佐々木俊尚さんが『レイヤー化する世界』を上梓されました。佐々木俊尚さんは、時代変化の風向きと流れを読み解く新しい見方を示し、キーワード化するのがとてもお上手です。この書籍で、佐々木俊尚さんは、現代は近代が生み出した「国民国家」が終焉を迎えており、「国民国家」を支えてきた「民主主義」も終わりつつあるとして、社会そのものが新しい枠組みでの再編にむかってきているとされています。
国民国家というウチとソトを分ける境界が曖昧となり、新しい「場」が生まれ、それが境界を超えて広がっていくというのはまさに現代の大きな流れです。そして、古い枠組みを守ろうとする慣性力とそれを破壊し、新しい秩序に向かおうとするパワーがぶつかりあい、さまざまな葛藤や矛盾が生まれてきています。
象徴的なのが、「日の丸と君が代」に対する意識です。懐古趣味的に明治時代に欧米にならって築いた「国民国家」の復権をはかりたいという人たちの「日の丸と君が代」観と、過去に軍国主義に国民を向かわせた過去の象徴として見る「日の丸と君が代」観の間で葛藤が起こっています。しかし、「日の丸と君が代」で「国家」への敬意や忠誠を求めたい人たちも、それに抵抗感を覚える人たちにも共通しているのは「国民国家」を前提とした発想です。「国家」にウェイトを置くか、「個人」の自由にウェイトを置くかの違いだけで、「国民国家」のあり方であることには違いがありません。
しかし、すでに国民の「日の丸と君が代」への意識は大きく変わってきています。「日の丸や君が代」は、サムライジャパンとの連帯感であったり、代表として激しく戦っているチームや選手との一体感を生み出す象徴でしかありません。そこには「国家」という感覚はほとんどなく、タイガースを愛する人たちの「虎」のシンボルと大差ありません。
選手もそうです。代表という誇りと覚悟の象徴、そこに多くのサポーターやファンが応援してくれていることに応えようとする気持ちの象徴で、まさか日本という「国家」のために戦っているという選手は少ないでしょう。もはや「日の丸と君が代」ですら「国民国家」としての象徴という意味を失ってきています。
右翼か左翼か、保守か革新かも揺らいできています。なぜならそのいずれもが「国民国家」のあり方での考え方の違いであり、それを超えた新しい現実のまえでは意味を失ってきます。
佐々木俊尚さんがおっしゃる「場」とは、たとえばサッカーならサッカーが「場」になってきます。そこにいくつものレイヤー(層)が重なっています。J1やJ2といったレイヤー(層)があったり、海外リーグのレイヤー(層)があって、選手たちは異なるレイヤーの間を行き来しています。
だからFIFAの予選なりワールドカップが終わると選手たちは国境のウチとソトを超えて、海外や国内の所属チームに戻っていきます。もはや国境を超えて、サッカーという「場」を中心に選手たちは動いています。ワールドカップになると、選手もサポーターも、テレビで観戦する人たちも「ジャパン」というレイヤー(層)を共有し連帯感でつながります。
選手たちはサッカーという「場」で、あるときはヨーロッパリーグというレイヤー(層)、あるときはジャパン代表という「レイヤー(層)」、あるときはJリーグというレイヤー(層)を行き来しているのです。こういったあり方は、ウチとソトが分かれた「国民国家」が主役の時代ではあまり一般的ではなかったことです。
ビジネスの世界でも業界のウチとソトの境界が揺らぎ始めています。かつてなら、たとえば流通業は流通業という境界線があり、IT企業はその流通業の効率化をサポートするための別の業界の存在で棲み分けがありました。もちろん今でもそういった関係も残っていますが、アマゾンのようになってくるとれっきとした流通業でもあり、また同時に自社のサービスだけでなくクラウドサービスを提供するIT企業でもあり、またKindleといった製品を開発し提供しているメーカーの側面も持っています。
アップルもハードを開発するだけでなく、コンテンツを持っている企業やアプリを開発しそれを提供するおびただしい企業と一体となった経済圏を築いたビジネスをやっています。
かつての業界の枠組みとはまったくことなったあり方です。そして、グーグルにしても、アップルにしても「国民国家」という枠組みを超えて、多国籍企業となり、「検索」や「音楽」、また「スマートフォン」という新しい「場」をそれぞれが自ら広げていっています。
TPP問題にしても、そういった「国民国家」の枠組みが経済活動ではなくなっていくことが望ましいという人たちと、「国民国家」が保護している産業ゆえに、その枠組を破壊することに異を唱える人たちが分かれ対立が起こっています。しかしいかに「国民国家」にすがったり、その利益を追求しても、残念ながら、「国民国家」そのもののパワーは薄れていくのです。もっと大きな力によってです。
こういった大きな時代変化の端境期に私たちは生きています。もう企業活動がグローバル化しただけでなく、「国家」よりは「仕事」という場で国境を超え、海外で活動する、あるいはウチとソトを行き来している人たちも増えてきています。
まず国家ありきではなく、国境を超えてどの「場」で働くのがもっとも働きがいがあるのか、また、条件がいいのかという判断が優先しはじめているのです。日本人、日本の文化を持っているという個人としての特質や誇りは、その人の価値となるレイヤー(層)のひとつとして残るだけになります。
現代はそういった時代の狭間でさまざまな葛藤が起こってきているのですが、ウチとソトという境界をひとつ超えて、時代を俯瞰してみると、これからやってくる危機や新しい機会も見えやすくなってくるように感じます。
『レイヤー化する世界』は、歴史の流れを遠くの視点から俯瞰し、かなり先鋭に今後の変化を示したものですが、さまざまな時代を切る視点のひとつとして頭のなかの貯金箱に入れておくためにオススメしたい一冊です。
(※この記事は、2013年6月21日の「大西 宏のマーケティング・エッセンス」から転載しました)