たまたま先月、シドニーのホテルでテレビを見ていたら、日本のニュースが大きく映しだされた。東京電力の担当者が頭を下げている映像だ。すぐにインターネットで日本の新聞社のウェブサイトを探してみたが、「放射能汚染水が漏れたようだ」程度で扱いも小さく、何が起こったか詳しいことはよくわからない。むしろオーストラリアABCのほうが詳細で、事柄の重大さは理解できた。
翌日現地の新聞をみると、総選挙の話題やシリアの化学兵器の記事があふれる中、国際面のトップは福島原発の記事だった。もともと日本の記事はあまり多くなく、ビジネス面も国際面も中国ばかりだったのだが、11年3月以来の「放射能漏れの重大事故」との記事(8月22日)は、かなり衝撃的だった。
一方日本からのニュースはなかなか詳報が伝わってこない。漏れた水の量や放射能の量も変わるし、問題があるとかないとか、どう評価すればいいのかよくわからないまま時間が経つ。しかしほかの場所も調べれば水漏れはもっと出てくるような気がして、この現在進行形の底なし感がなんともやりきれない。
結局日本のニュースが敏感に反応し始めたのは、外国の報道ぶりを見てからだった。特にオリンピック誘致に影響があるとされてから、みな敏感になった。国内ニュースでは騒ぎ過ぎと風評被害を警戒する。慣れてしまえばなんでもない、無用に恐れるのは非科学的、そんな気分が漂うが、世界はそうではない。
海外で流れる映像はわかりやすく刺激的だ。毎日300トンもの水が流れ込み、原発を通って太平洋に流れ、世界を汚染している...。
実際はそう単純ではないにせよ、タンクに溜めたところでいつかは一杯になるだろう。半減期が決まっているから、洗ってもほかが汚染されるだけで放射能は消えることがない。神経質にアンテナを張っている海外のメディアを前に、希望的観測と根拠のない楽観的見通しで鈍感にやり過ごしていては、国際的に信用を失うだけだ。
結局、最終処分場をどうするか。見たくないものを見ないでは済まされない。
海外が本当に日本を信用するのは、日本政府がこの最大の難問に答えを出した時かもしれない。