ゴーストライターによって「彼は楽譜が書けない」「聴覚障害も虚偽」と暴露された「現代のベートーベン」こと佐村河内守氏。
「全聾」、両耳がほとんど聞こえず、聴覚障害としては最も重い「2級」。
その障害を乗り超え、悶え苦しみながら曲を紡ぐ「天才作曲家」として紹介されてきた。
「障害や症状の困難さ」や「天才ぶり」については、様々なテレビ番組のスタッフが撮影し、「才能」を持ち上げてきた。
様々な情報番組、ニュース番組、ドキュメンタリー番組などで、佐村河内氏の"物語"は賞賛の声とともに公共の電波に載せられてきた。
佐村河内氏本人は現在、マスコミの前に姿を現さず、彼を取材して番組で紹介してきた制作者も公式に発言していないため、テレビの取材プロセスでどんな事実確認があったのか、取材する人間がどう感じながら撮影してきたのか、などはまだ明らかになっていない。
今回の事件の背景に、最近のテレビ局による「性急に物語を求める姿勢」を指摘する声がベテランのドキュメンタリー制作者から上がっている。
そうした話を聞いたのは、2月7日から11日までの間、東京・高円寺で行われている「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」の会場だ。
2月10日、この場で上映されたのは、「聞こえるよ母さんの声が...原爆の子・百合子」(1979年、制作・山口放送)というドキュメンタリーだ。芸術祭大賞にも輝いたテレビドキュメンタリーの名作で、母親の体内で被爆して原爆小頭症になった畠中百合子さん(放送時33歳)とその両親の生活を追った作品だ。岩国基地のそばの借家で理容店を営む父、被爆の後遺症で病に苦しむ母と一緒に暮らす百合子さの知能は2歳半程度。日常生活も介助者がいないと送ることができない。
母親の敬恵(よしえ)さんは、いつも百合子さんの身の回りの世話をし、「この子を残しては死ねない」というのが口癖だった。
胎内にいた娘の百合子さんが原爆症と診断されても、その瞬間、原爆の職劇を受けた敬恵さんは原爆症と認定されないままにガンに蝕まれ、全身の骨が骨折し、苦しみながら死んでいく。
作品は、敬恵さんの苦しみの日々をありのまま撮影している。
圧巻だった場面は、敬恵さんが死んだ後、普段ほとんど言葉を話さない百合子さんが母親の写真を指して「いこか」と言って、母親の墓参りを行こうと促すシーン。さらに墓参りの場面で、母親の墓石に百合子さんが耳をつけて母の声を聞きとろうとするシーンだ。
作品の上映後、制作したディレクターである磯野恭子(いその・やすこ)さんの話を聞くトークショーがあった。
聞き役は同じテレビ局の系列でドキュメンタリー制作をしていた縁で私が担当した。
磯野恭子さんは現在80歳。山口放送のディレクターからテレビ制作部長、常務取締役などを経て退職し、岩国市教育長を経て、現在は山口県内のNPO法人の代表を務めている。
百合子さんが墓石で耳を当てるシーンは、ドキュメンタリーのシーンとしては歴史的な傑作場面と言ってもよい。
母親を失った百合子さんの孤独や悲しみ。それは見る人間にこの人の将来を案じさせ、一体、誰の責任なのだろうと問わずにはいられない。
どういう経緯で撮影できたのか、と聞いたら、「まったくの偶然で予想外だった」という。
当時者の思いに寄り添ってずっと撮影を続けるうちに、制作者が想定していない出来事が起きる。
主人公が突然、想定していなかった行動を取る。
このように、「事実に裏切られる」ような時、良いドキュメンタリー作品になるという経験をドキュメンタリーの制作者の多くが経験している。
2歳半程度の知能で、ほとんど言葉らしい言葉を口にすることさえできない百合子さんが母親の声に耳を澄ましていた。
そんな神がかりのような場面は、磯野さんの数十年に及んだ取材者経験でもこれほど想定外のドラマが起きたことはないという。
「どうしたらこういうシーンが撮影できるのですか?」
会場では、若いドキュメンタリーディレクターから質問が上がった。
こうしたハプニングシーンは、「ありのままに撮影する」という取材姿勢でいるとき、突然訪れるという。
誰かに何かを振る舞わせたり、作為がするのではなく、相手の日常を撮る、という姿勢が大事だと磯野さんは自分の経験から話した。
「その瞬間を逃さずに撮る。ドキュメンタリーは社会の鏡。戦争や原爆などによって翻弄された人としての哀しみ。国の理不尽への怒りなど何を映し出すか。社会がどうなっているのか、どうなっていくのか、という視点がないとドキュメンタリーとは言えない」
そう言って磯野さんは、テレビがセンセーショナルに扱った「聴覚障害の天才作曲家」佐村河内守氏の事例を挙げた。
「今のテレビは何でもドラマチックに撮ろうとする。そこに作為が入る。だが、大事なのはドラマチックであることよりも、番組がその時代の何を撮るのかという視点。それがなければ薄っぺらいものになってしまう」
「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」のプログラム・ディレクターを務めた山崎裕さん(64)もテレビや映画のドキュメンタリーのディレクターやカメラマンを長くやってきた大ベテランだ。是枝裕和、河瀬直美らの映画監督と映画の撮影をやったり、自分で映画監督をしたりの才能あふれる人だ。
山崎さんが口にしたのは、「物語性」という言葉だった。
「今のテレビはどんどん"物語性"を求めてくる。磯野さんの作品のように、ドキュメンタリーに驚くような物語は通常は起きない。日常の中で起きる物語を時間をかけてじっくりと待つ。そこまで追えると良いドキュメンタリーが生まれる。ところが最近のテレビは、最初から『物語』を求めている。佐村河内問題も、最初から『物語』を持っているとされる人間に飛びついて、そこでの物語に期待する。テレビがあまりに物語を求めるようになった結果、『聴覚障害の天才作曲家』という物語に飛びついたのではないか」
山崎さんの評価を聞くと、私もなるほどと感じる。
そして考えた。
「佐村河内守」という人物を通して制作者たちが紡ぎ出そうとしていた「物語」とはどんなものだったのだろう。
磯野さんの言葉に戻るなら、「社会がどうなっていく」という物語だったのかが伝わるものだったのか。
制作者本人に聞いてみなければ"真意"は分からないが、被爆体験、障害という苦しみを抱える天才作曲家が、東日本大震災による苦しみを持つ少女と魂の交流をして励ましていく、という物語を、この2人の話を聞いた後で改めて考えると、薄っぺらなものに感じてしまう。
ちなみに「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」最終日の2月11日は、田原総一郎氏が東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターとして取材したドキュメンタリー作品などが上映される。(参考 http://zkdf.net )
ドキュメンタリーとは何か。それは制作者が違えば十人十色の主張がある。
佐村河内問題はドキュメンタリーの本質を考えさせる機会にもなった。
過去の名作ドキュメンタリーを見ながら、今回の「現代のベートーベン」がなぜ生まれたのかを考えてみるのもよい。
(2014年2月10日「Yahoo!個人」より転載)