去る25日に投開票された横浜市長選挙は、29.05%という過去最低の投票率に終わりました。参院選の直後だったこと、夏休み中だったこと、選挙期間がお盆に重なったことなど、理由を考えれば、いくつも挙がることでしょう。しかし、同じ25日、高知県でも土佐市長選挙がありましたが、こちらの投票率は60.00%です。まさか、「高知よりも横浜の方が暑かったから選挙に行く気にならなかった」という理由が成り立たつはずはありません。
この低投票率は、「自公民相乗り」の現職市長の2期目の選挙だったので、最初から勝ち負けがわかり切っていたということが大きな原因です。
その意味で、実は、横浜市長選挙の低投票率は今に始まったことではありません。過去、全国の政令都市での市長選では、京都市で16.13%(昭和54年)という記録がありますが、低い記録と比べても意味がありません。
だから4年前、私はあのタイミングで辞任したのだということを、改めて説明しておきましょう。私の名誉のためではなく、地方行政や政治の実態を国民の皆さんと共有するために。
横浜市長選挙は、昭和50年代から8回連続で投票率は30%台と低迷してきました。実に30年以上にも渡って、低投票率市長が選ばれてきました。私が選ばれた激戦の平成14年でも39.55%、2期目の平成18年では35.30%です。
平成21年7月28日、衆議院が解散されてちょうど1週間後のその日に、私は辞職願を提出しました。このタイミングでの辞任なら、衆議院総選挙と同じ日程で市長選挙ができるからです。その目的は、総選挙と同じならば、「自公民推薦」などの相乗り候補者による、低投票率の選挙にはならないからです。
結果は、私の目論見通り、「自公」対「民主」の候補者による争いとなり、投票率は68.76%になりました。したがって、当時、林文子氏は史上最高得票数で当選しました。
地方行政を借金まみれにしているのは、〝なーなー政治〟の地方議会です。各政党が相乗りの市長を選び、オール与党議会が構成され、野党は〝批判のための批判〟の共産党のみになります。与党各党はそれぞれに予算要求を突きつけ、市長以下の行政はそれに応え続け、行政へのチェック機能は働きにくく膨大な借金を抱えることになります。
「2期で財政再建」を約束して市長になった私は、これを達成して、自らの後任選びは、〝高い投票率で相乗りさせない〟という選挙にすることが何よりも重要と考えました。私自身は「市長投げ出し」などと言われ、正直、情けない思いがありますが、横浜市全体にとって有益であればとの思いで決断したことです。
辞任によって私のメリットは何もありません。「投げ出し」批判を受けることも覚悟しましたし、任期満了までの残り半年ちょっと、そのまま市長を続ければ給与は保証されます。ただでさえ不安定な立場なのに、給与はなくなり退職金も減額されるのですから、家族にも迷惑をかけることになります。
一方で、任期満了前の辞任によって横浜市全体が得られる利益はそれだけではありませんでしたが、ここですべてを語るのはやめておきます。(*下記ご参照)
政治家の役割とは何でしょうか。
任期をまっとうすることもそうでしょう。投票してくれた方々への責務として、それは否定しません。
しかし、もっと大きな役割があるはずです。それは、ひとりのリーダーとして、当該地域(市長であればその自治体、国会議員であれば国家)全体の利益を考慮し、いざとなれば自らの利益や立場を投げうってでも、その大義を優先するということではないでしょうか。もちろん、大義は個々人の価値観によって異なるでしょうが、少なくとも、私は横浜市長としての大義を果たすために任期満了の半年前に退く決断をしたのです。
そして、そのことを今でも一片たりとも悔やんではいません。
*平成21年8月~9月のブログ」に詳細を記しています。
「市長辞任について 1」〜期限を区切って仕事する http://www.nakada.net/blog/?p=8
「市長辞任について 2」〜突然しかありえない http://www.nakada.net/blog/?p=9
「市長辞任について 3」〜「公共の利益」を考えよう http://www.nakada.net/blog/?p=10
「市長辞任について 4」〜市長最後の仕事 http://www.nakada.net/blog/?p=11
(この記事は「中田宏のオピニオン」に掲載された8月31日付記事の転載です)