び」ならよくて「謝罪」はだめというのは、後者に「罪」という字が入っているからかもしれない。「罪」は「犯罪」を連想させる。「罪」と認めるかのようなことばを使うことは、当時の日本の戦争を欧米列強からのアジア解放の戦いと位置づけたい一部の日本人の感情を逆なでする。
一方、「お詫び」は、「謝罪」よりもトーンがやや軽い。本当に悪いとは思っていない場合にも、比較的気軽に使える。「世間をお騒がせしたことに対し」「ご迷惑をおかけしたのであれば」などはいずれも本気で謝る気がないときに使うレトリックだが、これらにつながることばはやはり「謝罪」より「お詫び」だろう。
しかし、日本語だからいいではないか、とはならない。この日本語のワーディングをめぐる「配慮」は「shazai」と「owabi」の差としてすでに英語でも報じられ、少なくともこの問題に関心を持つ人々には知られてしまっている。著者はこう書く。
あくまで「シャザイ」を求めるJLCSA(山口注:Japanese Labour Camp Survivor's Association:日本強制労働収容所生存者協会)や英国民間人抑留者団体ABCIFERに対して、日本大使館は「オワビもシャザイも一緒の意味だ」と強調したのである。しかし「同じなら、なぜシャザイを使わないのか?」と疑問に思うのは当然だろう。
そしてその代わりに、表に出てくるのが民間による「和解」の動きである。著者は、これらの取り組みの意義をある程度は認めながらも、やはり「しかるべき主体」の「しかるべきことば」による謝罪なしに、「友好」や「信仰」で過去の傷を消し去ることはできないということを、これらの活動によって元捕虜たちの間に生じた亀裂や軋轢を通じて説明している。「民間和解外交」は、実際には政府の資金援助で行われていた。「謝罪」を回避するための政府の意を受けたものとして彼らの目には写ったのかもしれない。
こうした動きの中に浮かび上がった日本政府の「配慮」は、日本国内でさまざまな人が発するさまざまな、いわゆる「自虐史観」に抗しようとするあれやこれやの動きと併せて、総体としての日本人が、謝る気などないのだというメッセージとして発信され続けている。タイムズ紙は、村山談話を伝える記事のすぐ横に、「no regret」(謝る気なし)とのキャプションつきで、軍服を着込んで靖国神社に集まる人々の写真をでかでかと載せたという。悪意に満ちた扱いだと思うが、こうした伝え方をする外国メディアの責任に一部はすることができても、すべてをそこに帰することはできない。日本人の一部は確かに、日本が謝る必要などないと考えている。そして何より、日本政府がそうした意見に影響を受け、一部は同調するかのような動きを見せているのだ。
もちろん人の考えは自由なので、日本は謝る必要などないと考えることもまた自由なのだが、個人レベルならいざ知らず、政府や政府要人となるとそうもいっていられない。国レベルの実害があるからだ。
実害とは何か。本書には書かれていないが、ひとつは経済的な害だ。
この問題を解決せずにおくことは、英国あるいはその他の国々に対して、日本が「ひどいことをする国」「信頼できない国」というイメージ、日本人を「ニコニコ笑っていながら後ろからいきなりグサっと背中を刺す人たち」、というイメージを発信することを意味する。日本を嫌いだと思う人は、日本製品を買おうとは思わないであろうし、日本と英国の経済関係の強化に対してもよい評価をしないであろう。その人の周囲にもその嫌悪感は伝わる。その他の国にも影響をおよぼすだろう。そうしたあれやこれやが、日本や日本企業が本来獲得できたはずの経済的利益を手の届かないものにしている、ということだろう。
もちろん、上記のBBC調査などをみる限り、英国においても他の国々においても、日本のイメージは総じて悪くはない。しかしそれは、悪影響がなかったことを意味するわけではない。実際、BBC調査でも、英国の人々の日本に対する評価は、よい方も悪い方も比較的高かった。悪い評価を下した人々のうちどの程度が捕虜問題をそう考える材料にしていたかは不明だが、影響がないと考えるのは楽観的にすぎるだろう。1998年5月の天皇訪英の際には、エリザベス女王とともに天皇が乗った馬車に対して、元捕虜や退役軍人など約千人がいっせいに背を向け、ブーイングをした。「得べかりし利益」を具体的に算定することは難しいだろうが、こうした人々の存在が、日本と英国の経済関係にまったく影響を与えていないと考えるのは甘いと思う。コモンウェルス諸国に対する英国の影響力も無視はできまい。
しかし、もうひとつ、これよりもっと重要な、ある意味はるかに大きな実害がある。それは、日本の主張に耳を傾けてもらえない状況を作ってしまっていることだ。
英国人の戦時捕虜問題以外にも、日本の戦争時の行為についての問題はある。それらを過去の問題としたい人々の意向にもかかわらず、そのうちいくつかは、主に特定の国々によって現在に至るまでむし返され、いわれなき(根拠がある部分もあるだろうが、明らかに言いがかりというべき部分もある)糾弾を受け続け、そのイメージを世界中に拡散され続けている。日本から発せられる散発的な反論も、諸外国にはあまり届いていないようだ。彼らには関係ない話だから、というだけではなかろう。実際に「さもありなん」と思わせる状況があるからだ。
英国で日本が謝っていない、謝る気がないと思っている人たちは、こうした(私たちにとっては理不尽な)糾弾も、「さもありなん」とみることだろう。日本からの反論も「どうせ」と受け流すだろう。その空気は、この問題と無関係の国々にも「やはりそうなのか」と伝わる。すなわち、この問題に背を向け続けることは、世界における日本の立場を傷つけ続けているということになる。自虐史観ということばを使う人がいるが、こうした態度の方がよほど自虐のように私には思われる。日本人は謝ることのできない民族であると言われ続けることが国辱以外の何であろうか。
もちろん、英国を始めとする戦時捕虜問題に日本が取り組むことが、彼らの主張のみを認め我らは沈黙せよ、ということを意味するわけではない。むしろ逆だ。自らの非を認めることで初めて相手の非について指摘することができる。たとえば著者は、BC級戦犯の裁判のやり直しを提唱している。東京裁判はサンフランシスコ講和条約でその結果を受け入れると約束しているからハードルはえらく高いが、上にも書かれたBC級戦犯の裁判をはじめ、理不尽な点が数多くあることは指摘されている。条約に基づき裁判結果を受け入れるという政治的なスタンスは変えなくとも、学術的調査研究は進め、再評価していくべきだろう。一部では既に始まっているそうだが、さらに加速させていく必要がある。
「東京裁判史観」のようなおおざっぱなくくりで日本が国際社会に復帰するために受け入れたものをまるごと否定してみせたり、「尊崇の念」のようなつっこみづらい概念を持ちだしてA級戦犯全員を戦死者といっしょくたにして崇拝の対象にしてしまうことと比べ、条約の順守を前提とした上で、この人の裁判のここは不合理、ここは事実に反する、といったようにひとつひとつ検証していくことはよほど説得力があり、受け入れられやすい行動のはずだ。他にも言うべきことはたくさんある。私たちが言いたいことを言えるように、私たちが言うことに耳を傾けてもらえるように、私たちはまず、自らに都合の悪いことを認めなければならない。
お互い様だからと帳消しにしようとするのはよいアプローチではない。そもそも関与しているのは別の人々なのだし、別々に論じるべき問題だからだ。宣戦布告が届く前に攻撃開始したから原爆の放射線被害も自業自得だという理屈が通らないのと同じように、英国がアジア諸国を植民地支配していたからといって英軍捕虜を虐待してもいいという話にはならない。それぞれ別々に論ずべき話だ。ひとつひとつ解きほぐしていかなければならないというときに、英国人捕虜に関する問題は、比較的取り組みやすいものではないだろうか。日英同盟以来の友好関係を考えれば、この問題を放置しておくのは明らかに損だ。他の国との間の問題も、順次取り組んでいけばいい。
「先方が謝らないから自分も謝らない」というのは子どもの喧嘩でよくみる態度だ。子どもの喧嘩なら誰か大人がいていっしょに謝りなさいと言ってくれたりするが、この問題はそうではない。感情的には「なぜこちらからでなければならないのか」という理不尽さへの不満を禁じ得ないが、やはりきっかけを作るのは、日本の役割だ。それが勝ち目のない戦争を始めた側がつけなければならない落とし前というものだろうし、また誇りある者の態度でもある。
戦後約70年が経過し、当事者はほぼ死に絶えようとしているが、問題は今もなお生き続けている。私も以前は、なぜ上の世代の尻拭いをしなければならないのかと思っていた。ほっとけば忘れられていくのではないか、とも思った。しかし、やはりちがう。これはすでに私たちの世代の問題であり、私たちが将来世代に対して負うべき課題になっている。
私たちはもう少し、この問題に対して賢く立ち回るべきなのではないか。本書を読んだ感想をひとことでいうと、そういうことだ。言いたいこと、言うべきことはたくさんある。だからこそ、説明すればわかってもらえると脳天気に思い込んだり、自分は悪くないと子どもっぽく当たり散らしたりするのではなく、引くべきところは引いて、仲間を増やして、絡み合った糸を1本1本粘り強く解きほぐすように個々の問題に取り組んでいくことが必要だろう。それは強がってチキンゲームに走るよりよほど知恵と勇気のいることだが、他のどの国のためでもなく、日本と日本人のためにこそ必要なのではないだろうか。
アマゾンのレビューを見ていたら、「非論理的」という批判的な意見があった。先方、つまり著者が接した元捕虜たちの意見ばかりに寄りすぎではないか、という指摘だとすれば、私もそういう部分を感じないではなかった。日英関係全体からみればごく一部の話ではないか、取り扱いが非対称で不公平ではないか、と。しかし、この問題が日英関係にとげのように刺さった状態で放置されているのも事実だ。そうさせている「原因」は確かに日本の中にもあり、その「原因」が今も日本と日本人を傷つけ続けていることは、つい先日のあれこれでも明らかだ。その意味で、これは終わった話ではないし小さな話でもない。
内輪でしか通用しない理屈をいくら「ていねいに説明」しても、理解を得ることはできないだろう。不公平な話だと思うが、そんな状況がなぜ生じたのか、考えてみるといい。そしてこの「非対称性」は、問題自体についてもいえる。英国にとって「ごく一部」の人の問題であったとしても、私たちにとっては全体に影響を及ぼす問題だ。これを放置し日本と日本人を傷つけ続けることの方が、私には非論理的と思える。
というわけで本書、全部が全部賛同、という人でない人にこそお勧め。いろいろ異論はあると思うけど、まずは読んでみるといい。たとえ賛同できない部分があるとしても、考えるいいきっかけになると思う。新本が手に入りにくい状況っぽいが、増刷希望。というかkindle化希望。
(この記事は、2013年12月29日の「H-Yamaguchi.net」より転載しました)