私の職場である駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部では、「実践メディアビジネス講座I」というタイトルで、外部の方々をお呼びしてお話をしていただくという授業を行っている。
毎年統一テーマを設定し、シリーズ講義として展開しているが、2017年度は「メディア・コンテンツとジェンダー」としてみた。
メディアやコンテンツの領域におけるジェンダー問題は、ジェンダー研究の主要な関心テーマの1つであり、欧米諸国においては最近も、ハリウッド映画における女性監督の少なさやいわゆるゲーマーゲートなどの問題について、活発な議論が交わされている。
しかし日本では、「女性が輝く社会」などと謳われてはいるものの、ネット炎上が散発的に発生したりはするものの、全体としていまひとつ盛り上がりに欠けるように思われる。
Female directors becoming rarer in Hollywood
CNN.com January 12, 2017
What Gamergate should have taught us about the 'alt-right'
The Guardian 1 December 2016 07.12
とはいえ、この問題が重要であることには違いなく、メディアについて学び、メディア・コンテンツ業界などへの進路を考えている学生も多い当学部にとって、とりあげるべきテーマではないかと考えたわけだ。
盛り上がりに欠ける原因の1つは、私たちが日々直面する現実が全体としてはそう大きく変わっていないことからくる閉塞感かもしれない。
昨年帝国データバンクが行った調査によると、企業管理職に占める女性の比率は平均6.6%だった。比率は上昇傾向にはあるが、管理職が全員男性で女性が1人もいない企業が依然として50.0%を占めているという。
企業の女性管理職比率、6.6% 政府目標遠く
日本経済新聞 2016年8月15日
メディアやコンテンツの業界に属する企業も例外ではない。
こうした状況を憂える社説を載せる大手新聞各紙も、女性活躍推進法に基づく一般事業主行動計画(各社が提出したものが「女性の活躍推進企業データベース」として公開されている)を見ると、自社の管理職や役員に占める女性の割合を公表していない場合が少なくない。
テレビ局も同様だ。企業情報から役員のリストを見ても、実際のところ、これらの企業における女性役員はほんのわずかである(表1参照)。
ヒット映画の中で女性監督による作品は非常に少ない。2016年の邦画興行収入ベスト10に入る作品のうち、女性監督によるものは第10位タイの「映画 聲の形」(山田尚子監督)だけだ(表2参照)。
このシリーズ講義は可能な限り動画などで公開するだけでなく、ゼミ活動とも連携しており、ゼミ生たちと毎年、そのテーマで勉強しながら最終的に書籍を作って冬コミで頒布するという活動を行っている。
今年もそうする予定だが、せっかくの機会なので、この場でも発信していくこととした。今後、学生たちと私で、シリーズ講義の概要とその感想を順次公開していこうと思う。
シリーズ講義とは別に調べたり考えたりした内容も、併せて発信していくこととする。個人的には、学生たちが講師の方々のお話を聞いてどのような感想を抱くのか、たいへん興味がある。
講義の予定は以下の通り。
第1回 5/29 山口によるイントロダクション
第2回 6/5 大槻幸夫様
サイボウズ㈱コーポレートブランディング部長
第3回 6/12 川奈まり子様
作家、一般社団法人表現者ネットワーク(AVAN)代表
第4回 6/19 三橋順子様
性社会・文化史研究者
明治大学都留文科大学、東京経済大学、群馬大学医学部、早稲田大学理工学院 非常勤講師
第5回 6/26 猪谷千香様
文筆家、ハフポスト記者
第6回 7/3 伊藤和子様
弁護士 ミモザの森法律事務所
国際人権NGO ヒューマンライツ・ナウ事務局長
第7回 7/10 原島有史様
弁護士 早稲田リーガルコモンズ法律事務所
第8回 7/24 治部れんげ様
ジャーナリスト
昭和女子大学現代ビジネス研究員
このシリーズ講義における私自身の問題意識については、第1回で取り上げるので、別途記事として書くつもりでいる。
もちろんジェンダーやフェミニズムの領域については素人なので、見当違いなことも多々あるだろうと思うが、せっかく外部講師の方々からお話をお聞きする機会なので、私も学生たちと一緒に勉強していきたいと考えている。
当面、この問題で最も大事だと考えているのは、自分と異なる考えに耳を傾けることではないかということだ。どうもみていると、ジェンダー関連の議論は言葉が荒っぽくなりがちで、それが問題を不必要にややこしくしているように思う。
何が正しいか正しくないかも、前提条件や状況が変われば、同じではないかもしれない。仮に正しかったとしても、主張を鬱憤晴らしやマウンティングの道具にすべきではない。論破ではなく、合意をめざす議論を心がけたい。
以上、シリーズ講義のスタートにあたってのご挨拶まで。