今春の世論調査によると、翁長知事の支持率は非常に高い。
「沖縄タイムス」「朝日新聞」「琉球朝日放送」による共同の県民意識調査(4月25日発表)では58%、「琉球新報」県民世論調査(5月9日発表)では67%であった。
辺野古移設問題で国と勇敢に闘い続ける孤軍奮闘の知事というイメージが、県民の心に刻み込まれているからであろう。
辺野古埋め立てをめぐる裁判では、昨年12月、最高裁判決により県の敗訴が確定した。その後、辺野古の護岸工事が着々と進行しており、辺野古反対派の中にも諦めムードが広がりつつある。
7月にも県が起こすと見られる工事差し止め訴訟や、その後の埋め立て承認撤回といった抵抗手段の見通しも立っているわけではない。
今年に入って、翁長氏と「オール沖縄」陣営はその勢いを失いつつある。
その流れは首長選挙の結果に如実に表れている。1月から4月に実施された、宮古、浦添、うるま各市の市長選挙で「オール沖縄」は3連敗を喫した。
翁長氏が応援に入ったにもかかわらず続いた敗北は、辺野古移設以外の問題に関する「オール沖縄」内部の意見の不一致、それぞれの地域の行政ニーズに合わせた具体的な政策を陣営が持ち合わせていないことの証左である。
このような「オール沖縄」陣営内の足並みの乱れや辺野古工事をめぐる県の不利な状況にもかかわらず、翁長知事の支持率が高いのはなぜか。
本土政府や自民党関係者などが見落としやすいのは、県民の中にくすぶる「普天間基地の辺野古移設はフェアでない」という感情である。
諦めムードが少しずつ広がっているとは言え、米軍基地を沖縄に集中させてきた歴史的な背景もあり、このわだかまりは根強い。
辺野古移設問題をめぐっては、米軍基地ゲート前の座り込みのイメージがメディアを通して流れ、プロ活動家、プロ市民が騒いでいるだけというような言説を目にすることがある。だが、活動には参加しないが、辺野古移設に割り切れない気持ちを抱く県民は多い。
それぞれの地域事情が色濃く反映される各市町村の首長選挙で「オール沖縄」が敗北を続けていても、こと「辺野古移設」が直接問われる知事選挙などでは、反政府の立場を表明する県民が多数を占める可能性は高い。その根源には仲井眞前知事と安倍政権のこの問題への対処のまずさがあったのではないか。
埋め立てを承認するとほぼ同時に、高額の沖縄振興予算を提示された仲井眞前知事が放った「これで良い正月が迎えられる」という発言は、多くの沖縄県民のプライドを傷つけた。
菅官房長官は、2012年12月に安倍政権が発足した時点では、「丁寧に説明する」としていたにもかかわらず、仲井眞知事(当時)から埋め立て承認を得られた後に、手のひらを返したように「(辺野古移設を)粛々と進める」路線へと切り替えた。
さらに同長官は、翁長知事が米軍による強制収容で基地建設が行われた経緯の不当性を訴えた際に、「賛同できない。戦後は日本全国、悲惨な中で皆さんがたいへんご苦労されて今日の豊かで平和で自由な国を築き上げてきた」と語ったが、そこには「沖縄県民だけが特別に苦労したわけではない」という沖縄を突き放すようなニュアンスがこもっていた。
仲井眞氏と菅氏の言動は、今も沖縄県民の心の奥深くに突き刺さる棘である。
翁長知事は今や辺野古反対運動の象徴になっており、革新側にとって翁長氏は旗印として必要な存在である。一方の保守系・自民党側に、翁長氏に対抗できるだけのカリスマ性のある政治家は見当たらない。
「一寸先は闇」と言われる政治の世界で、今後、情勢が一変する可能性がないわけではない。
しかし、現状を見る限り、支持基盤である「オール沖縄」が弱体化しているとは言え、翁長氏が高い支持率を背景に来年11月の知事選で再選される可能性は高い。
この数年間、沖縄では観光客数の驚異的な伸びなどによって、表面上は経済成長が続き、失業率も急速に低下している。
一方で、非正規雇用の45%超えなどが背景となった子供の貧困、観光客の急増による交通渋滞や水不足、有為の人材の本土や海外への流出など、沖縄社会の構造的な歪みは深刻である。
こうした事態に対し、残念ながら翁長知事は有効な政策を打ち出せていない。また、新しいビジョンを模索する余裕もなく、ひたすら「辺野古阻止」に没頭しているように見える。
来年の知事選で、その翁長知事の勝利が予想される状況は、沖縄の政治と行政が今後数年間にわたり漂流することを意味する。それは、沖縄にとって不幸ではあるが、沖縄政治の構図を変えることは容易ではなさそうだ。